<A・G・ガイガーの店はラス・パルマスに近い大通りの北側に面していた。入口扉は中央の奥まったところに設置され、銅でトリミングされたショーウィンドウがついていた。後ろは中国製の衝立で仕切られているので店の中は見ることができなかった。ウィンドウ内は東洋風のがらくたで埋まっていた。それらに値打ちがあるかどうか、未払いの請求書を別にすれば、古物蒐集家になる気のない私に分かるはずもなかった。入口扉はガラスだったがやはり中を見通すことはできなかった。店がたいそう暗かったからだ。店の片側はビルディングへの入口になっていて、もう一方は掛売りの宝石店が派手な店を開いていた。宝石商は店の入口に立ってぶらぶらと退屈そうにしていた。長身でハンサムな白髪のユダヤ人で細身の黒っぽい服を着て、右手には九カラットはありそうなダイアの指輪をしていた。私がガイガーの店に入る時、微かな訳知り顔の微笑みを唇に浮かべた。>
図書館で調べものをすませたマーロウは、ガイガーの店に向かう。第4章の冒頭は、よく映画で見かける中央にある入口部分を一段奥に引っ込ませ、両サイドにショーケースを設けた書店の描写から始まっている。稀覯書専門店のはずだが、ショーウィンドウにはオリエンタルなジャンクが並ぶという一種異様な店構え。不審に思ったマーロウは店の中を覗いてみるが中国のスクリーンで邪魔され、ガラス製のドアから見える店内は暗い。おまけに隣の店主は皮肉な微笑の挨拶をくれる。いったいどんな店だというのか。
“ There was a lot of oriental junk in the windows.” 教科書に出てきそうな英文だが、双葉氏は「窓の中には、東洋のがらくた(傍点四字)が、やたらに並んでいた」。村上氏は「ウィンドウには東洋風の小間物が並べられていた」と訳している。ジャンクという言葉の持ついかがわしさや、品物の多さを伝えている点で、双葉氏の訳の方が原文に忠実と思われる。村上訳に時々見られる古い日本語の言い回しが、ここにも出ている。「小間物」という言葉、今や時代小説ぐらいにしか使われないのではないだろうか。
“A building entrance adjoined it on one side and on the other was a glittering credit jewelry establishment.”
「店に接した片側にはこの建物への入口があり、反対側には宝石店の看板を光らせたドアがあった」(双葉訳)
「店の片側にビルディングのエントランスがあり、それを挟んで反対側には、派手ばでしい割賦販売の宝石店があった」(村上訳)
大通りに面して店舗が並ぶ一階部分の上階には別のオフィスが入っているだろうから、ビルにはエントランスが設けられているのが普通だ。ところで問題は、宝石店とガイガーの店はエントランスを挟んで隣り合っているのかどうかだ。双葉訳では、宝石店、書店、エントランスと並んでいるように読めるが、村上訳だと、書店、エントランス、宝石店の並びのように読める。原文をそのまま訳すと、「建物の入り口は、一方の側に隣接しており、もう一方はきらびやかなクレジット払いの宝飾品店だった」だろうか。マーロウの視線が左右を見渡したか、エントランス越しに宝石店に向かったかの違いだが、隣接していたと見る方が、宝石店主の微笑が強く伝わるような気がする。ただ、双葉氏の訳は意訳が過ぎて誤訳に近い。光っているのは看板ではなく店自体だし、ドアについても原文は言及していない。いかにもクレジット客相手の人目につきやすい店の構えを “glittering”と皮肉っているのだ。隣りあった店の格が分かれば、その界隈の様子が分かると言いたいのだろう。