HARD BOILED CAFE

ハードボイルド探偵小説に関する本の紹介。チャンドラーの翻訳にまつわるエッセイ等。

第38章

署長の待合室にはキャンディーが坐っていた。署長室には帰り支度をしたピーターセン署長がいたが、マーロウには構わず牧場に帰っていった。代わりにマーロウを尋問したのはヘルナンデスという名の警部だった。見掛け倒しの署長とちがい、警部はなかなかしたたかな男だった。夫人との間に関係があったことを仄めかすキャンディーの証言が嘘であることを証明するため、警部の許可を得てマーロウはキャンディを尋問する。警部はマ-ロウの言い分を認め帰宅させる。自室に帰ったマーロウは酒を片手に窓辺に立ち、空虚な気持ちで都市の夜の喧騒を聞くのだった。

鷹のような横顔を持つピーターセン署長という人物もアクの強い個性を漂わす。何もせずとも、その風貌で選挙には必ず勝利する署長は、尋問などしたこともない。この日も、何かあれば牧場に電話するよう警部に言い置き、愛馬の待つサン・フェルナンド・ヴァレーの牧場に帰る。「牧場に連絡すればいつでも彼をつかまえることができるのだった」と結ぶ清水氏。しかし、本当はその後に皮肉に満ちた一文があった。

“ If you couldn’t reach him in person, you could talk to one of his horses. ”

村上訳「本人が不在なら、彼の馬を電話に出してもらうといい」。

マーロウに葉巻専門店の前に立つインディアン人形と同程度の脳味噌を持つと酷評される署長である。本人がいなければ彼の馬で十分代役がつとまるというわけだ。見てくれさえよければ、何もできない木偶の坊のような人物でも当選させる民衆に対する揶揄でもある。

それでも、選挙の時期には、ピーターセン署長の椅子をねらって立候補する政治家が現れる。彼らは「さまざまな術策を弄するのだが、かつて成功した試しがなかった」(清水訳)。このさまざまな術策にあたる部分を村上訳では<そして彼のことを「既製品の横顔男」とか「究極の大根役者」とかいった言葉を用いて嘲った。しかし、そんなことをしても無駄だ>と原文どおりに訳している。括弧内のキャッチコピーを原文で引いておこう。“ The Guy With The Built-In Plofile or The Ham That Smokes Itself ” 英語圏では「大根役者」のことを「ハム・アクター」というらしい。いろいろ語源はあるようだが、どちらも見なれた食材であることは共通している。「スモーク」は、愛用の巻き煙草から出る煙と褐色の皮膚のどちらを揶揄したものだろう。「究極の大根役者」という訳は「自らを燻すハム」の意味だろうか。

ヘルナンデス警部の尋問に答えるキャンディーの声にまじる訛りについて。

“ Candy told his story in a quiet savage voice with very little accent. It seems as if he could turn that on and off at will. ”

清水訳「キャンディーは訛りのある気味の悪い声で話をした。」

村上訳「キャンディーは悪意のある静かな声で彼の話(三字分傍点)を語った。訛りはほとんど聞き取れなかった。切り替えスイッチひとつでアクセントがついたりつかなかったりするらしい。」

清水氏は後半部を訳していない。もしかしたら不法入国者であるかもしれないメキシコ人にとって警察での取り調べは気を使うだろう。できるだけ訛りを消してしゃべっていたにちがいない。「おやおや器用な真似をするじゃないか」というマーロウの内心が聞こえてきそうな村上訳である。清水訳ではメキシコ人使用人に対するステロタイプのイメージがつきまとう。後になって、マーロウに対しても鮮やかに掌を返したかのような態度を見せるキャンディーだ。そのしたたかさを印象づけておきたいところである。

キャンディーの言いなりになってマーロウを疑った結果になったことを「悪く思うな」というヘルナンデスに、「なんとも思っていないよ、警部。なんとも思っちゃいない」と答えたあと、マーロウは自分自身に言い聞かせるようにもう一度、「なんとも思っていないというのは嘘ではなかった」と繰り返している。この三度目の「なんとも思っていない」を清水氏は省略してしまっている。

最初の二つの“ No feeling at all ” のうち、最初の「なんとも思っていない」はヘルナンデスに言ったものだろう。二つ目のそれは、警部にというよりむしろ、自分自身の胸のうちを確かめながら自らに言ったものだろう。初めの“ No feeling ” は、「悪感情がないこと」を意味し、二度目のそれは、「無感情」を意味している。家に帰ってからのマーロウは都市に生きる人間の虚無的な孤独感に浸っている。

“ No feeling at all was exactly right. ” という書き出しは、ウェイドの死を間近に見ながら、それに何の感情も持たない自分、都会の中で生きるうちにそういったことになれ、無感情になってしまった自分についての自嘲の表れであり、それに続く独白は、そうした都会についてマーロウが感じる愛と憎しみの二律背反する感情の表出である。