HARD BOILED CAFE

ハードボイルド探偵小説に関する本の紹介。チャンドラーの翻訳にまつわるエッセイ等。

『大いなる眠り』第4章(7)

<私は立ち上がり、帽子にちょっと触って金髪女に挨拶すると、男の後を追って外に出た。彼は西の方に歩いていた。右の靴の上でステッキが小さく正確な孤を描いてゆれていた。尾行するのは簡単だった。上着はかなり派手で、まるで馬にかける毛布であつらえたようだったし、広い肩幅の上に突き出したセロリの茎のような首の上で、歩くに連れて頭がひょこひょこ揺れていた。私たちは一ブロック半ほど進んだ。ハイランド・アヴェニューの交通信号のところで追いつき、私が分かるように隣に立った。彼は何気なく私の方を向いたとたん鋭い横目になり、急にそっぽを向いた。私たちは青信号でハイランド・アヴェニューをわたり、もう一ブロック歩いた。彼は長い脚をいっぱいに広げることで、曲がり角に着いたとき私より二十ヤード先にいた。彼は右に折れた。百フィートほど丘を上って立ちどまり、ステッキを腕にひっかけ、内ポケットにある革製のシガレット・ケースを手探りした。煙草を唇にくわえ、マッチを落とした。彼がマッチを拾い上げようとしたとき、角を曲がり終えた私が窺っているのを見て、まるで後ろから蹴りを入れられた人のようにびくっと体を立てた。彼はほとんど土埃を巻き上げそうな勢いでブロックをぎごちない大股で歩きながら歩道にステッキを突き出していた。彼は再び左に折れた。その曲がり角についた時、男は少なくとも半ブロック私より先にいた。私は息があがっていた。そこは狭い並木通りで片側は擁壁になっており、反対側は三軒のバンガロー風の家が建つ宅地になっていた。

男は消えていた。私はあちこちぶらつきながら目をこらした。二軒目のバンガローの庭で何かを見つけた。そこは「ラ・ババ」と呼ばれる、木陰に二列のバンガローが並ぶひっそりと薄暗い場所だった。中央の歩道には短く刈り込まれてずんぐりした糸杉が並んでいた。なにやら「アリババと四十人の盗賊」に出てくる油壺のような形だ。三つ目の壷の後ろで派手な袖が動くのが見えた。

私は遊歩道の胡椒木によりかかり、待った。山裾の開けた辺りでまた雷が鳴るのが聞こえた。稲妻がぎらり、と南の方に厚く張り出した黒雲に反射した。数滴の雨粒がためらいがちに歩道を叩き、五セント硬貨ほどの跡をつけた。大気はスターンウッド将軍邸の温室内のそれと同じようにじっと静止していた。

木の後ろにあの袖がまた見えた。そのあとから大きな鼻と片方の眼と薄茶色の髪が現われた。帽子はかぶっていない。眼はじっと私を見つめていた。それが消えた。それがまるで啄木鳥のように木の反対側に再び現われた。五分が過ぎた。男はどうしようもなくなった。彼のようなタイプは神経戦に長く耐えられない。マッチを擦る音が聞こえ、口笛がはじまった。やがておぼろげな影が芝生伝いに次の木の陰へと滑りこんだ。そして彼は歩道に出て真っ直ぐ私のほうに向かってやってきた。ステッキを振り、口笛を吹きながら。口笛は調子がはずれ、落ち着きがなかった。《私はただぼんやりと暗い空を見上げていた。》彼は私から十フィートの距離のところを通り過ぎたが、こちらをちいらりとも見なかった。彼はいまや危機を脱した。あれは捨てたのだ。

私は彼が視界から去るのを見届けると「ラ・ババ」の中央を通る歩道まで行き、三番目の糸杉の枝をかきわけた。包装紙でくるまれた本を抜き出し、小腋に抱え、その場から立ち去った。誰も私を怒鳴ったりしなかった。>

 

マーロウによる尾行の詳細。微細な点しか違いがない。たとえば、村上氏はなぜか「シガレット・ケース」の材質を訳していない。原文には"leather”の一語があるのに、だ。もしかしたら原テクストが異なるのかもしれないが、厳密すぎるほど忠実に訳そうとする氏らしくない。単なる見逃しだったらちょっと愉快なのだが。

降り始めた雨が舗道に染みをつけた。その大きさを原文は"nickels”と表している。五セント玉のことだ。これを双葉氏の本は「五センチ玉」とやってしまっている。単なる誤植だろう。雹でもあるまいに、いくらなんでも五センチ大の雨粒の跡は大きすぎる。

双葉氏の訳にめずらしく一文丸ごとカットしている箇所がある。拙訳中、《 》をつけた部分だ。原文は”I stared vaguely up at the dark sky.”知らぬ顔を決め込んで、すっとぼけて空を見上げる探偵の姿は、こちらを一瞥さえしない男の態度と好一対。ここを訳さないという手はない。これも凡ミスだろうか。

あまり大きな違いはないと書いたが、小さなちがいなら無数にある。ひとつだけ例を挙げておこう。”bungalow”は、そのまま訳したら「バンガロー」で通じる。双葉氏はそう訳している。ところが、日本でバンガローといわれて思い出すのは、よくキャンプ場にある山小屋風の小さな建物だ。アメリカでは、あの手のものは「コテージ」と呼び、バンガローというのは、バルコニー付きの平屋住宅を指すようだ。村上氏は最初に「バンガロー式の家」と書いておき、次からは「平屋建て住宅」と親切に訳し替えている。同じ言葉が、英国と米国で意味が異なることはしばしばある。まして日本とアメリカならなおさらのこと。よく知っていると思われる単語でも辞書で確認する習慣をつけたいものだ。いうまでもないことだが、これは単なる自戒である。

 

『大いなる眠り』第4章(6)

<私は椅子のひとつに体を伸ばし、灰皿スタンドの上の丸いニッケル・ライターで煙草に火をつけた。彼女はまだ立っていた。歯で下唇をかんで、なんとなく困ったような目をしていた。ようやく頷くとゆっくり振り返り、コーナーの小さな机の方に歩いて戻った。ランプの火影から彼女は私をじっと見つめた。私は脚を組んでひとつ欠伸をした。彼女の銀色の爪は机の上の電話にのびかけたが、それには触らずに落ち、机の上をトントンと叩き始めた。

沈黙が五分ほど続いたろうか。ドアが開いて、長身で腹でも減っているのかと見紛いそうな輩が、ステッキと大きな鼻を携えて整然と入ってきた。ドア・クローザーの圧力に逆らって自分の背後でドアを閉め、コーナーに向かって行進すると包装された品を机の上に置いた。彼はポケットから四隅に金細工を施した海豹革の財布を取り出すと金髪女に何かを見せた。女が机の上のボタンを押した。長身の男は仕切りパネルのドアまで行き、かろうじて体を滑り込ませるくらい開けた。

私は一本目の煙草を吸い終わり、二本目に火をつけた。時がだらだらと過ぎた。大通りでは車のクラクションが不平を言い立てた。赤い大型郊外電車が唸り声を上げて通り過ぎた。交通信号灯が音を立てた。金髪の女は頬杖をつき、眼を覆うように丸めた掌の陰から私を見つめていた。仕切りのドアが開いて、長身の男がステッキといっしょにこっそりと出てきた。手には別の包装された品を持っていた。形からすると大判の本のようだった。机の方に行って金を払った。来た時と同じように店を出ていった。親指のつけ根のところだけで歩き、口を開けて息をし、通り過ぎるとき、横目で私に鋭い一瞥をくれながら。>

 

ガイガーの店の商売の仕方が克明に記されるところ。マーロウの観察眼の鋭さが遺憾なく示される。ここのところは両氏の訳にも特に異同がない。気になったのは、チャンドラーの言葉遣いで、最初机の上にあった"lantern”が、女が机に戻った時点で”lamp”と表記されていることだ。突然模様替えをするはずもないから、不自然な表記といえる。冒頭、店のウィンドウを埋め尽くす東洋風の意匠に作家自身が引きずられて「ランタン」のイメージが湧いたものの、後になって、そのイメージが消えると、普通の卓上ランプのイメージに取って代わられたのだろう。双葉氏ははじめから「ランプ」の表記で通しているが、村上氏ははじめは「卓上灯」、その後は「ランプ」と、原文に引きずられるように表記を変えている。

 

店に入ってきた客を原文は”tall bird”と表記している。”bird”は、俗語で人を指すが、あまりいい意味ではないようだ。辞書には「やつ、変人」などの例が載っている。村上氏は「長身の男」とさらりと流しているが、双葉氏はバード(鳥)にかけて、いかがわしい店の常連客らしい男を「背の高いかも(傍点二字)」と訳している。遊び心もあり、作者の俗語表現にこめた意味も伝わってくる上手い訳ではないか。

 

妙にこそこそしているかと思うと居丈高でもあるかのような男の身ぶりには、隠し事をする男ならではの過剰な自意識が滲み出ている。「親指のつけ根のところだけで歩き」と訳したところ、双葉氏は、「踵をつけない歩き方」、村上氏は「母指球にそっと体重を載せて歩き」と訳している。原文は”walking on the balls of his feet”で、辞書にもそのままの例文が載っている。日本語で言う「抜き足、差し足、忍び足」といったところか。借りた物を返す時は「マーチ」と表現されるようなどしどしと音を立てる歩き方で歩いていたのに、借りてきた物を抱えて帰るときは足音を立てずに歩いている。

 

すでに評価の定まった名訳があるのに、あえて自分で訳してみたくなる村上氏の気持ちが、自分で辞書を引きながら訳していると、少しずつ分かってきた。旧訳に文句があるというのではないのだ。自分ならどう訳すだろうと考えながら原文を読み、分かり辛い部分は辞書を引く。その作業をくり返していること自体が何より愉しいのだ。シンプルな原文に対し、日本語がそれに対して持つ豊かな対応力のなかで泳いでいるような自由な感じがたまらない。もっと若い頃に目覚めていたら単語を覚えるのも今ほど苦労しなかっただろうに。記憶力が鈍くなってきてから始めたのは、ちょっと残念だ。まあ、誰にせかされているわけでもない。ぼちぼちやっていこうと思う。

 

『大いなる眠り』第4章(5)

<「ああ、あの手のものには全く興味がない。おそらく鋼板印画の複製セットだろう。安直な彩色で二束三文の出来。そこいらによくある低俗な品さ。申し訳ないがお断りだね」
「わかりました」彼女は自分の顔に微笑を引き戻そうとがんばっていた。苛立ってもいた。まるでおたふく風邪にかかった市会議員のように。「ガイガー氏がおりましたら、お役にたてたのでしょうが、あいにく留守を致しておりまして」彼女の目は注意深くこちらを窺っていた。彼女は稀覯本について、私が蚤のサーカスの取り扱い方について知っている程度には、よく知っているのだ。
「後で顔を出すんだろう?」
「申し訳ありませんが、遅くなるかと」
「それは残念だ」私は言った。「いやあ、実に残念だ。この素敵な椅子に腰掛けて一服させていただくとするかな。今日の午後は暇なんだ。三角法の講義について考えることくらいしかすることがないんだよ」
「はい」と彼女は言った。「は、はい。もちろん」>

"Oh, that sort of thing hardly interests me, you know. Probably has duplicate sets of steel engravings, tuppence colored and a penny plain. The usual vulgarity. No. I’m sorry. No.”
双葉訳
「ああ、あんなものにはてんで興味がない。けちな版画の複製だろう。陳腐だよ。僕は結構だ」
村上訳
「ああ、あの手の代物にはまるで興味はない。どうせ銅版画のセットを複製したもので、色彩も安直、一丁上がりのやっつけ仕事で、一山いくらの値打ちしかない。申し訳ないが願い下げだね」
"steel engravings”は鋼板印画もしくは鋼板彫刻であり、銅版の代わりに鉄を用いた印刷技術である。安価で大量に印刷できる点が銅版画と比べた時の長所とされる。この文脈では、相手の所蔵品を貶めるというところに力が入っているのであるから、わざわざ銅版画と訳しなおすことには意味がない。双葉氏のように意訳して「けちな版画」とするか、あまりなじみのない言葉だが「鋼板印画」と訳すかしかないのでは。蛇足ながら”tuppence”は”twopence” で前にある鋼板印画から連想すれば”tuppence colored and a penny plain”は「二ペンスの色づいた土地と一ペニーの平地(無地)」ということになり、安っぽい彩色がなされた無地の部分の多い(安価な)印刷物を揶揄した文句となる。もちろん、ペンスとペニーをかけていることは言うまでもない。村上氏も前半の「色彩も安直」は忠実に訳しているが、後半は意訳せざるを得なかったようだ。

"I’m afraid not until late.”を双葉氏は「遅くならないとは思いますが」。村上氏は「参るのはかなり遅くなるかと思います」と反対の意味に訳している。"I’m afraid not”は、いわゆる丁寧語表現で、相手が言ったことについて否定しつつ不快感を与えない言い方として主に英国で使われる。彼女のこの返事を引き出すマーロウの質問は"He might be in later?”で、双葉氏は「じきに帰ってくるかね」。村上氏は「彼は後で出て来るのかな?」だ。双葉訳では同意に取れるので、否定になっていない。村上訳では来店予定があるかどうかの確認なので、来る予定だが遅くなるという彼女の返事は、これもまた否定とはいえない。つまり、彼女の返事に"I’m afraid not”が出てくるためには、マーロウ側に、すぐに会えるだろう、という期待がにじんでないといけないわけだ。そういう意味で「たぶん~だろう?」という意味の訳がぴたりと当てはまるはず。

"Nothing to think about but my trigonometry lesson.”
「三角法の授業のことなんか考えなくてもいいんだ」(双葉)
「三角法の講義について考えるくらいしかすることがないんだ」(村上)
よく使われる"nothig but”のイディオム。双葉氏がどうしてこう訳したのかが分からないくらいのもの。もちろん村上訳が正しい。双葉訳では"but”が効いていない。

 

『大いなる眠り』第4章(4)

<彼女は実業家たちの昼食会を大騒ぎさせるに十分なセックス・アピールを溢れさせながら私に近寄ると、ほつれた髪に手櫛をいれようと頭をかしげた。ほつれというほどではない。柔らかく輝く髪が巻き毛になっているだけだ。彼女の微笑みはかりそめのものだったが、申し分のないものに移す準備はできていた。

「何か御用ですか?」彼女はきいた。

私は角縁のサングラスをかけていた。声を高くし、そこに小鳥のさえずりを響かせた。

「もしかして一八六〇年版の『ベン・ハー』をお持ちでは?」

彼女は「はあ?」とは言わなかったが、言いたそうだった。わびしく笑った。「初版ですか?」

「三版」。私は言った。「一一六ページに誤植があるやつだ」

「申し訳ありません――今のところちょっと」

シュヴァリエ・オーデュボンの一八四〇年版ならどうかな?無論全冊揃いで」

「あの――今のところ、切らしています」ざらついたうなり声だった。微笑みは今や眉毛と歯の間にぶら下がり、もし落ちたらどこにぶつかるのか思い悩んでいる様子だった。

「君のところは本を売っているのではないのかね?」私は上品ぶった作り声で言った。

彼女はじっと私を見た。微笑は消えていた。目つきは「中」から「固め」になった。姿勢は直立し、固まっていた。銀色に塗った爪をガラス入りの本棚の方に泳がせながら、「あれが何に見えて――グレープフルーツかしら?」と、痛烈に言い放った。>

 

“ sex appeal to stampede a businessmen’s lunch”

「スタンピード」は、西部劇でよく見かける牛の大暴走を指す言葉だ。日本で「ビジネスマン」といえば会社員だが、英語では、社長級の実業家を指すのが普通。つまり、一流企業の社長たちが昼の会食を行っている席が大騒ぎになるほどのセックス・アピールということになる。

双葉訳「勤め人が昼飯を喉につかえさせるぐらいな性的魅力」

村上訳「実業家たちの昼食会を総崩れさせるのに十分なほどのセックス・アピール」

双葉訳ではチャンドラーが得意とする誇張法として、ちょっと物足りない。村上訳。フェロモンたっぷりの美女が現れて、整然と進行していた会食が秩序を失ってしまう様子を「総崩れ」と訳すのはうまい。ただ、原文の「スタンピード」という単語の原義を知っていないと「昼食会」と「総崩れ」は、上手く結びつく言葉とは思えないが、どうだろうか。

 

"Her smile was tentative, but coud be persuaded to be nice.”

双葉訳「彼女の微笑はお義理だったが、お義理でさえなければ上物の部類だ」

村上訳「彼女の微笑みは間に合わせのものだったが、ことと次第によってはそれを素敵な笑みに移す用意は整っていた」

双葉訳は後半は完全な意訳。上手いものだが、原文に忠実とはいえない。相変わらず丁寧な村上訳だが、如何せんまだるっこしさがつきまとう。辞書を片手に原書を読むには格好の参考書といえるのだが。

 

ここのところ、女の声や微笑の変化が実に丁寧に描写されている。それを追うのが楽しい。

"She looked me over. No smile now. Eyes medium  to hard.”

「彼女は私をじろりと見た。微笑は消えた。目がすこしきつくなった」(双葉)

「彼女は私をじろりと眺めた。微笑みは既に消え、目つきは「ほどほど」から「かなり硬め」に変わっている」(村上)

意味はほとんど変わらないが、三つ目の文、何かの目盛に喩えているのだろうか。村上氏はそれを面白がって、訳出しているようだ。ハードボイルド探偵小説の文体としては双葉氏の方がそれらしいが、チャンドラ-の文章という場合、村上訳の苦心がそこに向けてあるわけで、やはり避けては通れないところなのだろう。意を通じながら簡略に訳す。言うのは簡単だが行うには難い。拙訳も冷や汗ものである。

『大いなる眠り』第4章(3)

<女はゆっくり身を起こすと上体を左右に揺らすようにして私のほうにやってきた。タイトでどんな光も反射しない黒のドレスを着ていた。長い腿をしていて、およそ本屋では見かけることのないある種特別の歩き方だった。アッシュブロンドの髪に緑の瞳、パイピングのようなまつげ。髪は耳のところから柔らかく後ろに波打ち、耳には大きな黒玉の飾りが光っていた。爪は銀色に塗られていた。それほどめかしこんでいるにもかかわらず、女にはどこかホテルの玄関脇にある安部屋のにおいがした。>

 一見ゴージャスな装いをした女の外見描写である。昔ならモンローウォークといったところか。セクシーなファッションに身を固め、しなを作りながら歩いてくる女性にマーロウはしかし、だまされない。女の何がそう感じさせるのか。本物ではないフェイクだけがもつ嘘っぽさを嗅ぎとらずにはおかない。 

She got up slowly and swayed towards me

「彼女はゆっくり立ちあがり、体を左右にゆりながら,私のほうへやって来た」(双葉)

「女はゆっくりと立ち上がり、身をくねらせながら私の方にやってきた」(村上)

“sway”の一言が英語を日本語にするときの核になる。スウェイといえば、ボクシング用語の「スウェイバック」を思い出すが、必ずしも上体を反らすことばかりをさすのではないようだ。女が意識して歩くとき、上体は腰を支点に上下ではなく左右にゆれる。腿の長さに目がいっていることからそれは分かる。「身をくねらせる」といえば身も蓋もないが、「左右にゆりながら」よりはいいかもしれない。どちらにしても説明過剰。英語なら“sway” 一語だ。こんなとき、邦訳の苦労が分かる。

 She was an ash blonde with greenish eyes, beaded lashes, hair waved smoothly back from ears in which large jet buttons glitterd.

 「髪は白っぽいブロンドで、目は緑、まつげは数珠みたいで、髪は耳の辺りからうしろへなめらかに波打ち、耳には大きな黒玉の飾りをつけていた」(双葉)

「淡いブロンドの髪、緑の瞳、玉縁をつけたようなまつげ。髪は耳のところから後ろに、きれいに波打っててまわされている。耳には漆黒の大きな円形の飾りが煌めき」(村上)

ブロンドは金髪だが、金髪が稀ではないあちらでは様々な種別がある。アッシュは灰色がかった、というよりも白っぽいブロンド。片仮名語の氾濫は好むところではないが説明が過ぎて文が長くなるのはさけたい。分かるところは片仮名で済ます。むしろ問題は“beaded lashes “のほう。“bead”は、ビーズだが、まつげが数珠みたいって、どんなまつげだ。ここは村上訳の玉縁が正解。といっても玉縁自体よく分からない人も多いかも。ほつれを防ぐ布地の端のかがり方である。玉縁で分かればそれでいい。パイピングの方が分かりやすいかもと思っただけである。密で分厚いまつげを想像していただければよしとしよう。“jet buttons”も難しい。ジェットは黒玉のことだが、これも説明抜きでは分かりづらい。双葉氏はそのまま黒玉ととったが、村上氏は「黒い」を示す修飾語ととっているようだ。ボタンは釦ととれば、「円形の飾り」で、球形というよりは円形だろう。イヤリングの形状は円形の大きな黒いものと考えるより他はないようだ。

 In spite of her get-up she looked as if she would have a hall bedroom accent.

これも辛辣な表現だ。

「が、そのスタイルにもかかわらず、ひどく閨房のにおいをさせている感じだった」(双葉)

「しかしそんな身なりにもかかわらず、女にはどことなくホテルの安部屋を思わせるところがあった」(村上)

“a hall bedroom”とは、玄関わきの寝室(米)の意味で、旅館などで一番安い部屋を指す。双葉訳はベッドルームに引きずられて色っぽい匂いを纏わせすぎている。村上訳が正しい。要は、どれほど飾り立てていても、女の価値はそれほどのものではない(安ピカ物)ということをマーロウは言いたいのだ。



『大いなる眠り』第4章(2)

<背後でドアが静かにしまり、私は床一面に敷きつめられた厚く青い絨毯の上を歩いていった。青い革の安楽椅子の脇には灰皿スタンドが添えられていた。箔押しされた革装本が数冊、磨き上げられた狭いテーブルの上にブックエンドに挟まれて並んでいた。壁のガラスケースの中にはもっと多くの箔押しされた革装本が並んでいた。なかなかに見た目のいい商品だ。金持ちが一ヤードいくらで買っては、人をして自分の蔵書票を貼らせようとする類いの。後ろの方には木目が浮き出た板で仕切った区画があり、中央にドアがついていた。閉まっていた。仕切りと壁が作る角に一人の女が坐っていた。小さな机の上に彫刻を施した木製のランタンが載っていた。>

 ガイガーの店の内部の描写である。青い絨毯といい、安楽椅子といい、じっくり本を物色できる落ち着いた店内の様子。箔押しの革装本というのは、あちらでは気に入った本を自分好みの装丁で揃えるのが普通のやり方だから。

 Nice-looking merchandise, the kind a rich promoter would buy by the yard and have somebody paste his boookplate in.

 「見てくれのいい商品だ。金持が一ヤードいくらでごっそり買い、それに合わせて本だなをつくるにぐあいのいい種類の本だ」(双葉)

「なかなか見栄えのする商品だ。金持ちがヤード単位で購入し、誰かに蔵書票を貼り付けさせるような類の本だ」(村上)

 ここは双葉氏の誤訳。“boookplate”を「本棚」に貼り付ける「何某蔵書」とかのプレートと思い込んでしまったのかもしれない。「蔵書票」という文化が今ほど知られていない時代の訳だからだろうか。それに続く“At th back”を二人とも、「店の奥には」と訳している。直訳すれば「背後には」だろう。ここのところ、冒頭に続いてマーロウの一人称視点によるガイガーの店の外部から内部への視点移動である。映画のキャメラが部屋をなめるように見ていくところだ。マーロウの眼は、まず足下から椅子、そしてテーブル、その上の本、そして壁のガラスケースと次第に上がっていっている。今見ているのがガラスケースなら、当然ガラスにはマーロウの背後が映り込んでいるはずで、そう考えると“At th back”は「背後には」と訳したくなるが、先に一度使っているので「後ろの方には」と訳してみた。

 In the corner made by the partition and one wall a woman sat behind a small desk with a carved wooden lantern on it.

 「仕切りと壁が交わる隅の小さな机に一人の女がひかえていた。机の上には彫刻した木製のランプがあった」(双葉)

「その仕切り壁と部屋の壁が作る角に小さなデスクがあり、女が一人そこに座っていた。デスクの上には彫り物の施された木製の卓上灯がひとつ載っている」(村上)

 原文では壁と壁が作り出すコーナーに座る女の姿が浮かびあがり、やがてその前の小机、そして机上のランタンという順番になっている。双葉訳は、隅、机、女、ランプの順。村上訳では、角、デスク、女、卓上灯の順だ。意味的には「その上に木彫が施されたランタンが載った小机の背後に一人の女が座っていた」となるが、こんな順番で紹介されたら読むほうがこんがらがってしまう。拙訳ではあえて"behind”を訳さないことで、英単語の登場順に登場させることを可能にした。双葉、村上両氏も特に訳出していない。机の前に座ろうはずもないではないか。蛇足ながら、"lantern”を双葉氏はランプ、村上氏は卓上灯と、訳されているが、中国の衝立、東洋風のがらくた、という部屋の設えからみて、この木彫を施された灯りは「ランタン」でいいのではないかと考える。

『大いなる眠り』第4章(1)

<A・G・ガイガーの店はラス・パルマスに近い大通りの北側に面していた。入口扉は中央の奥まったところに設置され、銅でトリミングされたショーウィンドウがついていた。後ろは中国製の衝立で仕切られているので店の中は見ることができなかった。ウィンドウ内は東洋風のがらくたで埋まっていた。それらに値打ちがあるかどうか、未払いの請求書を別にすれば、古物蒐集家になる気のない私に分かるはずもなかった。入口扉はガラスだったがやはり中を見通すことはできなかった。店がたいそう暗かったからだ。店の片側はビルディングへの入口になっていて、もう一方は掛売りの宝石店が派手な店を開いていた。宝石商は店の入口に立ってぶらぶらと退屈そうにしていた。長身でハンサムな白髪のユダヤ人で細身の黒っぽい服を着て、右手には九カラットはありそうなダイアの指輪をしていた。私がガイガーの店に入る時、微かな訳知り顔の微笑みを唇に浮かべた。>

 図書館で調べものをすませたマーロウは、ガイガーの店に向かう。第4章の冒頭は、よく映画で見かける中央にある入口部分を一段奥に引っ込ませ、両サイドにショーケースを設けた書店の描写から始まっている。稀覯書専門店のはずだが、ショーウィンドウにはオリエンタルなジャンクが並ぶという一種異様な店構え。不審に思ったマーロウは店の中を覗いてみるが中国のスクリーンで邪魔され、ガラス製のドアから見える店内は暗い。おまけに隣の店主は皮肉な微笑の挨拶をくれる。いったいどんな店だというのか。

 “ There was a lot of oriental junk in the windows.” 教科書に出てきそうな英文だが、双葉氏は「窓の中には、東洋のがらくた(傍点四字)が、やたらに並んでいた」。村上氏は「ウィンドウには東洋風の小間物が並べられていた」と訳している。ジャンクという言葉の持ついかがわしさや、品物の多さを伝えている点で、双葉氏の訳の方が原文に忠実と思われる。村上訳に時々見られる古い日本語の言い回しが、ここにも出ている。「小間物」という言葉、今や時代小説ぐらいにしか使われないのではないだろうか。

 “A building entrance adjoined it on one side and on the other was a glittering credit jewelry establishment.”

「店に接した片側にはこの建物への入口があり、反対側には宝石店の看板を光らせたドアがあった」(双葉訳)

「店の片側にビルディングのエントランスがあり、それを挟んで反対側には、派手ばでしい割賦販売の宝石店があった」(村上訳)

大通りに面して店舗が並ぶ一階部分の上階には別のオフィスが入っているだろうから、ビルにはエントランスが設けられているのが普通だ。ところで問題は、宝石店とガイガーの店はエントランスを挟んで隣り合っているのかどうかだ。双葉訳では、宝石店、書店、エントランスと並んでいるように読めるが、村上訳だと、書店、エントランス、宝石店の並びのように読める。原文をそのまま訳すと、「建物の入り口は、一方の側に隣接しており、もう一方はきらびやかなクレジット払いの宝飾品店だった」だろうか。マーロウの視線が左右を見渡したか、エントランス越しに宝石店に向かったかの違いだが、隣接していたと見る方が、宝石店主の微笑が強く伝わるような気がする。ただ、双葉氏の訳は意訳が過ぎて誤訳に近い。光っているのは看板ではなく店自体だし、ドアについても原文は言及していない。いかにもクレジット客相手の人目につきやすい店の構えを “glittering”と皮肉っているのだ。隣りあった店の格が分かれば、その界隈の様子が分かると言いたいのだろう。