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HARD BOILED CAFE

ハードボイルド探偵小説に関する本の紹介。チャンドラーの翻訳にまつわるエッセイ等。

『大いなる眠り』第六章(3)

《クーペは大通りを西へ向かった。私は急な左折を強いられて、多くの車を敵に回した。一人の運転手など雨の中に頭を突き出し、私を怒鳴りつけた。やっと追いついたときには、クーペから二ブロックばかり遅れていた。私はガイガーが家に帰ると信じていた。二度か三度、彼を目にした。しばらくして、彼は北に折れ、ローレル・キャニオン・ドライヴに入っていった。坂道を半分ほど登ったところで車は左折し、湿ったコンクリートが曲がりくねったリボンのような、ラヴァーン・テラスと呼ばれる所に入った。高い崖に沿った細い通りで、反対側の下り斜面には小屋のような家が散らばっていた。屋根は道路に届くか届かないくらいの高さで、正面の窓は生垣や灌木で目隠しされていた。ぐしょ濡れの樹々が見渡す限りの景観に水を滴らせていた。》

 

追跡場面。急な左折が並行して走る車線のドライバーの不興を買う。右側通行のアメリカならでは。<in the groove>というイディオムが出てくる。「レコードの溝に針がぴったりとはまって音が出る」ことから、「大いに好調で」「実に素晴らしく」のような意味になる。こういう部分は、文章全体から意を汲んで訳すしかない。双葉氏は「やっと大通りの車道へ出たとき」、村上氏は「ようやく車の流れに乗ることができたとき」だ。レコード針が溝にはまるように、という比喩はCDでさえ見かけなくなった今ではほとんど意味をなさないのだろうが、アームに指をかけてカートリッジを盤面に落とすときは緊張したものだ。下手をすると針がすべってレコードに傷をつけてしまう。車が無理なく車列の中に収まった、ととらえればいいと思う。

 

<I hoped Geiger was on his way home.>を双葉氏は「私は、ガイガーが家へ帰るところならありがたいと思った」とし、村上氏は「私はガイガーが自宅に帰ることを希望していた」と直訳している。村上氏の訳は正確を期そうとするあまり、学生の英文和訳調になるところがある。これなどもその一例。それに比べ、双葉氏の訳は、正確さではひけをとるもののハードボイルド探偵小説らしさでは上をいく。いかにも追う者の気持ちが伝わってくる訳文だ。ただ、探偵というのは、犯人の心理を推理しつつ行動するもので、両氏ともに、マーロウの推理力を甘く見ている。マーロウは、ガイガーの心理を読み切っているものとして、「信じている」と訳したい。

 

次の<I caught sight of him two or three times>のところも意味は明白だが訳すとなると厄介だ。村上氏も「私は彼の姿を二度か三度ちらりと目にした」と訳している。前を行く車が角を曲がるときなどに一瞬垣間見たことを指すのだろうが、あまり上手い訳とはいえない。双葉氏はここを「見えかくれするうちに」と訳している。上手いものだ。類語辞典を引いてみても「見え隠れ」以上にぴったりくる表現は得られなかった。借用することも考えたが、ここは敬意を表してやめておくことにした。こういうときは、ぴたりとあてはまる言葉が見つかるまで、直訳調で済ますことにしている。

 

「テラス」というのは、「(道路より高くしたり、坂道に沿った)連続住宅の並び」を指す。<Terrace>と、大文字にすると地名の一部に用いられるようだ。つまり、丘の中腹を切り開いて作られた住宅地である。削り取った部分の平らな部分が道路に、垂直の部分は崖状になっている。原文は<Halfway up the grade he turned left and took a curving ribbon of wet concrete which was called Laverne Terrace.>

 

双葉訳はこうだ。「坂道を途中で左へ折れ、ぬれたコンクリートの曲がりくねった帯をたどった。ここはラヴァーン・テラスだ」。村上訳は「急な坂を半分ばかり上がったところで、彼は左折し、濡れたコンクリートのくねくねした道路に入った。ラヴァーン・テラスというのが通りの名前だ」。どこが問題だ、という声が聞こえてきそうだ。<a curving ribbon of wet concrete>(湿ったコンクリートの曲がったリボン)が表しているのは、道路だけなのか、宅地を含む一帯を表すのか、ということだ。村上訳だと、ラヴァーン・テラスは通りの名でしかない。双葉訳は原文に忠実に「通り」という単語を使っていない。通りの名前が地名になることはよくあることで、それ自体に何の問題もない。ただ、村上氏の文章を読んでいると、必要以上に通りに目が向けられている気がしてくる。マーロウの目は、道に向けられているのだろうか。その後に続く周囲一帯の景観描写から考えると、ラヴァーン・テラスはあたり一帯を指していると考えるのが妥当だろう。

 

<It was a narrow street with a high bank  on one side and a scattering of cabin-like houses built down the slope on the other side.>の<cabin-like houses >は、ログ・キャビン(丸太小屋)風の家を指しているのだろう。通常ログ・キャビンは一階建てで、ロフトつきの物もあるが、正面の窓が灌木で隠れていたり、屋根の高さが道路と同じくらいというのなら、一階建てのそれと考えられる。

 

<Their front windows were masked by hedges and shrubs.>(正面の窓は生垣や灌木で目隠しされていた)のところ、双葉氏は「表側には同じような生垣がついていた」と訳している。村上氏は「正面を向いた窓は、植え込みや茂みで目隠しされていた」だ。正面の窓は通りに面しているので、低い木や生垣で目隠しをする必要があるのだろう。後でそれが何かに使われるのかもしれない。双葉訳は、一軒の家ではなく多くの家が「同じよう」に見えたことを強調しているのだろう。(どの家も)同じような、あるいは、灌木か生垣か、どちらも(目隠しという点では)同じようなものだ、という認識がほの見える。