《「その中」彼女は窓から身を乗り出して指さした。
小径に毛が生えたような狭い未舗装路で、山麓の牧場への入口みたいだった。五本の横木を渡した幅の広い木戸が切り株にぶつかるまで折り返され、何年も閉じられたことがないように見えた。高いユーカリの樹々に囲まれた小径には深い轍がついていた。トラックが通った跡だ。今は人気がなく、日に曝されているが、まだ埃っぽくはない。強い雨が降ったばかりだからだ。私は轍に沿って車を走らせた。街の往来の喧騒が急に不思議なほど遠くなった。まるでここが街中ではなく、遠く離れた白昼夢の郷ででもあるかのように。やがて、油染みてずんぐりした木造の油井櫓の、静止したウォーキング・ビームが枝の上に突き出た。錆の浮いた古い鋼鉄のケーブルがそのウォーキング・ビームを他の六台と繋いでいた。ビームはどれも動いていなかった。ここ一年は動いていないだろう。油井はもはや石油を汲み上げてはいない。積み重なった錆びた鋼管、片方の端が撓んだ荷積み用プラットフォーム、ぞんざいに山積みされた半ダースほどの空のドラム罐。古い汚水溜めの澱んだ水の上に浮いた油が陽を受けて玉蟲色に光っていた。
「ここを全部使って公園にでもしようというのか?」
カーメンは顎を引いて、思い入れたっぷりに私を見た。
「そろそろ潮時かもしれない。あの汚水溜めの臭いは山羊の群にとっては毒だ。ここが君の考えていた場所なのか?」
「うん、気に入った?」
「申し分ない」荷積み用プラットフォームのそばに車を停め、我々は外に出た。耳を澄ますと、遠くの往来の音が、蜜蜂の立てる羽音のような、ぼんやりした音の織物になった。教会の墓地のように寂しいところだった。雨の後でさえ背の高いユーカリの木はまだ埃っぽく見えた。いつでも埃っぽく見える。風で折れた枝が汚水溜めの端に落ちて、平たいがさがさした葉が水の中にぶら下がっていた。
私は汚水溜めの周りを歩き、ポンプ小屋をのぞき込んだ。がらくたがいくつかあったが、最近動かせた様子はなかった。外には大きな木製の回転輪が壁に立てかけてあった。絶好の場所だった。
私は車に引き返した。少女が傍に立って髪の毛を手で梳き、日にかざしていた。「ちょうだい」と彼女は言って、手を突き出した。
私は銃を取り出し、その掌の上に置いた。私は腰をかがめ、錆びた缶をつまみ上げた。
「慌てるな」私は言った。「それには五発装填されている。私がこの缶をあの大きな木の回転輪の真ん中にあいた四角い穴に置いてくる。見えるか?」私は指さした。カーメンは首をすくめた。嬉しそうだった。「ざっと見たところ三十フィートある。私が君のところに戻るまで撃ち始めるんじゃない。分かったか?」
「分かった」彼女はくすくす笑った。
私は汚水溜めを回って戻り、大きな回転輪の真ん中に缶を置いた。素敵な的だった。もし、缶に当たらなくても、きっと外すだろうが、おそらく回転輪には当たるだろう。回転輪が小さな弾を完全に止めるだろう。しかし、カーメンはそれに当てるつもりさえなかった。
私は汚水溜めを回って引き返した。十フィートばかり戻った時、汚水溜めの縁で、娘は小さく尖った歯を残らず剥き出し、銃を挙げ、しゅうしゅうと音をたてはじめた。
私はぴたっと止まった。汚水溜めの澱んだ水が背中でひどく臭った。
「じっとしてろ、このろくでなし」彼女は言った。
銃は私の胸をねらっていた。手はかなり安定しているようだ。しゅうしゅういう音が次第に大きくなり、顔は肉を削り取られて骨のように見えた。歳をとり、劣化し、獣になりかけていた。それも、あまりいい獣ではなかった。
私は笑いかけ、そちらに向かって歩きはじめた。銃爪にかけた娘の小さな指がぴんと張って先端がみるみる白くなった。六フィートまで近づいたところで相手は撃ち出した。
銃声はピシッと鋭い音を立て、陽射しに脆い亀裂を生じさせた。それだけだ。煙すら立たなかった。私は再び立ちどまり、にやりと笑いかけた。
カーメンは立て続けにもう二発撃った。どの弾も的を外したとは思わない。小さな銃には五発入っていた。撃ったのは四発だ。私は突進した。
最後の一発を顔にもらいたくなかったので、片方に身をかわした。カーメンは細心の注意を払って、私にそれをくれた。気遣いは全然なかった。火薬の熱い吐息をわずかに感じたような気がする。
私は上体を起こした。「やれやれ、しかし君はキュートだな」私は言った。
空になった銃を握った手がぶるぶると震えはじめた。銃が手から滑り落ちた。口も震えだした。顔全体が統制を欠いていた。それから頭が左耳の方に捻れ、唇に泡が浮かんだ。呼吸がひゅうひゅうと音を立てた。体が大きく揺れた。
倒れかけたところを抱きとめた。すでに意識がなかった。私は両手を使って歯をこじ開け、口の中に丸めたハンカチを詰め込んだ。それだけするのに力を使い果たした。娘を抱き上げて車の中に入れた。それから銃を取りに戻り、ポケットに落とし込んだ。運転席に上がって車をバックさせ、轍のついた小径を引き返し、木戸を出て丘を上り、屋敷に戻った。
カーメンは車の隅でぐったりして動かなかった。ドライブウェイを家に向かって半分ほど来たところで動きはじめた。突然目が大きく狂おしく開いた。座席に座り直した。
「何があったの?」彼女は喘いだ。
「何も。どうして?」
「何かあったはず」彼女はくすくす笑った。「私漏らしてるもの」
「誰でもするさ」私は言った。
カーメンは急にくよくよと思い悩むように私を見、うめきはじめた。》
「小径に毛が生えたような狭い未舗装路で」は<It was narrow dirt road, not much more than a track>。双葉氏は「せまい埃っぽい道路だった。(丘のふもとの牧場への入口みたいな)小径だった」と訳している。<dirt>には、「塵、ほこり」の意味はあるが、<dirt road>は「未舗装の道路」の意味で、「埃っぽい」なら、この後にも出てくる<dusty>を使う。村上氏は「狭い未舗装の道だった。踏み分け道と言ってもいいくらいだ」と訳している。もう一つ、双葉氏は<not much more than>(~とあまり変わらない、~に過ぎない)を訳していない。
「五本の横木を渡した幅の広い木戸」は<A wide five-barred gate>。<five-barred gate>とは、横長の木枠に細長い板を隙間を開けて打ちつけた簡便な木戸のこと。牧場だけでなく、いろいろな場所の仕切りに使われている。普通は、斜交いにもう一枚板を打ちつけている。向こうでは<five-barred gate>で通用するが、それを表す日本語が見つからない。双葉氏はこれを「広い鉄柵のついた門」と訳しているが、そんなたいそうな代物ではない。村上氏は「横木を五本並べた幅広いゲート」と訳している。西部劇小説なんかにいい訳語があるかもしれない。
「古い汚水溜めの澱んだ水の上に浮いた油が陽を受けて玉蟲色に光っていた」は<There was the stagnant, oil-scummed water of an old sump iridescent in the sunlight.>。双葉氏は「古い溜桶には玉虫色に油を浮かしたよどんだ水が、日に光っていた」と訳している。村上氏は「石油の浮いた淀んだ水が、行き場のないまま古い沼を作り、太陽に照らされて虹色に光っていた」と訳している。<sump>には「沼」の意味もあるが、通常は「地面を掘って汚水をためるようにしたところ、汚水だめ」のことだ。「沼」と思い込んだために無理な作文になってしまっている。「古い沼を作り」のおかしさに気づかなかったのだろうか。
「あの汚水溜めの臭いは山羊の群にとっては毒だ」は<The smell of that sump would poison a herd of goats.>。双葉氏は「あの溜桶の臭気(におい)をかいだら羊どもは中毒するよ」と「山羊」を「羊」に変えているが、わざとだろうか。村上氏は「この沼のにおいじゃ、山羊の群れが全滅してしまいそうだ」と、相変わらず「沼」にこだわっている。脳内変換で<sump>が<swamp>に置き換えられているのかもしれない。
「平たいがさがさした葉が水の中にぶら下がっていた」は<the flat leathery leaves dangled in the water.>。双葉氏は「ひらたい皮みたいな葉がいくつか水に浮いていた」と訳している。村上氏も「革のような扁平な葉が水に垂れていた」と訳している。<leathery>は「革のような」という意味だが、「がさがさの、ひどく硬い」という意味もある。両氏がなぜ皮革にこだわるのかよく分からないが、折れた枝についた葉なら、水気を失い干からびているだろう。「がさがさ」の意味を採りたいところだ。
「しかし、カーメンはそれに当てるつもりさえなかったは」<However, she wasn't going to hit even that.>。双葉氏は「が、彼女はその車輪さえ射たなかった」と訳している。<be going to>を訳さない理由が分からない。村上氏は「とはいっても、実際に弾丸が撃ち込まれるわけではないのだが」と、踏み込んだ訳にしている。意図的にこう訳したのだとすれば、訳者としては出過ぎた真似だ。これは翻訳ではない。
「私漏らしてるもの」は<I wet myself.>。双葉氏は「私、びしょびしょだもの」と訳しているが、<wet oneself>は「もらす、失禁する」の意味だ。村上氏も「だって、私お漏らししてるんだもの」と訳している。