HARD BOILED CAFE

ハードボイルド探偵小説に関する本の紹介。チャンドラーの翻訳にまつわるエッセイ等。

五冊の『ザ・ロング・グッドバイ』を読む

10

(turn+目的語+over)は「物事をあれこれ考える、熟考する)という意味

【訳文】

ポケットを探って所持品預かり証の控えを渡し、現物を確認してから原本に受領のサインをした。身の回り品をそれぞれが収まるべきポケットに戻した。受付デスクの端に覆いかぶさるように凭れている男がいた。私がデスクを離れると、背筋を伸ばし、話しかけてきた。背丈は六フィート四インチほどで針金のように痩せていた。

「家まで乗せていこうか?」

わびしい明りの下では、年齢の割に老けた若者のように見える。疲れのせいで皮肉屋っぽいが、詐欺師のようには見えなかった。「いくらだ?」

「金はいらない。《ジャーナル》のロニー・モーガンだ。勤務明けでね」

「ああ、警察に詰めているのか?」私は言った。

「今週だけだ。いつもは市庁舎に詰めている」
私たちは外に出て、駐車場にある彼の車まで歩いた。私は空を見上げた。星は出ていたが、あたりが明るすぎた。涼しくて気持ちのいい夜だった。思うさま夜気を吸い込んだ。私が乗り込むと、彼はすぐに車を出した。

「家はローレル・キャニオンの外れだ」と私は言った。「適当なところで降ろしてくれ」

「連中は乗せてきてはくれる」と彼は言った。「が、どうやって帰るかまでは気遣ってくれない。この事件に興味があるんだ。胸くそが悪くなるくらいにね」

「事件にはならないようだ」私は言った。「テリー・レノックスは拳銃自殺した。今日の午後のことだ。連中の話では、どうもそうらしい」

「実に都合がいい」フロントガラス越しに前を見つめながら、ロニー・モーガンは言った。車は静かな通りを静かに走っていた。「連中にとっちゃ大助かりだ。壁を作るのに役立つ」
「何の壁だ?」

「誰かがレノックス事件のまわりに壁を築きつつあるんだよ、マーロウ。それくらい、察しのつかないあんたでもないだろう? こんなに派手な事件なのに、やけに扱いがお粗末だ。地方検事.は今夜、ワシントンへ向かった。大会か何かだ。自分の名前を売るのに、ここ数年で最高の機会を前にしながら突然身を引いた。なぜだ? 」

「聞くだけ野暮というものだ。冷たくなってたんでね」

「誰かが見返りをくれる。それが理由だ。札束のような野暮なものじゃない。誰かが地方検事にとって重要な何かを見返りに約束したんだ。事件の関係者でそんなことができるのはただ一人、娘の父親しかいない」

私は車の隅に頭をもたせかけた。「ありそうもない話だ」私は言った。「新聞はどうなんだ? ハーラン・ポッター所有の新聞社は限られてる。競争相手だっているだろう? 」

彼はちらっと面白がるような眼でこちらを見てから、運転に集中した。「新聞社にいたことは?」

「ないね」

「新聞というのは金持ち連中によって所有され、発行されている。連中は皆、同じクラブに属している。確かに競争はある。発行部数、縄張り争い、スクープをめぐる、厳しく熾烈な競争がね。ただし、それが経営者たちの名誉、特権、立場を傷つけない限りだ。そして、もしそんなことが起きたら、蓋が落とされる。レノックスの事件は蓋をされたんだよ。レノックス事件が適切に扱われてさえいれば、新聞は飛ぶように売れただろう。 すべてが揃っているんだ。裁判には国中から特集記事用の腕利き記者が集まるはずだった。しかし、裁判は開かれない。ことが動き出す前にレノックスがくたばっちまったからだ。言ったように、非常に都合がいい。 ハーラン・ポッターとその家族のためにはね」

私は体を起こし、彼をまじまじと見た。

「すべて仕組まれていた、というのか?」

彼は皮肉っぽく口を歪ませた。「誰かがレノックスの自殺に手を貸したとも考えられる。逮捕に少し抵抗したとかいう理由でね。メキシコの警官の指は引き鉄を引きたくてむずむずしている。賭けがしたいなら、そっちに有利な率で賭けてもいい。死体に開いた穴の数なんか誰も数えちゃいないってほうにね」

「それはどうかな」と私は言った。テリー・レノックスのことはよく知っている。あの男はとうの昔に自分を見限っている。もし連中が生きたまま連れ帰ったなら、きっと連中の思い通りにさせただろう。過失による殺人の罪に服したにちがいない」

ロニー・モーガンはかぶりを振った。何を言おうとしているかはおおよそ察しがついた。彼はその通り言った。 「それはない。 もし彼がただ彼女を撃ったか、頭を叩き割っただけなら、そうかもしれない。 しかし、やり方があまりにも残忍だった。 ひどく殴られて顔はぐちゃぐちゃだった。 二級殺人で済めば御の字だが、それでさえ一悶着起きるだろう」

私は言った。「君のいう通りかも知れない」

彼はまた私を見た。「あんたはあの男を知ってたという。これはでっちあげなのか?」

「疲れたよ。今夜はもう何かを考える気分じゃない」

長い間があった。そしてロニー・モーガンが静かに言った。 「もし自分がへぼ記者なんかじゃなく、頗るつきの切れ者だったら、彼は彼女を殺ってないと思うかもしれないな」

「それも一つの考えだ」

彼は煙草を口にくわえ、ダッシュボードでマッチを擦って火をつけた。痩せた顔に眉をひそめたまま、黙って煙草を吸っていた。ローレル・キャニオンまで来ると、私はどこで大通りを外れ、私の家のある通りに入るか教えた。彼の車は丘を駆け上がり、セコイアの階段下に止まった。

私は車を降りた。「ありがとう、モーガン。一杯やっていくか?」

「またの機会に。今は一人になりたいだろう」

「一人になる時間ならいくらでもあった。もてあますくらいな」

「あんたには、別れを告げるべき友だちが一人いた」彼は言った。「誰かのために豚箱に入っていたとしたら、そいつは友だちだったにちがいない」

「誰が言った? 私がしたのはそういうことだと」

彼はかすかに微笑んだ。「記事にできなかったからといって、それを知らなかったわけじゃないよ。じゃあ、またな」

私は車のドアを閉めた。車は方向転換して丘を下っていった。テールライトが角を曲がって見えなくなると、私は階段を上り、新聞を拾い上げ、誰もいない家の中に入った。家じゅうの灯りをつけ、窓をすべて開けはなした。空気がよどんでいた。

コーヒーを淹れて飲み、コーヒー缶から五枚の百ドル札を取り出した。札はきつく巻かれ、缶の端の方に突っ込んであった。コーヒーカップを片手に行ったり来たりした。テレビをつけては消し、座っては立ち上がり、また座った。玄関前の階段に山積みされた新聞に目を通した。レノックス事件は、最初の扱いは大きかったが、その日の朝刊では後ろに移されていた。シルヴィアの写真はあったが、テリーの写真はなかった。私のスナップがあった。そんなものがあることを知らなかった。「L.A.の私立探偵、取り調べのため拘留」。エンシノにあるレノックスの家の大きな写真があった。 尖った屋根を多用した擬英国風で、窓掃除だけで百ドルはかかりそうな代物だ。二エーカーの広大な小山の上に建っている。ロス・アンジェルス地区ではかなりの不動産である。ゲストハウスの写真もあった。 本館の縮小版ともいえる建物で、生垣に囲まれていた。 どちらの写真も明らかに遠くから撮影され、その後引き伸ばしてトリミングしたものだ。新聞が「死の部屋」と呼ぶ部屋の写真はなかった。

どれも留置場内で見ていたが、もう一度新たな眼で読み、写真を見た。金持ちの美しい娘が殺され、マスコミが徹底的に排除されたということ以外、何も書かれていなかった。つまり、影響力はかなり早い段階から行使されていたのだ。犯罪担当の記者連中はさぞ無念の歯ぎしりをしたに違いない。当然のことだ。彼女が殺されたその夜、テリーがパサディナの義父と話したなら、警察に通報する前に一ダースほどの警備員が屋敷を固めていただろう。

ひとつ腑に落ちないのは、彼女の酷い殺され方だ。テリーがそんなことをするとは私には思えなかった。

私は灯りを消し、開けっ放しの窓辺に座った。外の茂みでマネシツグミが眠りに就く前にいくつかトリルをおさらいし、自分の声に聞きほれていた。首がかゆかったので、髭を剃り、シャワーを浴びてベッドに入り、仰向けになって耳をすました。あたかも    遠くの暗闇の中から声が聞こえてくるかのように。すべてを明らかにしてくれるような、おだやかで忍耐強い声が。そんな声は聞こえなかったし、聞こえるはずがないとわかっていた。誰も私にレノックスの件を説明しようとはしなかった。説明の必要はなかった。犯人は自白し、彼は死んだ。検死審問すら開かれないだろう。

《ジャーナル》のロニー・モーガンが言ったように、とても都合がいい。テリー・レノックスが妻を殺したのなら、それでいい。彼を裁判にかけて、不快な詳細をすべて明らかにする必要がなくなる。もし彼が妻を殺していなかったら、それもまたよし。誰かに罪をかぶせるなら死人に限る。決して口答えしない。

【解説】

検事局の受付デスクで収監時に取り上げられた所持品を返してもらうマーロウの様子が一筆書きのようにあっさり書かれる。

I dug out the carbon of my property slip and turned it over and receipted on the original. I put my belongings back in my pockets.

清水訳は「私は所持品のリストの写しを渡して、受領書に署名した。身の回りの品をポケットにおさめた」。原文のリズムを活かした名訳だと思うが、惜しいことに“turn it over“が抜けている。

村上訳は「所有物預かりの控えを引っぱり出してそれを渡し、間違いのないことを確認してから、受領書にサインをした。上着のポケットに私物を戻した」。“turn it over“は「間違いのないことを確認してから」と訳されている。(turn+目的語+over)は「物事をあれこれ考える、熟考する)という意味だ。マーロウが何を考えているかといえば、遺漏はないか、ということに決まっている。現物と控えを照合したことを指しているのだろう。田口訳は「所持品預かり証の控えをポケットから引っぱり出し、それを係官に渡し、受取り証にサインして、自分の持ちものをポケットに入れた」と、清水訳を踏襲している。

市川訳は「私物品預かり書のコピーをポケットから取り出し係官に渡した。私物が返されると私物品預かり書の原紙に受領サインした。返された品をポケットにしまった」となっている。原文と比べると、いかにもまだるっこしい訳だと思う。しかも、肝心の“turn it over“は抜け落ちている。いいところもないではない。それまでの訳で「受領書」とされている部分を“receipted on the original”原文通り「私物品預かり書の原紙に受領サインした」としているところだ。ただ「私物品預かり書」や「受領サイン」という訳語が日本語として一般的に使われているかどうかは別だ。

所持品をポケットにしまうところが、村上訳では「上着のポケットに私物を戻した」となっている。原文は“I put my belongings back in my pockets”と“belongings”も“pockets”も複数扱いになっている。ものによってはズボンのポケットに入れたものもあるのではないだろうか。つまらないことのようだが、私立探偵という職業上、マーロウは何をどのポケットに入れて常時携行するというようなことがルーティンになっていたと思われる。そういうディテールを大切にするのも探偵小説のようなジャンルを読む楽しみではないだろうか。

建物の外に出て見上げた、久しぶりの空には星が出ていた。“There were stars but there was too much glare.” 清水訳では「星が出ていたが、あたりが明るすぎた」。村上訳も「星が出ていたが、明かりがまぶしすぎた」となっている。ところが田口訳は「星が出ていたが、さほど輝いてはいなかった」となっている。市川訳は逆に「星が輝いていた。やけに明るく感じた」だ。どうしてこんなことが起きるのか?

引用文の前に“I looked up at the sky.”という一文がある。それに続いて引用文が来る。その前半は「there were + 複数名詞」、後半は「there was + 単数名詞」になっている。つまり、前半は空に出ている「星」についての言及であり、後半は「空」自体についての言及であることがわかる。それでいうと、清水訳が最も原文に近い。村上訳では「明かり」が「星明かり」なのか「街明かり」なのかがよくわからない。田口訳は街明かりのせいで輝きの薄れた星をこう表現したのだろう。一方、市川訳では「(星が)やけに明るく感じた」と読める。これはまずいのではないだろうか。

ロニー・モーガンからレノックス事件の経緯を聞かされるマーロウ。なぜ検事は突然身を引いたかと訊かれて、答えたのが"No use to ask me. I've been in cold storage."。清水訳は「ぼくに訊いても無駄だよ。ぼくは“冷蔵庫”に入ってたんだ」。村上訳は「尋ねられても困る。ずっと檻の中に入れられていたんだぜ」。田口訳は「きみは訊く相手をまちがえてる。私はしばらく留置場に低温貯蔵されてた身なんだから」。市川訳は「私に聞くな。ずーっと豚箱に入っていた」。

“in cold storage”は「冷蔵されて、保留されて、(米俗)死んで」という意味。ニュアンスからいうと、「保留」が最も近いだろう。当局は事件が落着するまでマーロウをブタ箱に放り込んで、何もできないようにしていたわけだ。マーロウが留置場にいたのは記者であるロニー・モーガンは先刻承知だ。あえてブタ箱と訳す必要はない。「聞くだけ野暮というものだ。冷たくなってたんでね」と俗語を活かして訳してみた。

ロニー・モーガンによるその答えは「誰かが見返りをくれる。それが理由だ」。原文は“Because somebody made it worth his while, that's why." “make something worth one's while”というフレーズを分かりやすく言い換えると「何かをするために誰かに金を払うこと」だ。清水訳は「だれかが彼にそれだけのことをしてやってるからさ」。実にすっきりした訳だ。村上訳は「手を引くのとひきかえにもっとおいしいものが与えられるからだよ。さる筋からね」。田口訳は「手を引けば地方検事には誰かからその見返りが与えられる。だからさ」。市川訳は「それは地方検事が留守だと都合がいい奴がいるんだ。それで出張した」。何冊もの新訳を読んでから清水訳を読むと、改めて清水訳の凄さがわかる。

ロニー・モーガンの話を聞いたマーロウにはまだ余裕がある。それは次のパラグラフの冒頭にある“I leaned my head back in a corner of the car.”というマーロウの態度から分かる。“lean back in a ~”は「〜の背にもたれる、〜にふんぞり返る」の意。清水訳は「私は車の隅に頭をくっつけた」。村上訳は「私は車内の角のところに頭をもたせかけた」。田口訳は「私は車の隅に頭を預けて言った」。市川訳は「私は車のピラーに頭を持たれかけた」。“a corner of the car”を「ピラー」と訳すのも気になるが、問題は「持たれかける」だ。「持たれかける」という日本語はない。ここは「もたれる(自動詞)」か「(頭を)もたせかける(他動詞)」とするべきだ。

続いてロニー・モーガンはマーロウの誤りを指摘する。新聞社は社主にまつわるスキャンダルは扱わない、と。そして、こう言う“The trial would have drawn feature writers from all over the country.”。“draw”は「ものを(ある方向に)引き寄せる」。“feature writer” は「特集記事の筆者」。つまり、裁判に引き寄せられるのは、一面トップを飾る特集記事を任される各紙の敏腕記者のことだ。清水訳は「腕ききの記者」。村上訳は「花形記者」。田口訳は「特集記事専門の記者」。市川訳は「特集記者」となっている。市川訳は必要でないことには長い説明を加えるくせに必要なところでは筆を惜しむ。「特集記者」という語は一般に使われているのだろうか。寡聞にして知らない。

ロニー・モーガンの車がローレル・キャニオンに到着する。マーロウの家があるのはその外れなので、道案内が必要になる。

“We reached Laurel Canyon and I told him where to turn off the boulevard and where to turn into my street.”(ローレル・キャニオンまで来ると、私はどこで大通りを外れ、私の家のある通りに入るか教えた)

何の変哲もない文で、清水訳は「車がローレル・キャニオンにたどりついた、私は大通りからまがるところと私の家の路地にまがるところを彼に教えた」。村上訳は「ローレル・キャニオンに着いて、うちまでの道筋を私は教えた」。田口訳は「ローレル・キャニオン大通りにはいると、私はどこで大通りを離れるか指示し、その道から私の家のある通りにはいる道まで教えた」。村上訳が珍しくあっさりとしているのに驚く。田口訳はやけに詳しい。

市川訳は「幹線道路をローレル・キャニオンまで来ると、交差点を示し、そこから坂を上がるよう伝えた」。どうしてここに「坂を上がる」という原文にない指示が入るのかは第一章にその原因がある。マーロウがその年に住んでいた家の説明がそこにあるからだ。市川訳では「その家はこじんまりしていて、丘の中腹で終わる坂道に面していた」とある。原文は“It was a small hillside house on a dead-end street”清水訳は「行き止まりの通りにある丘の中腹の小さな家」。村上訳は「袋小路になった通りの、丘の斜面に建てられた小さな家」。田口訳は丘の斜面を這う袋小路に建つ小さな家」と、どれも坂道についての言及はない。

“hillside house”は、カリフォルニアを舞台にしたアメリカ映画によく登場する、斜面にへばりつくように建てられた家のことだ。マーロウの借りている家は下の道から長い階段を上がるようになっている。丘の中腹というのだから、坂道を上るのは確かだが、「丘の中腹で終わる坂道」というのは正しくない。

ロニー・モーガンは出番は多くないが、マーロウの真意を知る数少ない人物の一人だ。その彼にしてはじめて吐ける名セリフがこれだ。

"You've got a friend to say goodbye to," he said. "He must have been that if you let them toss you into the can on his account."

“toss into the can”は「ブタ箱に放り込む」という意味の俗語。“on one’s account”は「誰かの(利益の)ために」という意味。“he said”の部分を略して引用すると、清水訳は「さよならをいって別れた友だちが一人いたはずだぜ。彼のために豚箱に入ってたとしたら、それこそほんとうの友だちだったはずだ」。村上訳は「あんたにはさよならを言うべき友だちがいた。彼のために監獄にぶち込まれてもいいと思えるほどの友だちがね」。田口訳は「あんたにはさよならを言わなきゃならない友達がいた。そいつのためなら留置場に入れられてもいいと思えるほどの友達が」と村上訳を踏襲している。

市川訳は「ずっと一人だった?違うだろ、別れを告げなきゃならん友達がいたんだろ。もし誰かのために甘んじて豚箱に入ったのならその誰かだよ、私の言う友達とは」だ。「ずっと一人だった?違うだろ」という突っ込みには少し説明がいるだろう。このロニー・モーガンのセリフの前にマーロウのいかにもハード・ボイルド調のセリフがある。“I’ve got lots of time to be alone. Too damn much.” 市川氏はここを「いままでうんざりするほど一人だった。たっぷりすぎるほどな」と訳している。この訳だと、マーロウが孤独な暮らしを倦んじているように読める。ここは留置場で過ごした時間のことを言っているのではないか。因みに村上訳では「一人になる時間ならたっぷりあったよ。いやというほど」だ。市川訳はやや感傷的過ぎるように思える。

"Who said I did that?" と訊いたマーロウに返したロニー・モーガンの別れの挨拶の訳文にも違和感がある。原文はこうだ。

"Just because I can't print it don't mean I didn't know it, chum. So long. See you around."

“churn” は「おい、君」などの呼びかけの言葉。市川訳は「紙面に出ないから即、ブンヤは知らない、なんて思ったら間違いだ、おっさん。じゃな、またな」 これでは、《ジャーナル》がそこいらのゴシップ紙に思えてくる。後に分かることだが、《ジャーナル》はへたな忖度なんかとは無縁の気骨のある新聞だ。ロニー・モーガンは駆け出し記者かもしれないが、取材相手に対して「おっさん」はないだろう。清水、村上訳は“chum”を訳していない。田口訳は「記事にできないからと言って何も知らないとはかぎらない。それじゃ、探偵さん。また会おう」だ。

家に帰ったマーロウが、たまっていた新聞を読み直す場面がある。

“ It was pseudo English with a lot of peaked roof and it would have cost a hundred bucks to wash the windows.”

ハーラン・ポッターの家について、“peaked roof”を村上、田口両訳が「尖塔」と訳しているのが気になる。「尖塔」は“spire”で、“peaked roof”は「尖った屋根のこと。尖った屋根というのは棟木を持つ屋根のことで、大きな屋敷では単調になりがちな屋根に変化をつけるためのペディメント(入り口や窓などの開口部上の切妻形を形成している三角壁)を設けることがある。“peaked roof”はそれを指しているのではないか。清水訳は「とがった屋根」、市川訳は「とんがった屋根」だ。垢抜けない訳語だが「尖塔」よりはいい。

記事を読んだマーロウがシルヴィアのことをどう書いているか。これには、マーロウのシルヴィアに関する心証が現れていると見なければならない。二度の出会いがあんな具合だから、当然いい印象は抱いていない。それが訳から伝わってくるか。

“It told me nothing except that a rich and beautiful girl had been murdered and the press had been pretty thoroughly excluded.”

“a rich and beautiful girl”を清水訳は「金持の美しい女」と訳している。これが村上訳では「若くて美しい金持ちの女性」に変わる。これを受けた田口訳も「若くてきれいな金持ちの女」だ。いったいどこから「若くて」が出てくるのか? “girl”はこの場合、ハーラン・ポッターの「娘」という意味で使われているだけのことで年齢については関係がない。市川訳は「裕福で美しい女性」と訳されている。まちがってはいないが、マーロウから見たシルヴィアは「裕福で美しい女性」なんかじゃない、と思う。

なぜ新聞は屋敷の写真を撮ることができなかったか、という点についてマーロウはこう推理する。老人が雇った大勢の警備員が屋敷を固めていたはずだ、と。

“If Terry talked to his father-in-law in Pasadena the very night she was killed, there would have been a dozen guards on the estate before the police were even notified.”

“a dozen”は文字通り「一ダース」のことだが、口語では「かなりたくさん」という意味で使われることもある。清水訳は「一ダースぐらいの」。村上訳ではこれが「何十人もの」と激増する。田口訳は「十人を超える」と妥当な線に戻る。市川訳は「一ダースほどの」だ。村上氏は〈〜+s〉の“dozens”(何十の、数十の)と読み違えたのだろうか。

短い章だが、数え上げればまだまだ多くの異同がある。たとえば“Outside in a bush a mockingbird ran through a few trills”を村上訳は「茂みの外で一羽のモノマネドリが何度かトリルのおさらいをし」としているが、「茂みの外」ではなく「家の外の茂みの中」だ。“run through”を「おさらい」と訳したのは村上訳だけなので、これは実に惜しい。

この章を精読して、あらためて思うのは初めて訳した訳者のすごさである。たしかに村上氏のいう通り、何年もたてば言葉も古びてくる。手直しが必要になる部分もあるだろう。それはそれとして、原作者が生み出した登場人物の思惑や言動を英語の文脈を活かしつつ、的確な日本語に置き換えてゆくという難行をみごとにやり遂げた清水訳へのリスペクトを失ってはならないと思う。特に最新訳である市川訳は、今の時代の読者に合わせようとするあまり、当世風の言葉に頼り過ぎているきらいがある。これでは、しばらくしたらまた新しい訳が必要になるのではないか。翻訳というのはもっと長いスパンで考えるべき仕事だと思う。