HARD BOILED CAFE

ハードボイルド探偵小説に関する本の紹介。チャンドラーの翻訳にまつわるエッセイ等。

第31章

マーロウは、自宅で宿酔の朝を迎えていた。誰にも経験があるだろうが、何をする気にもなれず無為に時間をすごしていた。テリ-のくれた金のことを思い出しながら、それをつかう気になれないことをとりとめもなく考えている。

“ How much loyalty can a dead man use? ”

村上訳「死者に対してどこまで忠義立てをすれをすればいいのか?」を、清水氏は相変わらずカットしている。

ふだんは朝からは飲まないのだが、宿酔解消のための迎え酒をやりながら、ソファに腰掛けぐずぐずしているマーロウの独白部分。

“ I was flat and tired and dull and the passing minutes seemed to fall into a void,with a soft whirring sound,like spend rockets.”

清水訳「私は疲れきっていて、何をする気もなく、過ぎてゆく時間が消えた花火のようにぷすぷす(四字分傍点)と音を立てて空虚になっていった。」

村上訳「ぐったりとして何をする気もおきず、ただ気怠く時を過ごしていた。一刻一刻はロケットが失速するときのような、気のないむなしい音とともに、ただ虚空の中に消えていった。」

前半部分はいいだろう。問題は後半部だ。“ spend rockets ”とは何か。どうやら微かな回転音のような音をたてるもののようだが。“ rocket ”は、文字通り「ロケット」なのか、それとも「打ち上げ花火」なのだろうか。空しく過ぎてゆく時を喩えるのに、失速したロケットの比喩というのは如何なも のか。少し唐突すぎるのではないだろうか。だいいち、ロケットが失速するときの音を誰がどこで聞けるだろう。ここは、打ち上げ花火が消えてゆくときにたてる微かな音の方が相応しかろう。ただ、原文の“ rocket ” を知らない日本人読者には清水氏の「消えた花火のようにぷすぷす(四字分傍点)と音を立てて」という訳では、手持ち花火のようにも読めてしまう。ここはや はり打ち揚げ花火であることが分かるように訳してほしいところ。たとえば「時は、(打ち揚げ)花火が消えてゆく時のような微かな音をたてて過ぎていった」 のように。

お互い思うところのあるマーロウとリンダ・ローリングの会話はうまくかみ合わないようだが、夫人の言葉からマーロウは、ロジャーとリンダの妹 が付き合っていたことを確信する。リンダは、探偵がそれを知っているか探りを入れにきていたらしい。時計を気にしていたリンダは、マーロウをお茶に誘う。 ハーラン・ポッター氏がマーロウに会いたがっているというのだ。