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HARD BOILED CAFE

ハードボイルド探偵小説に関する本の紹介。チャンドラーの翻訳にまつわるエッセイ等。

第46章

長い一日も終わろうとしていた。マーロウは車を飛ばしてヴィクターズへ向かった。開けたばかりのバーでギムレットを味わいながら、夕刊を待とうというのだ。記事はマーロウの望むとおりの形で載っていた。別の店で夕食をとって家に帰ると、バーニーから帰りに立ち寄るとの電話がかかった。やってきたバーニーは、マーロウの非協力振りをなじるが、マーロウは警察もレノックス事件はやる気が感じられなかった、とやり返す。帰り際、バーニーはマーロウの家の辺りを眺めながら、静かなところだ、と意味ありげに呟く。

告白書が公開されることで、レノックスの無実が明らかになる。ヴィクターズでギムレットを飲むことには乾杯の意味がある。ただ、残念なことに店は混んでいた。二人は開けたばかりのバーの静かなところが気に入っていたのだ。顔見知りのバーテンが声をかける。
“I haven’t seen your friend lately. The one with the green ice.”
清水訳「ちかごろお友だちを見ませんね」
村上訳「最近お友だちをお見かけしていませんね。氷みたいな緑の目の方のことですが」
清水氏、後半をカットしている。友だちがレノックスのことであるのは当然ということだろうか。

六時を回った頃、新聞売りの少年が店に入ってきた。
“One of the barkeeps yelled at him to beat it, but he managed one quick round of the customers before a waiter got hold of him and threw him out. I was one of the cusotmers.”
清水訳
「バーテンの一人が出て行けとどなったが、少年はボーイにつかまって突き出されるまでに客のあいだを急いでひと廻りした。」
村上訳
バーテンダーの一人が『出て行け』と怒鳴ったが、少年は素早く客のあいだをひと巡りした。そのあとで取り押さえられ、店から放り出された。私は新聞を買い求めた客の一人だった。」
相変わらず、最後のところを清水氏はとばしている。こうなると、癖みたいなものかもしれないな、という気がしてくる。きっと、まだるっこしいのが嫌いな性格なんだろう。けど、訳し方としては清水氏の方がワンセンテンスで書き切った原文の持つリズムを生かしている。あっという間に客に新聞を売りつけて店を出て行く少年のはしっこさは、圧倒的に清水訳の方だろう。清水訳を好む人は、こういうところに惹かれるのだ。でも、「私も客の一人だった」くらいは訳してくれてもいいと思う。

早速、開いた『ジャーナル』誌には、写真複写が掲載されていた。細かいようだが、そのところ。
“They had reversed the photostat by making it black on white and by reducing it in size they had fitted it into the top half of the page.”
清水訳
「コピーの文字の色を反対にして、白いところに文字を黒く出して、ページの上部の半分をうずめていた」
村上訳
「彼らは写真複写を白地に黒に反転し、サイズを半分に縮小して、一面の半分のスペースに収まるようにしていた」
アイリーンの遺書は、メモ用紙にしても何枚かにわたっていた。縮小せずに新聞一面の半分のスペースに収めることは不可能だろう。清水氏の訳からは“by reducing it ”にあたる部分が、すっぽり抜け落ちている。でも、村上氏は何故「半分に」縮小したことが分かったのだろうか。

それについてのモーガンの記事を読んだマーロウの印象である。
“It added nothing, deduced nothing, imputed nothing. It was clear concise businesslike reporting.”
清水訳
「何も加えてなかったし、何もはぶかれてなかった。すこぶる要領のいい書き方だった」
村上訳
「何も付け加えず、何も差し引かず、誰にも責めを負わせていなかった。明瞭にして簡潔、ビジネスライクな報告である」
三連の否定を一つはぶいてしまうあたりが清水流か。モーガンという記者の性格と仕事ぶりをマーロウが認めていることを表す部分だけに、最後まで訳してほしいところ。少し前の洋酒の宣伝文句を思い出す。あれを使わせてもらうなら、「何も足さない、何も引かない、誰も責めない。明瞭、簡潔にして事務的な報告だった」という訳になるだろうか。

モーガンの記事に比べると、社説にはいくつかの問題提起がなされていた。
“the kind a newspaper askes of public officials when they are caught with jam on their faces.”
清水訳
「官憲がしくじって面目をつぶしたときに新聞がいつも提起する質問だった」
村上訳
「偉い政治家や官僚が顔にべったりジャムをつけている現場を押さえられたときに、新聞が呈する種類の疑問だった」
“jam on one’s face” とは、「恥」を意味するイディオムである。よく似た表現をチャンドラーはもう一度使っている。バーニー・オールズが吐く捨て科白の中で“blew a raspberry in thier faces” である。村上氏も、そこは、ラズベリーを顔に、ではなく「連中の顔に泥を塗ったんだ」と意訳している。では、何故、こちらは逐語訳を採用したのだろう。どうにも首尾一貫しない訳しぶりではあるまいか。