マーロウは車でウェイド邸に向かう。冒頭、乾ききった土地の夏の真昼の情景が描かれる。埃っぽい未舗装路、舞う粉塵にまみれた潅木、疲れきってまどろむ馬、地面に座り新聞紙から何かを食べるメキシコ人。うだるような暑さに人も動物も生気を失っている。そして改行。
“ Then I was around the hill on the blacktop and in another country. ”
清水訳「車は丘をまわって、次の郡に入った。」
村上訳「丘を曲がり、舗装された道路に入るとまるで別世界になる。」
ウェイドの邸のあるアイドル・ヴァレーに入ったとたん道は舗装されている。章の最後でアイドル・ヴァレーの夏がいかに素晴らしいかをマーロウが皮肉を利かせて語る場面がある。つまり、ここは貧しいメキシコ人たちが暮らす土地と、高級住宅地であるアイドル・ヴァレーとの対比なのだ。別世界でなければ別の国とでも訳すことは可能だが、まちがっても「次の郡」ではない。清水氏は“ country ”を“ county “と読み違えたのだろう。
“ In five minutes I turned into driveway of the Wade’s house, parked and walked across the fragstones and rang the bell. ”
清水訳「五分後、私はウェイド家のドライブウェイに車を乗り入れ、玄関のベルを鳴らしていた。」
村上訳「そして五分後に私はウェイド家の車寄せに車を乗り入れた。車を停めて板石敷きの小径を歩き、玄関のベルを押した。」
この「ドライブウェイ」が曲者だ。そのままにしている清水氏は問題なしとしよう。村上氏は「車寄せ」と訳しているが、村上氏、よほどこの「車寄せ」という言葉がお好きなようで、第32章でも使っている。ただ、そのときは“ motor yard ” という語を「車寄せ」と訳していた。気になって、手持ちの広辞苑で「車寄せ」なる言葉を引いてみると、「車を寄せて乗降するために玄関に屋根を張り出して設けた所」と書いてある。ほかの場所を車寄せと呼ぶ場合もあるのかもしれないが、広辞苑に従えば、車寄せから玄関までは屋根続きで行ける距離だ。いちいち板石敷きの小径を歩いていくほどの距離ではない。ここは「私道」でいいのではないだろうか。広大なアメリカの高級住宅地である。皆が行きかう舗装道路沿いに豪邸を建てる馬鹿はいない。邸までの引き込み道路を設けていると考える方が自然だ。適当な場所に車を停め、玄関につづく敷石をわたったのだろう。
迎えに出たウェイドに続いて書斎に入ると、机の上には分厚い紙の山があった。
“ On it there was a thick pile of yellow typescript. ”
清水訳「デスクの上には、黄いろい紙にタイプで打たれた原稿がうずたかく積み重ねられてあった。」
村上訳「机の上には黄色い紙が山と積まれていた。」
めずらしく村上訳のほうが簡潔だ。ただ、いつも原文に忠実な村上氏が、“ typescript ” と書いているものをなぜわざわざ「紙」としたのかが分からない。そんな必要があるだろうか。
ウェイドは素面で元気そうだった。マーロウがそれについて言った一言を清水氏はカットしている。
“ You pick up fast. ” 村上訳「回復が早いようだね」。
休みの日なので私服を着ているキャンディーの靴の色がちがう。原文は“ Two-tone black and white shoes ” 清水氏が「黒と白の二色(ツー・トーン)の靴をはいていた」と訳しているところを、村上氏は「黒と茶色のコンビの靴」としている。間違いかと思って、文庫版も調べたが、やはり茶と黒のままだ。茶色のことをブラックというようなことがあるのだろうか。ここもよく分からないところである。
作家としての自信をなくしかけているウェイドが、マーロウに言う台詞。
“ You know how a writer can tell when he’s washed up? ”
清水訳「作家が書けなくなったときには自分がいちばんよくわかる。」
村上訳「自分が駄目になったということを、作家はどうやって知ると思う?」
ここは村上氏のように訳してもらわないと困る。所謂「修辞的疑問」文というやつだ。一応疑問文の形ではあるが、相手に答えを期待しているのではない。次に言う自分の答えを強める役割を果たしているからだ。作家業に素人であるマーロウは、「作家のことはよく知らない」というしかない。それに対して、作家ウェイドの断定的な答えが続くわけだが、清水訳の場合、ウェイドが自分で先に答えてしまっているので、「作家につきあいがないんでね」という答えが浮いてしまっている。
清水氏が省いている箇所はまだある。アイリーンがしばらく口をきいてくれないとこぼした後のところ。
“ I guess she’s had it. Up to here. “ He put the edge of one hand against his neck just under his chin.
村上訳<きっと僕にうんざりしたんだろう。このへんまで」、彼は手のひらを横にして、顎のすぐ下あたりに手をあてた。>
ウェイドの自意識過剰なところは、やや気に障るが、チャンドラー自身の投影とも考えられる重要な人物である。こういうところは少々煩く感じられても訳しておいてもらいたいところだ。もう一箇所。マーロウに小切手を切るところで“ Then on the counterfoil. ”というところも清水氏はカットしている。村上訳では「それから控えの帳面にも」と、ちゃんと訳されている。村上氏による新訳が出なければ、読み飛ばされていただろう。ウェイドという作家は、確かに酒が過ぎるし、女癖もよくないかもしれない。ただ、それでは全く駄目な男かというとそうでもない。金の管理についてはしっかりできる男なのだ。そんなことどうだっていい、という読者には余計なことかもしれないが。