HARD BOILED CAFE

ハードボイルド探偵小説に関する本の紹介。チャンドラーの翻訳にまつわるエッセイ等。

四冊の『長い別れ』を読む

<The Long Goodbye>は長い間清水俊二訳が定番だった。村上春樹が単なるハードボイルド小説としてではなく、「準古典小説」として新訳『ロング・グッドバイ』を出したことは当時評判になった。旧訳に欠けていた部分を補填するなど意味のある仕事だったが、…

『湖中の女』を訳す 41

<We were waved across the dam>は「ダムの向こうで手が振られた」 41 【訳文】 ハイウェイを封鎖するため、パットンが何本か電話をかけ終えたとき、ピューマ湖ダムの警備に派遣されている軍曹から電話がかかってきた。我々は外に出てパットンの車に乗り込…

『湖中の女』を訳す 40

<give me a break>は「勘弁しろよ」 40 【訳文】 デガーモは壁から離れて背筋を伸ばし、うすら寒い笑みを浮かべた。右手がさっと鮮やかに動き、銃を握っていた。手首をゆるめていたので、銃口は目の前の床を指した。 彼は私を見ないで私に話しかけた。「お…

『湖中の女』を訳す 39

<need ~ing>は「受け身」で訳さなければいけない 39 【訳文】 また別の重苦しい沈黙が訪れた。パットンがその注意深くゆっくりした口調で沈黙を破った。「それはいささか乱暴な言い方だと思わんかね。ビル・チェスは自分の妻の見分けぐらいつくだろう?」…

『湖中の女』を訳す 38

<as drunk as a skunk>は「ひどく酔っぱらっている」 【訳文】 キングズリーはぴくっとからだを震わせ、目を開き、頭を動かさずに目だけ動かした。パットンを見、デガーモを見、最後に私を見た。その目はどんよりしていたが、その中で光が鋭くなった。椅子…

『湖中の女』を訳す 第三十七章

<if that's what you mean>とあるからには、言外の意味があるはず 37 【訳文】 標高五千フィートのクレストラインでは、まだ気温は上がりだしていなかった。我々はビールを求めて店に立ち寄った。車に戻ると、デガーモは脇の下のホルスターから銃を取り出…

『湖中の女』を訳す 第三十六章

<fire plug>は「点火プラグ」ではなく「消火栓」 【訳文】 36 アルハンブラで朝食を食べ、車を満タンにした。ハイウェイ七〇号線を走り、トラックを追い越しながら、車はなだらかな起伏のある牧場地帯に入っていった。私が運転した。デガーモは隅の方で…

『湖中の女』を訳す 第三十五章

<light on the fan over the door>は「ドアの上の扇風機についた明かり」じゃない。 35 【訳文】 白い二階屋で屋根は黒かった。明るい月の光が壁を照らし、まるでペンキを塗ったばかりのようだった。正面の窓の下半分には錬鉄製の格子がついていた。刈り揃…

『湖中の女』を訳す 第三十四章

<nothing on my plate>は「何もやることがない」 34【訳文】 我々は部屋を出て、六一八号室とは逆方向に廊下を歩いた。開いたままのドアから明かりが漏れていた。今は二人の私服刑事がドアの外に立ち、風でも吹いてるみたいに両手を丸めて煙草を吸っている…

『湖中の女』を訳す 第三十三章

< a double silver frame>は「二重」ではなく「二つ折り」のフレーム 33【訳文】 闇の中に下り、手探りでドアのところまで行き、ドアを開けて耳を澄ました。北向きの窓から漏れる月明かりでツインベッドが見えた。ベッドメイクされていたが、空っぽだった…

『湖中の女』を訳す 第三十三章

< a double silver frame>は「二重」ではなく「二つ折り」のフレーム 33【訳文】 闇の中に下り、手探りでドアのところまで行き、ドアを開けて耳を澄ました。北向きの窓から漏れる月明かりでツインベッドが見えた。ベッドメイクされていたが、空っぽだった…

『湖中の女』を訳す 第三十二章

<viaduct>は跨線橋ではなく高架橋。実在するポスターの汽車は橋の上を走っている。 【訳文】 32 ジンの匂いがした。冬の朝ベッドから出るために四、五杯引っかけたというようなさり気ないものでなく、太平洋が生のジンで、ボート・デッキから飛び降りた…

『湖中の女』を訳す 第三十一章(2)

バランスを崩しかけたら、ふつう何かにつかまろうとする。 【訳文】 「君はこの役を見事に演じてるよ」私は言った。「この混乱した無邪気な女のなかに透けて見える冷たさや辛辣さを含めてね。みんな君のことを大間違いしていた。君は頭が悪くて抑えがきかな…

『湖中の女』を訳す 第三十一章(1)

<frozen-faced>は「氷を削ったみたいな顔」だろうか? 【訳文】 31 彼女はまだグレイのコートを着ていた。ドアから離れて立っていたので、その前を通って、ツインの壁収納ベッドとありきたりの家具を最小限備えつけた四角い部屋に入った。窓辺のテーブル…

『湖中の女』を訳す 第三十章

<the hard rubber-smelling silence>は「ゴムの匂いのする硬質な沈黙」でいいのか? 【訳文】 30 ピーコック・ラウンジの狭い正面は、ギフト・ショップと隣り合わせていた。ショップのウィンドウの中ではクリスタルの小さな動物の一群れが街灯の光を浴びて…

『湖中の女』を訳す 第二十九章

「すまじきものは宮仕え」というのが今のマーロウの心境 【訳文】 29 深夜らしく控えめなノックの音がして、私はドアを開けに行った。クリーム色のシェトランドのスポーツコートを着て、ざっと立てた襟の内側に緑と黄色のスカーフを首に巻いたキングズリーは…

『湖中の女』を訳す 第二十八章

<have a line on>は「~に関する情報を持っている」 【訳文】 28 ウェバーは静かに言った。「ここでは、我々のことをただの悪党だと思っている人もいるだろう。連中はこう思っている。妻を殺した男が、私に電話をかけてきて言う。『やあ、警部。ちょっと…

『湖中の女』を訳す 第二十七章

<corner office>は二つの壁面が窓になった、眺めのいい重役室のこと 【訳文】 ウェバー警部はその少し曲った尖った鼻を机越しにこちらに突き出して言った。「かけたまえ」 私は丸い背凭れの木の肘掛け椅子に腰を下ろし、左脚を椅子の角張った縁からそっと…

『湖中の女』を訳す 第二十六章

<dismal flats>は「見すぼらしい家屋」ではなく「海岸沿いの湿地」 【訳文】 監房棟はほとんど新品同様だった。軍艦の灰色に塗られた鋼鉄の壁や扉は、二、三ヵ所、噛み煙草の唾を吐かれて外観を損ねていたが、まだ塗りたての鮮やかな光沢を保っていた。頭…

『湖中の女』を訳す 第二十五章

<touched>は「気がふれた、頭が変だ」 【訳文】 ウェストモアは街外れを南北に走る通りだ。私は北に向かって車を走らせた。次の角で、もう使われていない都市間鉄道の線路をがたごとと横切り、一区画まるごと廃車置き場になっているブロックに入った。木製…

『湖中の女』を訳す 第二十四章

<play one's cards right>は「うまく立ち回りさえすれば」 【訳文】 ウェストモア・ストリートの家は、大きな家の後ろにある小さな木造の平屋だった。小さい方の家に番号表示はなかったが、手前の家のドアの横にステンシルで1618と型抜きがされ、裏に…

『湖中の女』を訳す 第二十三章(2)

<fussy about>は「(小さなことに)こだわる」 【訳文】 私はミセス・グレイソンを見た。手は動き続けていた。もう一ダースは靴下を繕い終えていた。グレイソンの長い骨ばった足で、靴下はすぐ傷むのだろう。「タリーに何が起きたんです? はめられたんで…

『湖中の女』を訳す 第二十三章(1)

<mean business>は「(冗談ではなく)本気だ」という意味 【訳文】 ロスモア・アームズは大きな前庭を囲むように建つ、暗赤色の煉瓦造りの陰気な建物だった。フラシ天を張り廻らしたロビーの中には、静寂、鉢植えの植物、犬小屋みたいに大きな籠に入れられ…

『湖中の女』を訳す 第二十二章

<bought myself a drink>が、「一人で一杯やる」という訳になる理由 【訳文】 ハリウッドに戻ってきて、オフィスに上がったのは夕暮れ時だった。ビルは空っぽで、廊下もしんとしていた。各室のドアは開いていて、中では真空掃除機や乾いたモップやはたきを…

『湖中の女』を訳す 第二十一章(2)

拳は握りしめられたのか、それとも解かれたのか? 【訳文】 私は言った。「私はロスアンジェルスのある実業家のために働いている。自分が噂の種になりたくなくて、私を雇ったわけだ。ひと月ほど前、彼の妻が家出した。そのあと、レイヴァリーと駆け落ちした…

『湖中の女』を訳す 第二十一章(1)

「大いなる熱意を込めて命令通りに行動した」とは何のことやら? 【訳文】 最初に入って来たのは、警官にしては小柄な、頬のこけた中年男で、いつも疲れているような表情をしていた。とがった鼻は少し片方に曲がっている。まるで何かを嗅ぎまわっているとき…

『湖中の女』を訳す 第二十章

<be+being+形容詞>は「いつもはちがうが、今は~している」 【訳文】 レイヴァリーの家の前に警察車両は停まっていなかった。歩道をうろつく者もなく、玄関扉を押し開けても、葉巻や煙草の煙の匂いはしなかった。窓に差していた陽が消え、蠅が一匹、片一…

『湖中の女』を訳す 第十九章

<thumb in one's eye>は「悩み(頭痛)の種」 【訳文】 彼女はハンカチに目を止め、私を見て、鉛筆を手に取り、端に付いている消しゴムで小さな麻の布をいじった。 「何がついてるの?」彼女は訊いた。「蠅捕りスプレー?」「サンダルウッドの一種、だと思…

『湖中の女を訳す』第十八章(2)

<touch>は、「殺し」の合言葉 【訳文】 彼女は少しばかり考えていた。途中で一度ちらっと私の方を見て、また目をそらした。「ミセス・アルモアに会ったのは二度だけ」彼女はゆっくり言った。「でも、あなたの質問には答えられると思う――すべてね。最後に会…

『湖中の女を訳す』第十八章(1)

<Come and see my etchings>は「ちょっと家に寄らないか」という誘い文句 【訳文】 アスレティック・クラブは、通りをはさんだ四つ辻の角にあった。トレロア・ビルディングから半ブロックほど行ったところだ。私は通りを北に横切って入口に向かった。以前…