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HARD BOILED CAFE

ハードボイルド探偵小説に関する本の紹介。チャンドラーの翻訳にまつわるエッセイ等。

第45章

事務所に戻ったマーロウは、たまっていた郵便物をボールに見立て、郵便受けからデスクへ、デスクから屑籠へ、と併殺プレイを独演し、ほこりを払ったデスクの上に写真複写を広げると、もう一度読んだ。そして、顔見知りの新聞記者であるモーガンに電話をかけた。新聞に載せようというのだ。モーガンは上役と相談し、掲載を請合った。しかし、それは危険なことだと、マーロウに忠告する。

告白書にあるアイリーンの文章の引用である。
“ He should have died young in the snow of Norway, my lover that I gave to death. ”
清水訳
「彼は私が死の神の手にゆだねた恋人として、ノルウェイの雪のなかで若くして死ぬべきだったのです」
村上訳
「あの人はノルウェイの雪の中で、若くして死んでいるべきだったのです。私がこの身のすべてを捧げた恋人として」
何という身勝手な言い種だろうか。こんな女に見込まれたら命がいくつあっても足りはしない。それはともかく、“ gave to death ” の取り扱いにちがいが見える。「死の神の手にゆだねた恋人として」という清水氏の訳はなかなかロマンティックではあるが、“ death ” を「死神」と読むには、頭文字が大文字でなければならない。“ ― to death ” には「死ぬほど」という意味がある。「私のすべてを与えた恋人として」の方が通りがいいようだ。

写真複写の内容を問うモーガンに、マーロウが返す言葉。
” It breaks open a couple of things they hid behind the ice box. ”
清水訳「検事局が冷蔵庫のうしろにかくしてしまった事件が二つ明るみに出るのさ」
村上訳「公表すれば、彼らが隠していたいくつかの事件が世間に暴かれることになる」
「二つ」と限定してしまうより、「いくつかの」という含みを残すほうが、こうした仄めかしには効果的だと思うが、村上氏の意訳は、ちと味気ない。めずらしく、清水訳の方が逐語訳に近く、いい味を出している。翻訳ではいずれにせよ伝えようがないのだが、“ open ” という語は、少し後ろに来る “ box ” という語にかかるのではないだろうか。この短い文の中には、秘密の開示の暗喩である「箱を開ける」という言葉が隠されているのだ。

上役と相談したいというモーガンの言葉に同意し、電話を切ったマーロウは、階下にあるドラッグ・ストアでチキン・サラダ・サンドウィッチを食べ、コーヒーを飲む。煮出しすぎたコーヒーと古いシャツのような味のチキンと、どうにもひどい食事らしく、マーロウはいささか自嘲しつつ次のように述懐する。
“ Americans will eat anything if it is toasted and held together with a couple of toothpicks and has lettuce sticking out of the sides, preferably a little wilted. ”
清水訳
「アメリカ人はトーストされていて、楊枝がつきさしてあって、わきからレタスがはみ出していさえすれば、どんなものでも食べる。そのレタスも少々しおれているのがふつうだ。」
村上訳
「トーストされ、二本の楊枝でとめられ、レタスがわきからはみ出していれば、アメリカ人はどんなものだって文句を言わずに食べる。そのレタスがほどよくしなびていれば、もう言うことはない。」
語順こそちがえほぼ同じ訳に見えるが、最後が異なる。その皮肉っぽい口調から、村上訳が原文の味に近い。

上役の同意を得て、意気揚々とモーガンが事務所を訪れる。写真複写を手にしたモーガンの様子である。
“ He looked very exited ― about as exited as a mortician at a cheap funeral. ” 
清水訳「ひどく興奮しているようだった。」
村上訳「とても興奮しているように見えた。安物の葬式で張り切っている葬儀屋みたいに。」
他のハード・ボイルド作家の文体に調子を合わせてでもいるのか、清水氏は相変わらず後半部の比喩をカットしている。しかし、チャンドラーの愛読者にとっては、こういうちょっとした比喩が大事なのだ。村上氏が自分で訳してみたいと思ったのも、きっとこういうところを余すところなく訳出したいという気持ちだったにちがいない。

モーガンの上司であるシャーマンが直接マーロウと話す。写真複写を渡す条件の交渉に入り、この手の事件に手を出すのは我が社しかない、と威丈高になるシャーマンに、レノックス事件のときはそうではなかったろう、と返すマーロウ。シャーマンは、あの時点では話がスキャンダルまみれだったと、言い訳しながら、次のように続ける。
“ There was no question of who was guilty. ”
清水訳「だれの罪であるかということは問題になっていなかった」
村上訳「そして、だれが犯人か疑問の余地はなかった」
シルヴィア・レノックスが撃たれて殺された事件である。「だれの罪であるかということは問題になっていなかった」というのはいかにもおかしい。写真複写の告白文が登場するまでは、犯人は夫であるレノックスという説に疑問の入り込む隙はなかったというのが、相手に言い分であろう。

マーロウのいう条件とは告白文を一字の削除もなく写真複写のまま新聞に掲載することだ。上司との話を終えたモーガンは、マーロウに結果を伝える。
“ Reduced to half size it will take about half of page 1A. ”
清水訳「半分の大きさに複写して、第一ページに出すそうだ。」
村上訳「半分のサイズに縮小して、第一面のおおよそ半分をあてることになる。」
細かいようだが、相手は新聞である。「第一面」というのが、どんな意味を持つのかは誰でも知っている。第一ページというのはどうか。さらに、紙面のどれだけが一つの記事の写真資料に占められるのかという点も大事なことだ。一面を見た読者の眼に縮小版ではあれ、一面の半分の大きさで掲載されれば、読者は直にアイリーンの文章を読むことができる、と予想がつく。マーロウが写真複写を手渡すには充分な条件であろう。

モーガンは写真複写を手にした後、ちょっとした仕種を見せる。
“ He held it and pulled at the tip of his long nose. ”
清水訳「彼はそれをうけとると、紙の端を長い鼻の先にふれた。」
村上訳「モーガンはそれを持ち、長い鼻の先を指で引っ張った。」
束ねた紙を鼻の先にふれる仕種というのは映画等で見かけることがある。おそらく清水氏の頭にそういう情景が浮かび上がったのだろう。しかし、紙の先で“ pull ” (引く)のは至難の技にちがいない。居心地は悪いが、もう一方の手の指先で鼻を引っ張ったと考えるしかない。絵柄からは圧倒的に清水訳なのだが。モーガンはその仕種に続けて、マーロウは馬鹿だという。告白書の公表によって迷惑を被る手合いが大勢いる。その報復を考えないのか、と。長くなるが全文を引用する。

“ Why? ” Morgan drawled. “ Because those boys have to make it stick. If they take trouble to tell you to lay off, you lay off. If you don’t and they let you get away with it they look weak. The hard boys that run the business, the big wheels,the board of directors, don’t have any use for weak people. They’re dangerous. ”

清水訳
「あの連中がいったことは法律と同じことなんだ。わざわざ出かけてきて、手を引けといったのなら、手を引く方がりこうだ。あんたが手を引かないのに、あの連中がそのままにしておくと、意気地がないように見られる。あの連中の上に立っているボスがだまっているはずはない。あの連中は危険な人間だ。」
村上訳
「どうしてそこまでやると思う?」モーガンは間延びした声で言った。「見せしめというのが大事だからさ。彼らがわざわざ出向いて誰かに『手を引け』と言ったら、その誰かさんはすぐさま手を引かなくちゃならない。もし相手の言うことを素直に聞かず、それを黙って見過ごしたりしたら、彼らはやわだと思われる。ビジネスの中核にいる連中は容赦を知らない。ボス連中。幹部連中。彼らはやわな人間に用はない。弱い人間はただ危険なだけだ。」

清水氏は最初の部分を大胆に省略し、意訳を試みている。村上氏の「見せしめというのが大事だからさ」も意訳で、原文にない語をわざわざつけ加えている。「見せしめ」というのは、ビッグ・ウィリー・マグーンが調子に乗りすぎて、メネンデスらによって散々な眼に合わされたことを指している。ここで「連中」もしくは「彼ら」と呼ばれているのは、メネンデスやアゴスティーノのような下っ端のギャングたちを指している。実際に手を下す輩だ。“ make it stick ”というのは、貼りついたもの(sticker=ステッカー)が剥がれない状態を言う言い回しで、転じて「主張を裏づけする」という意味で使われることもある。彼らは一度口にしたことは徹底的に遂行せねばならない。中途半端に放置すれば、彼ら自身の評価にかかわるからだ。彼らは民衆と幹部連中の間に立つ中間管理職のようなもので、役に立たないと見れば処分される、弱い存在なのである。と、すれば冒頭部分、私ならこう訳す。
拙訳「どうしてかって?」モーガンはもの憂げに言った。「奴らは、言ったことの裏づけをとらなきゃならないからさ。」

そう考えると、清水氏の「あの連中は危険な人間だ」という訳は、どうかと思われる。最後の“ They ” が指しているのは誰のことか、というわけだ。清水氏の訳では。危険なのはボス連中ということになる。しかし、文脈から考えれば、“ They ” は、その前の“ weak people ” を受けていると読むのが自然である。"weak people ” つまり、「やわな人間」は危険だ、ということになる。しめしがつかない組織は箍が緩み、やがて自己崩壊する。村上氏の「弱い人間はただ危険なだけだ」は、その意を汲んだ見事な訳になっていると思う。

先ほどの引用の後に、モーガンは、「そして、クリス・メイディーがいる」と、つけ加えている。メイディーというのは、マーロウも知っているネバダを取り仕切っている大物だ。「彼らは、私の名前など耳にしたこともあるまい」と、高をくくったように呟くマーロウに、モーガンは、また意味ありげな仕種をする。
" Morgan frowned and whipped an arm up and down in a meaningless gesture. ”
清水訳「モーガンは苦笑した。」
村上訳「モーガンは眉をひそめ、片腕を鞭のように上下にしならせた。意味のない動作だ。」
どうせ意味がない動作なのだ。清水氏はここでもあっさりしたものである。その点、村上氏はきちんと訳す。一見意味のない動作にこそ無意識が現われるものだからだ。おそらく、その後のモーガンの言葉のなかに出てくる「日頃の運動不足をひとつ解消してみるか」という言葉から連想される仕種だろう。メイディーの屋敷はポッター老人の隣にある。彼らがマーロウのことを知らなくても、使われている者の会話のなかに世間話のように、目障りな奴としてマーロウの名が出ることもあるだろう。それが回りまわって、L.A.のアパートにいる筋骨隆々の男に耳に入るかもしれない。そこで件の科白である。写真複写を返してほしくなったか?というモーガンに、マーロウは首を横に振り、ハーラン・ポッターは人生哲学上、ギャングを使ったりしないと思うと言う。それに対するモーガンの科白。
" stopping a murder investigation with a phone call and stopping it by knocking off the witness is just a question of method. ”
清水訳
「電話一本で殺人事件の捜査を打ち切らせるのも、証人を消しちまうのも、やり方がちがうだけのことで、どっちも文化社会の現象とは思えないね」
村上訳
「電話一本かけるとか、証人をどっかにやるかして殺人事件の捜査を中止させるのは、哲学というよりは単なる方便の問題に過ぎない」
めずらしく清水氏が多弁になっている。「どっちも文化社会の現象とは思えないね」という批判めいた言葉は原文のどこを見渡してもない。村上氏の「哲学というよりは」も、同じで、マーロウの口にしたポッター老の「人生哲学」という言葉に対するモーガンの反論の意を汲んだものである。同じ報道の世界に身を置いたものとして、モーガンは権力に物を言わせるポッター老人に反感を抱いているのだ。" For my money ” (私に言わせてもらうなら)「電話一本で殺人事件の捜査を止めるのも、証人を消すことでそれを止めるのも、方法論の問題に過ぎない」と訳すだろう。ただ、原文にない「人生を如何に生きるかに対する意見などとは関係のない」というひと言を挿入したくなる欲望にどこまで耐えられるか自信はない。