HARD BOILED CAFE

ハードボイルド探偵小説に関する本の紹介。チャンドラーの翻訳にまつわるエッセイ等。

五冊の『ザ・ロング・グッドバイ』を読む

キャンディピンク色のビルは「よくある」のだろうか? 15 【訳文】 どんなに腕に自信があろうと動き出すには出発点が必要だ。名前、住所、地域、経歴、雰囲気といった何らかの基準になるものが。私が持っていたのは、くしゃくしゃになった黄色い紙にタイプさ…

五冊の『ザ・ロング・グッドバイ』を読む

”Desert Rose”は薔薇ではない。砂漠で採れる石だ。 14 【訳文】 翌朝、耳たぶについたタルカム・パウダーを拭いているとベルが鳴った。 玄関に行ってドアを開けると、一対のバイオレット・ブルーの瞳があった。 彼女は茶色のリネンを着て、赤唐辛子(ピメン…

五冊の『ザ・ロング・グッドバイ』を読む

山羊はビール瓶の破片を食べるか? 13 【訳文】 午前十一時には別館のダイニングルームから入って右側の三番目のブースに座っていた。壁を背にしていたので、出入りする客を見ることができた。よく晴れた朝で、スモッグはなく、上空の霧もなく、眩いばかりの…

五冊の『ザ・ロング・グッドバイ』を読む

“swing arm”はキツツキの翼か? 12 【訳文】 その手紙は階段の下にある赤と白に塗られた巣箱の形をした郵便受けに入っていた。支柱から張り出した腕木に取り付けた巣箱の屋根の上でいつもは寝ているキツツキが起きていた。それでも、ふだんなら中を覗かなか…

五冊の『ザ・ロング・グッドバイ』を読む

“perfect score”は「満点」のこと 11 【訳文】 朝、髭を剃り直し、服を着て、いつものようにダウンタウンに車を走らせ、いつもの場所に車を停めた。私が時の人であることを駐車場係が知っていたとしたら、素振りさえ見せないプロの仕事だった。私は二階に上…

五冊の『ザ・ロング・グッドバイ』を読む

10 (turn+目的語+over)は「物事をあれこれ考える、熟考する)という意味 【訳文】 ポケットを探って所持品預かり証の控えを渡し、現物を確認してから原本に受領のサインをした。身の回り品をそれぞれが収まるべきポケットに戻した。受付デスクの端に覆いか…

五冊の『ザ・ロング・グッドバイ』を読む

9 “up (down) one’s street”は「お手のもの」 【訳文】 早番の夜勤の看守は肩幅の広い金髪の大男で人懐っこい笑みを浮かべていた。中年で、もはや哀れみや怒りからは縁遠くなっていた。何事もなく八時間をやり過ごすことが望みで、たいていのことは卒なくこ…

四冊の『長い別れ』を読む

8 “get a lot of business”は「もうかる」という意味 【訳文】 重罪犯監房棟の三号監房には寝台が二つ、寝台車(プルマン)スタイルでついていたが、混みあっていないようで房を独り占めできた。重罪犯監房の待遇は上々だ。特に不潔でも清潔でもない毛布が…

四冊の『長い別れ』を読む

7 “ice cream cone”は「アイスクリーム」のことではないかもしれない 【訳文】 その年の殺人課の課長はグレゴリアスという警部で、稀少になりつつあるが絶滅することはないタイプの警官だった。眩しい電球、しなやかな棍棒、腎臓への蹴り、股間への膝蹴り、…

四冊の『長い別れ』を読む

6 “count the spoons”は「スプーンの数を数える」でいいのか? 【訳文】 ティファナからの長くてうんざりする帰り道は、州内でもっとも退屈なドライブのひとつだ。ティファナには何もない。あそこで人が欲しがるのはドルだけだ。子どもが車にすり寄ってきて…

四冊の『長い別れ』を読む

5 【訳文】 銃は私に向けられていたわけではなく、ただ握られていただけだった。中位の口径の外国製オートマティックで、コルトやサヴェージでないのは確かだ。憔悴して蒼ざめた顔に傷痕、立てた襟、目深にかぶった帽子、銃を手にしたその姿は、まさに昔のギ…

四冊の『長い別れ』を読む

"I'm sorry for ~"は「~して申し訳ない」 4 【訳文】 私たちが最後にバーで飲んだのは五月のことで、時刻はいつもより早く、四時をまわったばかりだった。彼は疲れて痩せているように見えたが、おもむろに笑みを浮かべてあたりを見まわした。 「夕方に開け…

四冊の『長い別れ』を読む

3 【訳文】 クリスマスの三日前、ラスヴェガスの銀行が振り出した百ドルの小切手が送られてきた。ホテルの用箋に書かれた短い手紙が添えられていた。私への感謝があり、メリークリスマスと多幸を祈ると続け、近いうちに会いたいと書いてあった。驚かされたの…

四冊の『長い別れ』を読む 

2 【訳文】 彼にまた会ったのは感謝祭の次の週だった。ハリウッド・ブールヴァードの店は、早くも高額の値札をつけたクリスマスのがらくたで埋まりはじめ、新聞は早めにクリスマスの買い物を済ませないと大変なことになると騒ぎ出していた。いずれにせよ酷い…

四冊の『長い別れ』を読む

<The Long Goodbye>は長い間清水俊二訳が定番だった。村上春樹が単なるハードボイルド小説としてではなく、「準古典小説」として新訳『ロング・グッドバイ』を出したことは当時評判になった。旧訳に欠けていた部分を補填するなど意味のある仕事だったが、…

『湖中の女』を訳す 41

<We were waved across the dam>は「ダムの向こうで手が振られた」 41 【訳文】 ハイウェイを封鎖するため、パットンが何本か電話をかけ終えたとき、ピューマ湖ダムの警備に派遣されている軍曹から電話がかかってきた。我々は外に出てパットンの車に乗り込…

『湖中の女』を訳す 40

<give me a break>は「勘弁しろよ」 40 【訳文】 デガーモは壁から離れて背筋を伸ばし、うすら寒い笑みを浮かべた。右手がさっと鮮やかに動き、銃を握っていた。手首をゆるめていたので、銃口は目の前の床を指した。 彼は私を見ないで私に話しかけた。「お…

『湖中の女』を訳す 39

<need ~ing>は「受け身」で訳さなければいけない 39 【訳文】 また別の重苦しい沈黙が訪れた。パットンがその注意深くゆっくりした口調で沈黙を破った。「それはいささか乱暴な言い方だと思わんかね。ビル・チェスは自分の妻の見分けぐらいつくだろう?」…

『湖中の女』を訳す 38

<as drunk as a skunk>は「ひどく酔っぱらっている」 【訳文】 キングズリーはぴくっとからだを震わせ、目を開き、頭を動かさずに目だけ動かした。パットンを見、デガーモを見、最後に私を見た。その目はどんよりしていたが、その中で光が鋭くなった。椅子…

『湖中の女』を訳す 第三十七章

<if that's what you mean>とあるからには、言外の意味があるはず 37 【訳文】 標高五千フィートのクレストラインでは、まだ気温は上がりだしていなかった。我々はビールを求めて店に立ち寄った。車に戻ると、デガーモは脇の下のホルスターから銃を取り出…

『湖中の女』を訳す 第三十六章

<fire plug>は「点火プラグ」ではなく「消火栓」 【訳文】 36 アルハンブラで朝食を食べ、車を満タンにした。ハイウェイ七〇号線を走り、トラックを追い越しながら、車はなだらかな起伏のある牧場地帯に入っていった。私が運転した。デガーモは隅の方で…

『湖中の女』を訳す 第三十五章

<light on the fan over the door>は「ドアの上の扇風機についた明かり」じゃない。 35 【訳文】 白い二階屋で屋根は黒かった。明るい月の光が壁を照らし、まるでペンキを塗ったばかりのようだった。正面の窓の下半分には錬鉄製の格子がついていた。刈り揃…

『湖中の女』を訳す 第三十四章

<nothing on my plate>は「何もやることがない」 34【訳文】 我々は部屋を出て、六一八号室とは逆方向に廊下を歩いた。開いたままのドアから明かりが漏れていた。今は二人の私服刑事がドアの外に立ち、風でも吹いてるみたいに両手を丸めて煙草を吸っている…

『湖中の女』を訳す 第三十三章

< a double silver frame>は「二重」ではなく「二つ折り」のフレーム 33【訳文】 闇の中に下り、手探りでドアのところまで行き、ドアを開けて耳を澄ました。北向きの窓から漏れる月明かりでツインベッドが見えた。ベッドメイクされていたが、空っぽだった…

『湖中の女』を訳す 第三十三章

< a double silver frame>は「二重」ではなく「二つ折り」のフレーム 33【訳文】 闇の中に下り、手探りでドアのところまで行き、ドアを開けて耳を澄ました。北向きの窓から漏れる月明かりでツインベッドが見えた。ベッドメイクされていたが、空っぽだった…

『湖中の女』を訳す 第三十二章

<viaduct>は跨線橋ではなく高架橋。実在するポスターの汽車は橋の上を走っている。 【訳文】 32 ジンの匂いがした。冬の朝ベッドから出るために四、五杯引っかけたというようなさり気ないものでなく、太平洋が生のジンで、ボート・デッキから飛び降りた…

『湖中の女』を訳す 第三十一章(2)

バランスを崩しかけたら、ふつう何かにつかまろうとする。 【訳文】 「君はこの役を見事に演じてるよ」私は言った。「この混乱した無邪気な女のなかに透けて見える冷たさや辛辣さを含めてね。みんな君のことを大間違いしていた。君は頭が悪くて抑えがきかな…

『湖中の女』を訳す 第三十一章(1)

<frozen-faced>は「氷を削ったみたいな顔」だろうか? 【訳文】 31 彼女はまだグレイのコートを着ていた。ドアから離れて立っていたので、その前を通って、ツインの壁収納ベッドとありきたりの家具を最小限備えつけた四角い部屋に入った。窓辺のテーブル…

『湖中の女』を訳す 第三十章

<the hard rubber-smelling silence>は「ゴムの匂いのする硬質な沈黙」でいいのか? 【訳文】 30 ピーコック・ラウンジの狭い正面は、ギフト・ショップと隣り合わせていた。ショップのウィンドウの中ではクリスタルの小さな動物の一群れが街灯の光を浴びて…

『湖中の女』を訳す 第二十九章

「すまじきものは宮仕え」というのが今のマーロウの心境 【訳文】 29 深夜らしく控えめなノックの音がして、私はドアを開けに行った。クリーム色のシェトランドのスポーツコートを着て、ざっと立てた襟の内側に緑と黄色のスカーフを首に巻いたキングズリーは…