HARD BOILED CAFE

ハードボイルド探偵小説に関する本の紹介。チャンドラーの翻訳にまつわるエッセイ等。

『大いなる眠り』註解 第七章(5)

《閃光電球が私の見た稲光の正体だった。狂ったような叫び声は麻薬中毒の裸娘がそれに反応したものだ。三発の銃声は事の成り行きに新しい捻りを加えようとして誰かが思いついたのだろう。裏階段を降り、乱暴に車に乗り込み、大急ぎで走り去った男の思いつきだ。考えたものではないか。》

最初の文は<The flash bulb was the sheet lightning I had seen.>。<sheet lightning>は「幕電(光)」(雲に反射して幕状に光る稲光)だそうだが、「幕電」と直訳してもそのままでは何のことやら通じない。かといって「私が見た雲に反射して幕状に光る稲光は」とくだくだしく書くわけにもいかない。双葉氏は「私が見た閃光は、フラッシュだったのだ」とあっさり訳している。村上氏は「フラッシュ・ライトが私の目にした白い稲妻だった」と、最初にその光を目にしたとき「白い」と形容した部分を、上手く流用している。

その後に叫び声の話が来ることから考えてみても、ここは雷鳴を伴わないという光だけを表す「幕電」が使われているのだろう。「幕電」は、広辞苑にも載っている言葉だが、如何せん人口に膾炙していない。前のところで「閃光電球」という聞きなれない単語を使ってしまっているので、今回も使わざるを得ない。前に「稲光」と書いているので、それを踏襲して「閃光電球が私の見た稲光の正体だった」としてみた。

「考えたものではないか」と訳したところ。原文は<I could see merit in his point of view.>。直訳すれば「彼の観点には長所があるように見えた」。これを双葉氏は「なかなか味をやるな、と私は思った」。村上氏は「たしかに一理ある物の見方だ」と訳している。さすがに両氏ともこなれた訳しぶりである。

《金の縞模様の入った華奢なグラスが二つ、黒い机の端に置かれた赤い漆のトレイ上に載っていた。その傍にたっぷりな容量の瓶があり、茶色い液体が入っていた。栓を取り、匂いを嗅いだ。エーテルと何かが混じった匂いだ。おそらくアヘンチンキだろう。私はその混ぜ物を試したことはなかったが、ガイガーの家とはかなりうまくやっていたらしい。》

<fragile gold-veined glasses>を双葉氏は「金色の筋が入った薄いグラス」、村上氏は「金の網脈のついた華奢なグラス」と訳している。こういうところが実に難しい。チャンドラーの描写は事細かで何一つゆるがせにできない。<vein>は「静脈」のことで、そこから「葉脈、翅脈」などの筋目の入った文様を意味する。「網脈」という語がそれほど認知されているようにも思えないのに、村上氏がこの語を採用した意図をはかりかねる。もしかしたら、思い当たるグラスがあるのかもしれない。

次の「赤い漆のトレイ」は<red lacquer tray>だが、双葉氏は「赤いニスびきの盆」としている。さすがに「ニスびき」は錆が浮いてきている。村上氏は「赤い漆塗りのトレイ」だ。「トレイ」は今や外来語として市民権を得ている。それに続く部分、<beside a potbellied flagon of brown liquid>も厄介だ。<potbellied flagon>を双葉氏は「丸っこいガラスの細口びん」、村上氏は「下部がぼってり膨らんだ細口瓶」と訳している。

<potbellied>は「太鼓腹の、丸く大きい」という意味。<flagon>は卓上で使うように葡萄酒などを入れた大瓶のことだ。絵画などでは見たことがあるが、それを表す日本語が見当たらない。形状や用途を考えて意訳するしかない。「カラフェ」や「デキャンタ」も考えたが、後で<stopper>(栓)が出てくる。我が家にはちょうどそれにあたる酒器があるが、プレゼントされたもので、呼び名がよく分からない。


「アヘンチンキ」と訳したのは<laudanum>で、アヘン末をエーテルに浸出させたものだ。双葉氏は「阿片」、村上氏は「阿片のアルコール溶剤」と、どこまでも説明調だ。最後の文、原文は<I had never tried the mixture but it seemed to go pretty well with the Geiger menage.>。双葉氏は「私は、まだまぜた奴を飲んだことがないが、ガイガーの家には実にふさわしい感じだった」。村上氏は「私はそんなカクテルを試したことはまだないが、ガイガーの住居ではおそらく欠かせないものなのだろう」だ。

英語圏では「ローダナム」、通常は「阿片チンキ」と呼ばれる調合薬は、それほど危険な薬ではない。咳止めや鎮痛に処方箋なしで買えたほどだ。常習性もないとされ、現在でも下痢止めなどに使われている。双葉氏の訳では、マーロウはまぜてない阿片なら経験したことがあるように聞こえる。村上氏の訳は、ガイガーが特別に作った混合物のように読めるが、<laudanum>はそのままで「アヘンチンキ」を意味する名詞だ。

<pretty well>を「ふさわしい」とか「欠かせない」と意訳する必要があるのだろうか。両氏とも、「アヘンチンキ」を、何か危険な薬物と思い込んでいて、意味深な訳になっているのではないだろうか。ここは、マーロウはまだ「アヘンチンキ」という薬を飲んだことはないが、ガイガーの家では常備薬として「かなりいい」仕事をしているという意味ととればいいところではないのか。