HARD BOILED CAFE

ハードボイルド探偵小説に関する本の紹介。チャンドラーの翻訳にまつわるエッセイ等。

『大いなる眠り』註解 第二十三章(1)

《軽やかな足音、女の足音が見えない小径をやってくると、私の前にいた男が霧によりかかるように前に出た。女は見えなかったが、やがてぼんやりと見えてきた。尊大に構えた頭に見覚えがあった。男が素早く行動に出た。二つの影が霧の中で混ぜ合わされ、霧の一部のようだった。一瞬完全な沈黙が降りた。やがて男が言った。
 「これは銃だ、レディ。静かにしろ。霧の中でも音は伝わる。バッグを俺に渡すんだ」
 女は音を立てなかった。私は一歩前に出た。突然、男の帽子の縁にぼんやりした毛羽が見えた。娘はじっと動かず突っ立っていた。それから彼女の息づかいが、柔らかな木にやすりをかけるような耳障りな音を立て始めた。
 「声を上げてみな」男が言った。「首を掻っ切るぞ」
 彼女は大声を出さなかった。動きもしなかった。動きは彼の方にあり、耳障りな含み笑いが聞こえた。「こっちにいるほうがいいとさ」彼は言った。留め金の外れるカチッという音と手探りする音がした。男は向きを変え、私の木の方に向かってきた。三歩か四歩歩いて、また含み笑いをした。その含み笑いには聞き覚えがあった。私はポケットからパイプを取り出し、銃のように構えた。
 私はそっと呼びかけた。「おい、ラニー」
 男ははっと立ち止まり、手を上に上げはじめた。私は言った。「よせ、ラニー。それはするなと言ったはずだ。撃つぞ」
 誰も動かなかった。女は小径の向こうで動かなかった。私は動かなかった。ラニーも動かなかった。
 「バッグを下ろして両脚の間に置け」私は言った。
「ゆっくりと、焦るんじゃない」
彼は屈んだ。私は飛び出して、屈みこんでいる彼に近づいた。彼は荒い息をして体を起こし私に向き合った。両手は空っぽだった。
「教えてくれ。こんな真似をして私はただで済むのかな」私は言った。私は彼の方に身を傾け、彼のコートのポケットから銃を抜き出した。「誰かが私にいつも銃をくれる」私は彼に言った。「そのせいで、歩いている間ずっと体が曲がって動きが取れん。とっとと失せろ」
 我々の息がぶつかり合い、からみ合った。眼は塀の上の二匹の雄猫のようだった。私は一歩退いた。
 「行けよ、ラニー。恨みっこなしだ。お前が黙っていれば、私も黙っている。それでいいな?」
「いいだろう」だみ声で彼は言った。
 霧が彼をのみ込んだ。彼の足音が微かになり、やがて消えた。私はバッグを取り上げ、中身を手で確かめ、小径の方に向かった。彼女はまだじっと動かずに立ったまま、指輪が微かにきらめく手袋をしていない片手で、グレーの毛皮のコートを喉にしっかり巻きつけていた。帽子はかぶっていなかった。彼女の二つに分けた黒い髪は夜の闇の一部になっていた。両の眼も同じだった。》

「霧の中でも音は伝わる」は<sound carries in the fog>。双葉氏は「音を立てても霧で消える」と逆の意味に訳している。つまり、大声を上げても無駄だ、という意味だ。村上氏は「この霧じゃ音は遠くまで届く」と逆だ。本当はどうなのか。実は多量に水蒸気を含む霧の中では音は乾燥した空気の中より速く進むらしい。村上氏の方が正しいわけだが、原文にそこまでの意味があるだろうか。霧はものを見えにくくするが、音は伝えるということを言いたいだけではないだろうか。

双葉氏は「男の帽子の縁が見えた」と、あっさりカットしているが、「ぼんやりした毛羽」と訳したのは<foggy fuzz>。村上氏は「ぼんやりとした綿毛のようなもの」だ。<fuzz>には、どちらの意味もある。霧の中でのことだから、どちらでもいいようなものだが、なぜこんなことをわざわざ持ち出したのか、作家の意図が気になる。

「首を掻っ切るぞ」は<I’ll cut you in half>。双葉氏は「なますにするぜ」と、半分どころではない切りようだ。時代劇でもあるまいし、そんなに切り刻む必要もないだろうに。村上氏は「命はないぞ」と<cut>を無視している。持っているのは銃だといいながら<cut>と言っているのは、音を立てたくないからだ。頭と胴を切り離しても「真っ二つに」することにはならないが、その前に<Yell>(大声を上げる)と言っているのだから、ここは音を立てる原因を取り除く意味で、上記の訳にした。

「こっちにいるほうがいいとさ」は<It better be in here>。双葉氏は「こっちへはいったほうがよかろう」と訳しているが、どこへ入るのだろう。この台詞の前後に人の移動を表す記述は見られない。村上氏は「こいつは置いていってもらおう」と、バッグについての言及であることを匂わせている。霧の中のことで、マーロウにははっきりと見えていない。音だけが頼りだ。当然読者にも分からない。この辺の描写はさすがに堂に入ったものだ。

「その含み笑いには聞き覚えがあった」は<The chuckle was something out of my own memories.>。双葉氏は「聞き覚えのある笑いかただが思い出せない」と訳している。村上氏は「そのくすくす笑いにも覚えがあった」だ。ここは覚えがないと「ラニー」という呼びかけが出てこない。<something out of >はただ単に「何か」を表しているのだが、双葉氏は<out of memory>と読んで「メモリー不足」の意味にとってしまったのだろう。村上氏の「も」がよく分からない。笑い声の他の何かも覚えていたのだろうか。

「教えてくれ。こんな真似をして私はただで済むのかな」は<Tell me I can't get away with it.>。村上氏は「こんなことをしてただで済むと思うなよ、とは言わないのか」となっているが、双葉氏の訳ではスッポリ抜け落ちている。こういう人の感情を逆なでするようなことをあえて口にするのがマーロウのマーロウたる所以なので、これを訳さない手はない。否定文で使われる<get away with>には「(悪いことをして)ただで済む」の意味がある。

「眼は塀の上の二匹の雄猫のようだった」は<our eyes were like the eyes of two tomcats on a wall.>。村上氏はこれを「壁の上の二匹の雄猫のように、我々は互いを睨んだ」と訳している。たしかに<wall>は、通常「壁」だが、二匹の雄猫がにらみ合うには場所が悪かろう。ここは、双葉氏の「私たちの目は塀の上の牡猫みたいだった」の方に軍配を上げたい。「二匹の」が抜けているところが惜しいが。

「彼女の二つに分けた黒い髪は夜の闇の一部になっていた」は<Her dark parted hair was part of the darkness of the night.>。双葉氏は何と思ったのか、ここを「二つに分けられた黒い髪は花の暗さの一部に似ていた」と訳している。<night>に似たスペルを持つ「花」を表す単語が思いつかない。もしかしたら誤植だろうか。村上氏は「二つに分けられた黒髪は夜の闇の一部になっていた」と訳している。