HARD BOILED CAFE

ハードボイルド探偵小説に関する本の紹介。チャンドラーの翻訳にまつわるエッセイ等。

『さらば愛しき女よ』を読み比べるー第一章

「チャンドラーの長篇全冊読み比べ」は、チャンドラーの長篇を原書と新旧訳を読み比べる企画。今回は第三弾。「『さらば愛しき女よ』を読み比べる」。定評のあった清水俊二氏の旧訳に対し、村上春樹氏が新訳を発表した時、賛否両論の声が湧きあがった。それは単に旧訳に慣れたオールド・ファンの反発という性格のものでもなかった。英語の翻訳についての批判もかなり含まれていたように覚えている。

それまで翻訳を通じてしか知らなかったチャンドラーの世界について、もっと直に触れたいという気持が生まれたのは、村上氏がこれを機会に読み比べる読者が増えることを望んでいる、というような意味の言葉をあとがきに書いていたからだ。海外のペーパーバックが簡単に手に入るようになったことも大きかった。

それでは、とまず手にとったのが『長いお別れ』。この時は新旧訳の比較が主だった。次に『大いなる眠り』を読みかけたとき、自分でも訳してみたいという欲が出た。逐語訳でいいから、できる限り原書に近い翻訳というか、英文和訳のようなものを書きはじめた。そのうちに翻訳について書かれた本を読むようになり、いつまでも英文和訳ではいけないような気がし始め、翻訳に近づきたいと考えるようになった。

そして今回の『さらば愛しき女よ』に至る。《 》で挿まれている部分が拙訳である。その後に三冊を読み比べての感想が続く。素人のやることなので誤りも多いと思う。気がつかれたら教えていただきたいと思っています。よろしくお付き合いください。

《そこはセントラル・アヴェニューの混合ブロックの一つで、まだ黒人だけが住む地区にはなっていなかった。私は椅子が三つしかない床屋から出てきたところだった。ディミトリアス・アレイディスという名の理髪師がそこで臨時雇いで働いているかもしれないというのが紹介所の考えだった。些細な件だった。夫を家に連れ戻してくれたら礼金を払うと妻が言ったのだ。私は男を見つけ出せなかった。が、アレイディス夫人も一銭も払わずにすんだ。
 三月も終わろうかという暖かい日で、私は床屋の外に立って二階から突き出したネオンサインを見上げていた。<フロリアンズ>という名の食事と骰子博打を売りにした店だ。一人の男が同じようにネオンサインを見上げていた。男は顔にうっとりしたような表情を浮かべ、埃まみれの窓を見上げていた。まるで初めて自由の女神像を目にしたヨーロッパからの移民のように。大男だが背丈はせいぜい六フィート五インチ、肩幅もビール・トラックより広くなかった。男と私は十フィートくらい離れていた。頼みの綱の両腕はだらりと垂れ、大きな指の後ろで忘れられた葉巻から煙が上がっていた。
 通りを行き来する痩せて黙りこくった黒人たちは横目でちらりと男を見やった。男には一見の価値があった。毛羽立ったボルサリーノ帽をかぶり、ボタン代わりに白いゴルフボールのついたラフなグレイのスポーツジャケット、茶色のシャツに黄色いネクタイ、タック入りのグレイ・フランネルのスラックスに、爪先が真っ白な鰐革の靴。胸ポケットからはネクタイと揃いの鮮やかな黄色のハンカチが滝のようになだれ落ちていた。帽子の帯には色鮮やかな羽根を二本挿んでいたが、実のところそれは余分だった。セントラル・アヴェニューは世界でいちばん地味な服装で知られた場所ではないが、男はまるでエンジェル・フード・ケーキの一切れの上に乗ったタランチュラと同じくらい人目を引かなかった。
 肌の色は青白く、無精髭が伸びていた。すぐに伸びる質らしい。髪は黒い巻き毛で濃い眉はもう少しで肉厚の鼻の上で繋がりそうだった。体に似合わず小ぢんまりとした耳で、眼には涙で潤んだような輝きがあった。灰色の眼にはしばしば見受けられるものだ。男は彫像のように立っていたが、しばらくすると微笑みを浮かべた。
 男は舗道をゆっくり横切って、二階へ続く階段を隔てる両開きのスウィング・ドアまで行った。ドアを押し開け、冷たく無表情に往来を一瞥して、中に入った。男が小柄で、もっと目立たない服を着ていたら、強盗でもやるところかと思ったことだろう。しかし、あんな服装で、あの帽子をかぶって、あの体格では考えられない。
 ドアは反動で外に揺れて、あと少しで止まりそうだった。完全に静止する寸前、再び乱暴に外に開かれ、何かが舗道の上を飛び越し、駐車していた二台の車の間の溝に落ちた。それは地面に這いつくばり、追いつめられた鼠のような声をあげた。やがてゆっくり起き上がり、帽子を拾い上げ、後じさりして舗道に上った。痩せて肩幅の狭い褐色の顔の若者でライラック色のスーツにカーネーションを差していた。黒い髪を撫でつけ、口を開けてしばらく情けない声を出していた。人々はぼんやりとそれを眺めていた。それから男は帽子を斜にかぶり直し、こそこそと壁際に寄り、ぎこちない足取りで音もなくブロックを歩いて行った。
 静寂。往来が戻ってきた。私は両開きのドアに向かって歩き、その前に立った。ドアはもう動いていなかった。私とは何のかかわりもなかった。かくして、私はドアを押し開けて中を覗いた。
 暗がりから、腰掛けられそうなほど大きな手が伸びてきて私の肩をつかみ、粉々に握りつぶそうとした。それからその手がドア越しに私を引っ張り込み、苦もなく階段を一段ぶん持ち上げた。大きな顔が私を見た。深く柔らかな声が静かに私に言った。
「ここにどうして黒人がいるんだ? なあ、教えてくれよ、おい」
 そこは暗かった。人気がなかった。階上には人の立てる物音が聞こえてきたが、階段にいるのは我々だけだった。大男は真面目くさった顔で私をじっと見つめ、その手は私の肩を壊し続けていた。
「黒いのだ」彼は言った。「一人追い出してやったよ。放り出すところを見たろう?」
 男は私の肩をやっと放した。骨は折れていないようだが、腕はしびれていた。
「ここはそういう店なんだ」私は肩をさすりながら言った。「どうしろっていうんだ?」
「それを言っちゃ、おしまいだ」大男は正餐後の四匹の虎のようにそっと喉を鳴らした。「ヴェルマがここで働いてたんだ。かわいいヴェルマが」
 男は再び私の肩に手を伸ばした。避けようとしたが、相手は猫より素早かった。鉄の指が私の筋肉をさらに砕きはじめた。
「そうさ」彼は言った。「かわいいヴェルマだ。おれはもう八年も会えずにいたんだ。あんた、ここは黒いのの店になったと言うのか?」
 私はしわがれ声で、そうだと言った。
 男は私をもう二段ぶん持ち上げた。私は身をよじって肘が自由に動く余地を作ろうとした。銃を持ってきてなかった。ディミトリアス・アレイディス捜しにそんな物が要りそうだとは思わなかったのだ。銃を持ってきた方がよかったかどうかは疑わしかった。おそらく大男は私から取り上げて食べてしまうだろう。
「上に行って自分で見てみるんだな」苦しそうに聞こえないような声で、私は言った。
 男はまた私を放した。私を見る灰色の眼には悲しみのようなものがあった。「おれは気分がいいんだ」彼は言った。「誰とも喧嘩なんかしたくない。二人で上に行ってちびちびやろうじゃないか」
「あいつらが飲ませるものか。ここは黒人の店だと言ったはずだ」
「ヴェルマに八年会ってないんだ」深い悲しみを湛えた声で彼は言った。「さよならを言ってから八年もたってる。六年前から手紙も来なくなった。訳があるにちがいない。昔はここで働いていた。かわいいい娘だった。いっしょに上に行こう。なあ」
「分かった」私は叫んだ。「いっしょに行くよ。ただ運ばれるのは願い下げだ。歩かせてくれ。どこも悪くない。大人だし、便所にも一人で行ける。運ぶのだけはやめてくれ」
「かわいいヴェルマがここで働いてたんだ」彼は優しく言った。私の言うことなど聞いていなかった。
 我々は階段を上がった。自分の足で歩いた。肩はずきずきした。首の後ろがじっとり湿っていた。》

まず冒頭の「そこはセントラル・アヴェニューの混合ブロックの一つで、まだ黒人だけが住む地区にはなっていなかった」。原文は<It was one of the mixed blocks over on Central Avenue, the blocks that are not yet all Negro.>。清水氏は「セントラル街には、黒人だけが住んでいるわけではなかった。白人もまだ住んでいた」と、訳している。こなれた訳だが、黄色人種を忘れている。村上氏は如才なく「そこはセントラル・アヴェニューの混合ブロックのひとつだった。つまり黒人以外の人間も、まだ少しは住んでいるということだ」と無難に訳している。

「ディミトリアス・アレイディスという名の理髪師がそこで臨時雇いで働いているかもしれないというのが紹介所の考えだった」は<where an agency thought a relief barber named Dimitrios Aleidis might be working..>。問題はこの<agency>をどう採るかだ。清水氏は「職業紹介所からまわされたディミトリアス・アレイディスという理髪職人がそこで働いているはずなのだった」と訳している。つまり「職業紹介所」という理解である。

村上氏は「ディミトリアス・アレイディスという理髪職人がその店で臨時雇いとして働いているかも知れないという情報を、調査エージェンシーから得ていたのだ」と訳している。つまり探偵業者が頼りにする「調査エージェンシー」と考えている。マーロウは、たしかに、他の機関に調査を依頼することがある。大手の方が広く情報を収集できるからだ。しかし、職業が分かっているなら「職業紹介所」に電話するという手もある。原文からは、どちらとも判別するのは難しい。こういうときは原文通りに訳すことにしている。

「私は男を見つけ出せなかった。が、アレイディス夫人も一銭も払わずにすんだ」は<I never found him, but Mrs. Aleidis never paid me any money either.>。<never>を繰り返すことで対比の効果を狙うチャンドラーらしい文だ。前後をつなぐ<but>をどう処理するか。清水氏は「男はその店にいなかった。結局、私はアレイディス夫人から一門も金をもらえなかった」と、あっさり訳している。

村上氏はというと「結局その男は見つからなかった。でもそんなことを言えば、ミセス・アレイディスにしたって、一銭の報酬も払ってくれなかった」と一応<but>を意識した訳にしている。ただ、「私」と「夫人」を対比して<never>を使っている作家の意図は生かされていない。「私は夫人の意に沿うことができなかったが、夫人もまた私の意に沿うこと(金を出す)ことはしなかった」。これで痛み分け、ということではないのだろうか。

「頼みの綱の両腕はだらりと垂れ」は<His arms hung loose at his aides>。清水氏は「腕をぶらりと下げて」。村上氏は「両腕はだらんと脇に垂れ」と訳している。<aide>は「副官、助手」の意味だが、両氏ともこれについては無視を決め込んでいる。状態としてはその通りなのだが、何か気になる。その後大活躍することになる両腕だ。敬意を表して意訳してみたが、自信はない。

大男の奇抜な服装も要注意だ。「毛羽立ったボルサリーノ帽」は<a shaggy borsalino hat,
>。映画『ボルサリーノ』以来、知られるようになったが、もともと「ボルサリーノ」はブランド名。この店が開発したソフトな帽子が出るまでは、男性用の帽子は硬い生地で固められた物ばかりだった。問題は<shaggy>だ。「毛羽立った」の意味が主だが、「だらしない」といった意味もある。清水氏は「形のくずれたやわらかいソフト帽」と訳している。村上氏は「けばだったボルサリーノ帽」だ。材質がフェルトということで「毛羽立った」としたが、清水訳も捨てがたい。

もう一つ「タック入りのグレイ・フランネルのスラックス」<pleated gray flannel slacks>がある。清水氏は「よれよれになった灰色のフランネルのズボン」と訳す。どうやら清水氏はこの大男に、伊達ではなく落魄の気配を感じている様子が見て取れる。村上氏は「プリーツのついたグレイのフランネルのズボン」と、こちらはパリッとした印象を受けている様子。正反対だが「pleated」の「プリーツ」とは、折り目というよりは「襞」のことで、男物のズボンなら「タック」の入ったものを意味する。1940年代、ギャング・スターならズート・スーツできめていたはず。だぶだぶのズボンはツータックだったかもしれない。

「男はまるでエンジェル・フード・ケーキの一切れの上に乗ったタランチュラと同じくらい人目を引かなかった」は<he looked about as inconspicuous as a tarantula on a slice of angel food.>。清水氏は「この男はエンジェル・ケーキの上の一匹の毒蜘蛛のように人眼をひいた」。村上氏は「それでも彼はエンジェル・ケーキに乗ったタランチュラみたいに人目をひいた」だ。

<inconspicuous>は<conspicuous>「目立つ、人目を引く」の前に<not>の意味を表す接頭辞<in>がついていることで、「目立たない、人目を引かない」の意味になる。わざわざ、この語を用いているのだから、ここは逆説の用法と考えるべきではないか。それを両氏のように訳したのでは、作者の意志を裏切るような気がする。事程左様にチャンドラーの文章は素直ではない。訳者にすれば、分かりよく訳したいのはやまやまだが、そうすると原文からは外れることになる。痛しかゆしというところか。

「すぐに伸びる質らしい」は<He would always need a shave.>。清水氏は「いつでも、ひげ(傍点二字)のあとが眼につく男にちがいない」。村上氏は「いついかなるときにも髭剃りが必要に見えるタイプなのだろう」。村上氏の訳にまちがいはないのだろうが、必要以上に勿体ぶっている気がする。こういうところが評価の分かれるところだろう。

「両開きのスウィング・ドア」は<double swinging doors>。西部劇に出てくる酒場の入口を思い出してもらえればイメージしやすいのだが、近頃、西部劇自体を目にすることがないので難しいかも知れない。両側の柱に蝶番で止められた二枚のルーバーのドアだ。清水氏は「二重ドア」と訳している。これは『長いお別れ』のときにも書いたので、詳しくはそちらを。村上氏は「両開きのスイング・ドア」としている。

「ぎこちない足取り」と訳したところは<splay-footed>。清水氏は「びっこをひきながら」。村上氏は「偏平足みたいな足取り」。<splay-footed>は辞書で引くと「偏平足」と出てくる。『大いなる眠り』では<flatfoot>を使っていて、この時も双葉氏は「偏平足みたいな歩き方」と訳していた。ただ、この時は村上氏は「はたはたとした足取り」という訳を採用していたのだが、ここでは「偏平足みたいな足取り」と訳している。アメリカ人は見ただけでその人が偏平足だと分かるのだろうか。年来の疑問の一つである。

「かくして、私はドアを押し開けて中を覗いた」は<So I pushed them open and looked in.>。清水氏は「私はドアを押しあけて、中をのぞいた」と、あっさり訳している。村上氏は「なのに私はその扉を押し開け、中をのぞき込んだ。そういう性分なのだ」と、一歩踏み込んで訳している。

「私とは何のかかわりもなかった」< It wasn't any of my business.>と< I pushed them open and looked in.>をつなぐ<so>をどう扱うかのちがいだ。清水氏の「順接」という解釈もありだが、気持ち的には村上氏の「逆接」の方が原文により近い気がする。かといって「そういう性分なのだ」までつけ加えるのはどうだろう。「かくして」前述のような訳に相成った次第。

「自分の足で歩いた」は<He let me walk.>。清水氏はここをカットしている。その前に「われわれは階段を上って行った」とあるから、わざわざ書かなくても分かると考えたのかもしれない。村上氏は「彼は私を歩かせてくれた」とそのまま訳している。その通りなのだが、かなり翻訳調に感じられる訳ではある。ただ、村上訳はすべてがこの調子の翻訳調なので別に違和感はない。そういう文体と思えばいいだけのことだ。それが鼻につくようなら自分で訳してみればいい。それはそれで結構愉しい経験になる。