HARD BOILED CAFE

ハードボイルド探偵小説に関する本の紹介。チャンドラーの翻訳にまつわるエッセイ等。

『大いなる眠り』註解 第十二章(1)

《雨が上がって、ラヴァーン・テラスの山手の樹々は緑の葉が生き生きしていた。ひんやりした午後の陽射しを浴びて、切り立った丘陵と下へ続く階段が見えた。暗闇の中で三発の銃声を響かせたあと、殺人者が駆けおりた階段だ。崖下の通りに面して二軒の小さな家が建っている。住人は銃声を聞いたかもしれないし、聞かなかったかもしれない。

 ガイガーの家の前にもブロックのどこにも何の動きもなかった。四角く刈り込まれた生垣の緑はいかにも平穏で、板葺き屋根はまだ濡れていた。その前を車でゆっくり通り過ぎながら、ある考えが頭から離れなかった。昨夜私はガレージの中を覗かなかった。ガイガーの死体が消えても、真剣に探す気になれなかった。死体が見つかれば巻き込まれるのは必至だ。しかし、死体をガレージまで引きずっていき、彼の車に乗せ、それを運転して、ロサンジェルス近郊に無数に存在する人目につかない寂しい谷間に投棄するというのは、死体の処分の仕方として悪くない方法だ。数日間、あるいは数週間は時間をかせげる。二つのことが考えられる。彼の車のキーと二人の仲間だ。それで捜す範囲がかなり狭くなる。特にそれが起きたとき、彼の私用の鍵束は私がポケットに入れていたのだから。

 ガレージを見ることはできなかった。扉は閉じられ南京錠がかかっていた。それに、私が近づくと生垣の背後で何かが動いたからだ。緑と白のチェックのコートを着て、柔らかな金髪に小さなボタンのような帽子をのせた女が迷路から出て来て、私の車を見て驚いたように立っていた。車が丘を上がってくる音が聞こえなかったようだ。それから彼女は急に身をひるがえして私の前から姿を消した。もちろん、それはカーメン・スターンウッドだった。

 私はそのまま道を上り、車を停めて歩いて戻った。白昼堂々と身をさらすのは危険な行為に思えた。私は生垣から入って行った。彼女は鍵のかかった玄関に凭れ、黙って突っ立っていた。片手がゆっくりと歯まで上がり、歯がおかしな形の親指を噛んだ。彼女の両眼の下には紫色の隈があり、顔は苦悩と焦慮で色を失っていた。

 彼女は私を見て半笑いを浮かべた。「こんにちは」空ろではかなげな声で言った。「あの――あのう――?」それは次第に小さくなり、彼女はまた親指を噛んだ。

「私を覚えているかい?」私は言った。「ダグハウス・ライリー。背が伸びすぎた男だ。思い出したかな?」

 彼女はうなずき、ひきつった微笑みがさっと彼女の顔中に広がった。

「中に入ろう」私は言った。「鍵を持っているんだ。すごいだろう?」

「あの――あの――?」

私は彼女を脇にどけ、ドアの鍵を開け、彼女を中に押し入れた。ドアを閉め直し、そこに立って匂いを嗅いだ。昼の光で見たその場所は醜悪だった。壁にかかった中国のガラクタ、敷物、凝り過ぎのランプ、チーク材の家具、ぎとぎとした色彩の乱舞、トーテムポール、エーテルとアヘンチンキの入った瓶――昼間見ると、そのすべてに人目をはばかる猥りがわしさがあった。その手の男たちのパーティーのように。》

 

「死体が見つかれば巻き込まれるのは必至だ」は<It would force my hand.>。<force a person's hand>というのは、トランプで、人に手の札を出すように仕向けること。そこから転じて「(不本意なこと、まだ決心のついていないことを)無理やり人にやらせること」を意味するイディオムである。直訳すれば「手札をさらす羽目に追いやられるだろう」か。双葉氏はこれをトバシている。村上氏は「もし見つかれば、死体は私の手を患わせることになる」と解きほぐしていて、わかりやすい。

 

「二つのことが考えられる。彼の車のキーと二人の仲間だ。それで捜す範囲がかなり狭くなる」は<That supposed two things: a key to his car and two in the party. It would narrow sector of search quite a lot>。双葉氏は、ここも切り捨て、大胆にこう意訳する。「もし死体を運んだ犯人がそうやったとすれば、ガイガーの車の鍵を持っている仲間のしわざということになる」だ。なるほど、この方がよく分かるかもしれない。因みに村上氏は「ただしそれには二つの条件が必要になる。彼の車のキーと、二人の人間だ。それで探すべき範囲はぐっと狭まる」と、逐語的に訳している。少々分かりづらくても作家がそう書いている以上、こう訳すしかない。少々原文を離れても、こなれのいい訳文を目指す双葉氏の姿勢は当時としてはもっともなものだったのかもしれないが、今では小さな親切、大きなお世話と受け取られてしまいかねない。

 

「私の車を見て驚いたように立っていた」は、<and stood looking wild-eyed at my car>。ガレージの扉に南京錠がかかっていたのもカットしている双葉氏だが、ここは「びっくりしたように私の車をながめた」と訳している。村上氏は「血走った目で私の乗った車を見た」だ。形容詞<wild-eyed>には二つの意味がある。一つ目は村上氏のように、「狂おしい、(怒った)目つき」。二つ目は、「夢想的、極端な、過激な、無謀」の意味だ。

 

いつも薬でラリっているようなカーメン・スターンウッドが、突然現れた車に対して、怒りで目を血走らせたりするだろうか? ここは、何が何だか意味がよく分からず、茫然として突っ立っていたと取る方が理にかなっている。二つ目の「夢想的」あたりがぴったりくると思う。しかし、形容詞だとすると何を形容しているのか?両氏の訳だと「見る」にかかっているようだが、それなら副詞だ。それと、両氏ともに<stood>を読み飛ばしているのが気になる。

 

ここは<looking wild-eyed>を複合語として読めばいいのではないか。「野生(のよう)に見える」と。すると、車を知らない野生児が車を目にして茫然と突っ立っている図が見えてくる。マーロウの眼に映ったカーメンは、反抗的な女性ではなく、判断力もおぼつかない、三歳児程度の知力しかない少女といったところだろう。鍵のかかった扉を前に為す術もなく立っていたら、突然車があらわれたので、びっくりしたのだ。

 

「その手の男たちのパーティーのように」とぼかしたところは<like a fag party>。< fag>は、<faggot>の略で男性の同性愛者を指す俗語。文中での使われ方から見て、かなり侮蔑的な意味で使用されている。時代が今とちがうので、仕方のないところだ。双葉氏は「パンパンの宴会」と、こちらもまた時代がかった訳だ。村上氏は「おかま(傍点三字)のパーティー」と訳している。傍点を振ることで(原文ママ)の意を表しているのだろう。LGBTの人たちの権利が認められつつある現在、こういった箇所の訳語をどうするか、悩ましいところだ。