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HARD BOILED CAFE

ハードボイルド探偵小説に関する本の紹介。チャンドラーの翻訳にまつわるエッセイ等。

第1章

村上訳の『ロング・グッドバイ』を、久しぶりに再読した。前に出たとき、原書も買っておいたのだが、転勤と重なって、ゆっくり読むことができなかった。旧訳とは照らし合わせて読んだのだが、原書まで手が回らなかった。そこで、今度は、村上訳を読んだ後、原文を読んでみた。

清水訳と比べて、原文に忠実に訳されている村上訳を読んでから、原文を読むと、ほとんどそのまますらすらと読んでいけることに気づいた。ときどき分からないところがあると、それは今の日本の読者には分かりにくかろうと村上春樹が意訳しているところだった。

村上春樹も言っているが、どうして、こんな書き方をしなければならないのだろうと言いたくなるような文章が、ところどころに登場する。もってまわった言い回しに加え、チャンドラー自身もおそらくどこかから引っぱってきたと思われる俗語の多用が、よけいに話をややこしくする。

清水訳では、そういうところをあっさりとカットするか、意訳と言っていいのかどうか疑問になるくらい自由な訳になっている。

たとえば、泥酔したテリー・レノックスに妻のシルヴィアがかける言葉の冷たさを形容して、清水は「娘の態度がアイスクリームのように冷たく なった。」と訳している。これが、村上訳だと、「彼女の舌の上では今や、一匙のアイスクリームだって溶けずに残りそうである。」になる。もちろんこれが原 文に沿った訳である。こういう極端な修飾の仕方がレイモンド・チャンドラーの持ち味なのだ。特にシニカルな比喩が大の得意だ。

村上訳が出たおかげで、チャンドラーのスタイルが手にとるように分かるようになった。村上春樹は、原文と清水訳を手許に置きながら何度も読んだという。これからの読者は、村上訳と原書を照らし合わせながら何度も読むのだろう。その時、清水訳もぜひ用意するといい。清水訳の方が、原文に近い訳であることもあるからだ。

たとえば、マーロウの家で目覚めたレノックスが、家に帰るためにタクシーを呼んでくれと頼む。それに対するマーロウの返事。村上訳では、「よければ送ってあげよう」だが、清水訳は、「一台待っている」だ。原文は“You've got one waiting”だから、清水訳の方が原文の雰囲気を残している。こういう洒落た言い回しがチャンドラーを読む愉しさであることを思うと、村上訳は読者に対して親切すぎる嫌いがあるかもしれない。

それは、ハードボイルド探偵小説というジャンルを意識した清水訳と、フィッツジェラルドヘミングウェイの流れを汲む準古典小説という位置づけを意識した村上訳との差とも言えるだろう。とにかく、そういった点もふくめて、これから、いくつか気になる点を紹介していこうかと考えている。