HARD BOILED CAFE

ハードボイルド探偵小説に関する本の紹介。チャンドラーの翻訳にまつわるエッセイ等。

『大いなる眠り』註解 第九章(5)

《眼鏡をかけて疲れた顔をした小男が黒い鞄を下げ、桟橋を降りてきた。彼は甲板のまずまず清潔な場所を探し当て、そこに鞄を置いた。それから帽子を脱ぎ、首の後ろをこすりながら海を眺めた。まるで何をするためにここに来たのかを知らないかのように。

 オールズが言った。「お客さんはそこにいるよ、先生。昨夜桟橋から落ちたんだ。九時から十時の間だろう。分かってるのはそれくらいだ」

 小男はむっつりと死んだ男を見た。彼は頭に指をかけ、こめかみの傷跡をじっと見た。両手で頭を動かし、男の肋骨に手を当てた。だらんとした死人の手を持ち上げ指の爪をじっと見た。彼は手を放し、それが落ちるのを見た。鞄のところに戻るとそれを開け、「到着時死亡」と印刷された書類一式を取り出すとカーボン紙を敷いた上から書き始めた。

 「明らかに首の骨折が死因だ」書きながら、彼は言った。「という事は、あまり水は飲んでいない。という事は、空気に触れたことで死後硬直が急速に進行中といえる。硬直しきる前に車から出した方がいい。硬直後に動かしたくはないだろう」

 オールズは頷いた。「死んでからどれくらいたちます?先生」

「私には分からんよ」 

 オールズは素早く彼を見て、口から葉巻をとり、一瞥をくれた。「お目にかかれて何よりです、先生。五分以内に判断がつかない検死官にかかっちゃお手上げだ」

 小男はむすっとした顔でにやりと笑い、鞄の中に書類綴りを入れ、鉛筆をヴェストに戻しクリップで留めた。「もし彼が昨夜夕食を食べてれば、教えられるがね――何時に食べたかが分かればだよ。しかし、五分以内には無理だ」

「傷跡はどうやってできたんです――落ちたときですか?」

 小男はもう一度傷跡を見て、「そうは思わんね。これは何か覆われた物で殴打されたんだ。生きているうちに皮下出血している」

ブラックジャックですか?」

「可能性は高い」

 小柄な検死官は頷くと、鞄をつかみ甲板を降りて桟橋への階段を上った。救急車がスタッコ塗りのアーチの外にバックで入りかけていた。オールズは私を見て言った。「行こうか。無駄足だったな?」

 我々は桟橋に沿って戻り、オールズのセダンに乗り込んだ。彼は力業でハイウェイの方に車の向きを変え、雨がきれいに洗い流した三レーンのハイウェイを町の方に引き返した。低く緩やかな起伏を見せる丘を通り過ぎた。黄味がかった白い砂地にピンク色の苔が段をつくっていた。海の方には数羽の鴎が波の上の何かに襲い掛かろうと輪をかいていた。沖合には白いヨットが、空に吊るされているように見えた。》

 

小男の検死官とオールズのやり取りが見もの。早く結果を知りたい捜査官とルーティン・ワークを卒なくこなす検死官の間に火花が散る。「硬直後に動かしたくはないだろう」の部分は<You won’t like doing it after.>。双葉氏は「あとだとせわがやけるよ」。村上氏は「そうしないと素直に車から降りてくれなくなるぞ」だ。両氏ともかなりの意訳を試みている。こういう何という事のない文をどう訳すかが、訳者の腕の見せ所なのかもしれない。

 

「五分以内に判断がつかない検死官にかかっちゃお手上げだ」は<A coroner’s man that can’t guess within five minutes has me beat.>。双葉氏は「五分以内で判断がつかない監察医に会っちゃ、僕もぺしゃんこだ」。村上氏は「五分以内におおよその検討をつけられない検死医に会うと、一日が薄暗くなる」と訳している。<has me beat>に、そんな意味があるのだろうか?スラング辞典でも出てこない訳だ。

 

ブラックジャックですか?」<Blackjack, huh?>の後の<Very likely.>を例によって双葉氏は省略している。頷いているからいいだろうと思ったのか。「行こうか。無駄足だったな?」は<Let’s go. Hardly worth the ride, was it?>。双葉氏は「行こうや。はるばる車を飛ばしてくるだけの値打ちはなかったな」。村上氏は「さあ、引き上げようぜ。わざわざ出向いた甲斐はあまりなかったみたいだな」だ。両氏の訳文に文句をつける気は毛頭ないが、原文の簡潔さを引き写すような訳がしたいと思っている。

 

次の「彼は力業でハイウェイの方に車の向きを変え」の「力業」という語もそうだ。原文は<He wrestled it around on the highway>だが、双葉氏は「彼は国道で車をまわし」とあっさり訳してしまっている。<wrestle>(組み打ちする・格闘する)というオールズの悪戦苦闘ぶりを訳さないのは惜しい。村上氏は「彼は半ば強引にその車をハイウェイまで進め」とさすがに<wrestle>を生かして訳しているが、レスリングを想起させる<wrestle>の訳語としては「力業」の方がぴったりくると自分では思っている。何度も言葉を置き換え、やっとおさまった時のすっきりした気持を味わうのが、ここのところ愉しみになっている。

 

逆に、今一つ納得がいかないのが「ピンク色の苔」と直訳した<pink moss>だ。双葉氏は「桃色の茨(いばら)」としているが、<moss>に「茨」の意味はない。もっともひっくり返して< moss pink >とすると「芝桜」の画像がひっかかるから、苔のように一面に地を覆う植物なら、<moss>という語を使う例があるのかもしれない。因みに村上氏も「ピンク色の苔」としている。おそらく、それより外に訳し様がなかったのだろう。

『大いなる眠り』註解 第九章(4)

《「あそこから落ちたんですよ。かなりの衝撃だったにちがいない。雨はこの辺では早いうちにやんでます。午後九時頃でしょう。壊れた木の内側は乾いている。これは雨がやんだ後を示しています。水位のある時に落ちたので、ひどく壊れてはいません。潮が半分引く以前なら遠くまで流されていたでしょうし、半分以上引いた後だったら杭近くにいたでしょう。ということは昨夜の十時を回った頃です。もしかしたら九時半頃かもしれませんが、それより前ではありません。今朝、魚を釣ろうとやってきた奴らが水の下にある車を見つけました。それで、ウィンチ付きの艀を調達して引き揚げたところ死体が見つかったわけです」

 平服の男が甲板を足の爪先でこすっていた。オールズは横目で私を見て、葉巻を紙巻き煙草のようにぴくぴく動かした。

「酔っぱらってたのか?」誰に訊くというのでもなく訊いた。

 さっきタオルで頭を拭いていた男が柵のところまで行き、大きな咳払いをしたので、みんながそちらを見た。「砂が入っちまってね」彼はそう言って唾を吐いた。「そこのお友達ほどたっぷりじゃないが」

 制服警官が言った。「酔っていたのかもしれません。すべては雨の中の孤独なパフォーマンス。酔っぱらいのやりそうなことです」

 「酔っぱらってたってことはあり得ない」平服の男は言った。「ハンド・スロットルが途中まで開かれていて、側頭部を何かで殴られている。俺に言わせりゃ、これは殺人だ」

 オールズはタオルの男を見て、「どう思うね?君」

 タオルの男は自慢気に、にやりと笑った。「自殺だね。こちとらには関係のないことだが、まあそちらさんが訊きなすったから自殺と答えたまでのことでさ。まず第一に、そいつは畝でも引くみたいに怖ろしいほど真っ直ぐ桟橋に突っ込んでる。タイヤ痕を見ればはっきり分かることでさあ。保安官の言う通り、雨が止んだ後のことでしょうよ。それからすごい勢いで桟橋にぶつかって柵をきれいに突き破った。そうでなきゃ車はひっくり返ってた。それも何回転もしてね。たいそうなスピードでまともに柵にぶつかってる。ハーフ・スロットルどころの騒ぎじゃない。車が落ちる時、手で引いたんだろう。額の傷もその時ついたのかもしれない」

 オールズは言った。「大した目利きだよ、君は。死体はもう調べたのか?」 彼は保安官代理にきいた。保安官代理は私を見、それから操舵室にもたれかかっているクルーを見た。「いいんだ。後にしよう」オールズは言った。》

 

晴れた朝。リドの白い桟橋近くに上がった黒い車。目に浮かぶような光景だ。ただ、階級や職業の異なる男が何人も登場するので、言葉の遣い方を訳し分ける必要がある。英語自体はシンプルなものだが、日本語でフラットに訳すと誰の発言なのか見当がつかなくなる。使う語彙や、敬語の使用で上下関係を区別するのが、日本語らしい訳文にする秘訣だが、あまりやり過ぎると臭くなるので、注意が必要だ。

 

「潮が半分引く以前なら遠くまで流されていたでしょうし、半分以上引いた後だったら杭近くにいたでしょう」のところは<not more than half tide or she’d have drifted farther, and noto more than half tide going out or she’d have crowded the piles.>である。村上氏から見てみよう。「半潮より水位が高ければ、車はもっと沖合まで運ばれていたでしょう。半潮より水位が低ければ、もっと杭の近くにいたでしょう」と、珍しく簡潔だ。

 

双葉氏は、というと「干潮の中ごろでしょう。中ごろより前とすれば沖へひきずられているはずです。干潮の中ごろより後だとすると防波堤に打ちつけられているはずです」と、こちらは意を尽くして訳している。気になるのは「半潮」という耳慣れない言葉だ。広辞苑で引いても出ていない。電子辞書にはあるのかもしれないが、ネットで検索すると「半潮」は中国語としては使われているようだ。厖大な数の読者を持つ村上氏が採用したことで、今後日本語として認められるかもしれない。

 

ただ、今のところ馴染みのないことはまちがいない。<half tide>という言葉を「干潮の中ごろ」とするか「半潮」という新語を使うかについては悩まなかった。意味さえ分かれば訳し様はあるものだ。スタンダードに「引き潮(Ebb tide)」という名曲がある。<half tide>も、あちらではよく使う言葉なのだろう。日本語にないのがおかしい。因みに「大潮」と「小潮」の間を「中潮」というが、<half tide>の訳語には使えない。「半潮」が使われるようになることはあるだろうか?

 

「オールズは横目で私を見て、葉巻を紙巻き煙草のようにぴくぴく動かした」は<Ohls looked sideways along his eyes at me, and twitched his little cigar like a cigarette.>だ。双葉氏は「オウルズは横目で私を見て、口の葉巻をシガレットみたいに上下に動かした」。村上氏は「オールズは横目でちらっとこちらを見て、その小さな葉巻を紙巻き煙草のように指でつまんだ」。はたして、いまオールズの葉巻は、口の中なのか、指の間なのか?

 

手がかりになりそうなのは、<twitch>だろう。「ぐいと引く」と「(痙攣的に)ぴくぴく動く」の意味がある。双葉氏は後者を採用したのだろう。村上氏は前者と取ったのかもしれない。ただ、口から葉巻を取り出すだけの動きに「ぐいと引く」意味を持つ<twitch>を使うだろうか?文の流れを考えると、一連の動作は顔周辺の動きのように取れそうだ。「オールズは横目で私を見て、彼の葉巻を紙巻き煙草のようにぴくぴく動かした」と訳したのは葉巻の在りかをはっきりさせることのない一種の逃げである。実は、その少し前にオールズは葉巻を口にくわえて上下に動かす動きをしてみせている。一種の癖と考えいいかもしれない。

 

「すべては雨の中の孤独なパフォーマンス。酔っぱらいのやりそうなことです」は<Showing off all alone in the rain. Drunks will do anything.>。双葉氏は「この雨の中を一人ならね。酔っぱらいはなんでもやってのけますよ」。村上氏は「あんな雨の中に一人でいたら、酒を飲みたくなるのもわかる。酔っ払いは何でもやりかねない」だ。双葉氏の訳では、何をしようとしたのかが分からない。村上氏の訳でも同じだ。どうして、両氏とも<Showing off >の持つ「誇示する・見せびらかす・目立ちたがり屋」の意味を採らないのだろう?

 

「ハンド・スロットルが途中まで開かれていて」は<The hand throttle’s set halfway down>。ハンド・スロットルを適当な位置にセットしておくことによって、アクセルから足が離れてもエンジン・ブレーキがかからない。簡易オート・クルーズ・コントロールのようなものだ。この手の殺害方法はミステリでよく使われる手。双葉氏は「手動ブレーキは半分ほどかかっていたし」としているが、それは「ハンド・ブレーキ」で、むしろ、被害者を助けることになる。村上氏は「手動スロットルは半分あたりにセットされ」としている。

 

タオル男の長広舌はなかなか訳しがいのあるところだ。「タイヤ痕を見ればはっきり分かることでさあ」は<You can read his tread marks all the way nearly.>。双葉氏はここを「あれこれ考えてみりゃあわかりますが」としている。<tread marks>を<trademarks>(トレードマーク)とでも読みちがえたのだろうか?村上氏は「それはタイヤの跡を見りゃはっきりわかることさ」と訳している。

 

「たいそうなスピードでまともに柵にぶつかってる。ハーフ・スロットルどころの騒ぎじゃない」は<So he had plenty of speed and hit the rail square. That’s more than half-throttle.>。双葉氏は「真正面からすごい速力で柵に突っこんでる。ブレーキが半分かかっていたなんてはなし(傍点三字)になりませんぜ」とやはりブレーキを使って訳している。村上氏は「だから相当なスピードで、正面から突っ込んだことになる。ハーフ・スロットルじゃそれだけのスピードは出るまい」としている。

 

気になるのは、両氏とも<square>を「(真)正面から」というふうに訳していることだ。これは、方形を意味する<square>からくる「直角に」という訳を採用したのだろう。しかし、長い桟橋を一直線に走っていることはすでに分かっていることだ。ここは角度ではなく、躊躇があったかどうかが語られているのではないだろうか?副詞の<square>には、「まともに、直接に」の意味がある。今風に言うなら「ガチ」とか「マジ」の意味合いではないだろうか。

 

<オールズは言った。「大した目利きだよ、君は。死体はもう調べたのか?」>は<Ohles said. “You got eyes, buddy. Flisked him?”>だが、はじめの言葉はタオル男にかけたもので、後の方は保安官補に向かって言った言葉だ。双葉氏は、ここを<「なかなか目がきくじゃないか」オウルズはタオルの男に言い、そばの保安官補にきいた。「死体は調べたかね?」>と、語順を変えることでうまく処理している。村上氏は<オールズは言った。「鋭い意見だ。ところで死体の持ち物はもう調べたか?」>と、コンパクトな原文に適切な言葉を添えることで意味がよく分かるようにしている。訳者なりの工夫の仕方があるのだ。

『大いなる眠り』註解 第九章(3)

《彼はドアに鍵をかけ、職員用駐車場に降りると、小さなブルーのセダンに乗り込んだ。我々はサイレンを鳴らして信号を無視し、サンセット・ブルバードを駆け抜けた。爽やかな朝だった。人生をシンプルで甘美なものに思わせるに足る活気が漂っていた。もし胸ふさぐものさえなければ。しかし、私にはあった。

 湾岸沿いのハイウェイをリドまで三十マイルほど走った。初めの十マイルは交通量が多かった。オールズはそれを四十五分で走り抜けた。最後は、色褪せたスタッコ塗りのアーチの前に横滑りして止まった。私は床から足を引き剥がし、車の外に出た。アーチから、白い木の柵がついた長い桟橋が海の方に伸びていた。桟橋の尽きるところで人の群れが海の方に身を乗り出していた。アーチの下には別の群衆を桟橋の外に出さないようにオートバイ警官が立っていた。車はハイウェイの両側に停められていた。いつもながらの死体に群がる餓鬼どもだ。男もいれば女もいる。オールズはオートバイ警官にバッジを見せ、我々は桟橋に向かった。昨夜来の豪雨でも消すことができない鼻をつく魚の匂いの中へと。

「あそこにある――動力付きの艀(はしけ)の上だ」オールズが小さい葉巻で指しながら言った。

 低く黒い艀が桟橋の突端の杭にうずくまるように身を寄せていた。タグボートみたいな操舵室がついた甲板の上で何かが朝の陽光に眩しく輝いていた。まだ、引き揚げ用の鎖を巻きつけたままの、クロム部品がついた大きな黒い車だ。ウインチのアームはすでに元の位置に戻され、甲板と同じ高さまで下ろされていた。男たちが車の周りに立っていた。我々は、滑りやすい階段を甲板へと下りていった。

 オールズは緑がかったカーキの制服を着た保安官代理と平服の男に声をかけた。艀のクルーが三人、操舵室の前に寄りかかって噛み煙草を噛んでいた。そのうちの一人は汚れたバスタオルで濡れた髪をこすっていた。チェーンをかけに水の中に入った男なのだろう。

 我々は車を眺めた。フロント・バンパーは曲がり、ヘッドライトが一つ割れていた。もう一方は上の方に曲がってはいたがガラスは割れていなかった。ラジエター・シェルは大きくへこんでいた。車のあらゆる箇所で塗装やメッキに引っ掻き傷がついていた。内装は水を吸って黒ずんでいた。タイヤだけは損傷を免れているようだった。

 運転手はまだステアリング・ポストにもたれかかったままで頭が不自然な角度で肩にかかっていた。細身で黒髪だった。少し前までは美青年で通っていただろうが、今は青白い顔に垂れた瞼の下で眼にかすかな鈍い光を浮かべ、開けた口に砂がつまっていた。額の左側には鈍い打撲の痕があり、白い肌に対して目立っていた。

 オールズは喉を鳴らして後ろに下がり、小さな葉巻にマッチで火をつけた。「どういうことになってるんだ?」

制服を着た男が桟橋の端にいる野次馬を指さした。そのうちの一人が白い木の柵が壊れ、大きく開いた部分を指で触っていた。木の裂け目はきれいな黄色で伐りたての松のようだった。》

 

「爽やかな朝だった。人生をシンプルで甘美なものに思わせるに足る活気が漂っていた。もし胸ふさぐものさえなければ」は、<It was a crisp morning, with just enough snap in the air to make life seem simple and sweet, if you didn’t have too much on your mind.>。このあとに、< I had.>が来る。双葉氏は「さわやかな朝だ。気にかかることがあまりなければ、人生の素朴さと甘美さとをたっぷり味わえる気持のいい空気のにおいだった」と訳している。村上氏は「さわやかな朝だった。人生を単純で甘美なものにしてくれるだけの活気が、空気の中にあった。もし心に重くのしかかるものがなければということだが」だ。

 

空気の中にあったのは<snap>。双葉氏は「におい」と意訳しているが、この言葉にはそんな意味はない。それに、今いるのは車の中だ。片時も葉巻を手から離さない男と一緒にいて、そんなにおいが分かるものだろうか?それにこれは村上氏にも言えることだが、<in the air>を「空気の中に」と文字通り訳してしまうと、オールズの車の中に、その活気があるということになる。窓が開いていれば周りの空気と通い合ってはいるだろうが。ここは「(気配・雰囲気・匂いなどが)漂って」という意味にとりたいところだ。

 

「私は床から足を引き剥がし、車の外に出た」を双葉氏はカットしている。当たり前だと思ったのだろう。その前の部分をどう訳しているかが問題になる。双葉氏は「最初の十マイルは乗物の波だ。オウルズは四十五分ほど車を走らせた」としている。では、その四十五分間のドライブはどんなものだったのだろうか?村上氏の訳を見てみよう。「最初の十五キロ余り、道路は混雑していた。しかしオールズはそこを四十五分で走りきった。その荒っぽいドライブの末」、車は多分盛大に横滑りして止まったのだ。マーロウは車の中でブレーキを踏む代わりに足を床に突っ張っていたはずだ。何気ない一文に、オールズの運転の荒っぽさが表れている。チャンドラーの文章で不要な部分などない。

 

「いつもながらの死体に群がる餓鬼どもだ。男もいれば女もいる」は<the usual ghouls, of both sexes.>。双葉氏は「おきまりの野次馬だ。男も女もだ」。村上氏は「例によって血に飢えた野次馬だ。そこには男女の区別はない」。<ghoul>は「グール」。アラブの民間伝承で、死体を食う怪物。日本語に訳すと「食屍鬼」だが、そう書いても何のことやら分かるまいと思い、馴染みの深い「餓鬼」を使用した。いつも飢えていることと子どもを食べるという説もあるので、単なる「野次馬」より「グール」に近いかと思ってのことだ。因みに女性の「グール」もいて、その場合は「グーラ」と呼ばれる。<the usual ghouls, of both sexes.>にはそういう意味が込められているのだ。

 

「運転手はまだステアリング・ポストにもたれかかったままで頭が不自然な角度で肩にかかっていた」は<The driver was still draped around the steering post with his head at an unnatural angle to his shoulders.>。双葉氏は「運転していた男は頭を不自然な角度で肩のほうにまげた姿勢で、運転席に布をかぶせたまま、放置されていた」と訳しているが、これは誤り。<draped>を「布で覆われた」と解したのだろう。ここは正体をなくしてしなだれかかっている、と読むべきだ。村上氏も「運転していた男はまだハンドルの上にだらりと覆い被さっていた」としている。

 

さらにもう一つ。<dull bruise>「鈍い打撲の痕」を双葉氏は「鈍器でつけられたような擦り傷」としている。<dull>(鈍い)からの連想だろうが、この時点でそこまで書くのは飛躍のし過ぎというものだろう。村上氏は「鈍い色合いの傷跡」としている。皮膚の白さとの比較がその後に来ているところから見て、ここは青あざのような鈍い色が皮膚上に現れた痕と見る方が適切である。

『大いなる眠り』註解 第九章(2)

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《ひげを剃り、服を着、軽い朝食をとり、一時間も経たないうちに、私は裁判所にいた。エレベーターで七階まで上がり、地方検事局員の使っている小さなオフィスの並びに沿って進んだ。オールズの部屋も同じくらい狭かったが彼の専用だった。机の上は吸取器と安っぽいペン・スタンド、彼の帽子と片方の脚だけが載っていた。彼は中背の金髪の男でごわごわした白い眉と穏やかな目、よく手入れされた歯をしていた。通りで見かけるどこにでもいる男のように見えるが、私は彼が九人の男を殺したことを知っている。そのうちの三件は、彼の方が追い詰められていた。相手が追い詰めたと思っただけなのかもしれない。

 彼は平たい錫のケースをポケットに突っ込み、立ち上がった。口にくわえたアントラクテという小ぶりの葉巻を上下に揺らし、頭を少し後ろに傾け、鼻越しにとっくりと私を見た。

「リーガンじゃなかったよ」彼は言った。「調べたところ、リーガンは大男だ。君くらいの背丈でもう少し重い。こちらは若い男だった」

私は黙っていた。

「リーガンはなぜずらかったんだ?」オールズが訊いた。「君はこの件に関与しているのか?」

「そうじゃない」と私は言った。

「酒の密輸から足を洗って大富豪の娘と結婚したばかりの男が、可愛い女と合法的な数百万ドルにさよならして消える――それだけでも充分考えさせられる。何か秘密があるにちがいない」

「まあ、まあ」

「いいんだ。別に答えなくても。気にしちゃいないよ」彼は机を回って、ポケットを指で叩きながら帽子に手を伸ばした。

「リーガンを探してはいない」私は言った。》

 

この段落は比較的分かりやすい。まず、オールズの机の上にあるものだが、<There was nothing on his desk but a blotter, a cheap pen set, his hat and one of his feet.>とある。問題なのが、<blotter>だ。木製で底辺が弧を描いていてそこに吸取り紙が挿めるようになっている。ペンとインクが主流の時代は必携品であった。私も一つ持っているが、今となっては出番がない。時代を考えれば、地方検事局のオフィスに「吸取器」が置いてあっても何の不思議もない。ところが、村上氏は「下敷き」と訳している。小学生がノートに挟むあれではなく、デスク・マットのことだろう。

 

これには首をかしげざるを得ない。まず、普通の辞書には載っていない。検事局のオフィスにあって不思議ではないブロッターは、もう一つある。それは事件を記録した帳簿のことで、<police blotter>という項目がある。これを略したものと考えることもできるが、訪問者のあるオフィスに置いておくのはいかにも不用心だ。オールズの整頓された机にふさわしくない。次に挙げられているのがペン・セットなのだから、吸取り紙でいいのではないだろうか。

 

その<pen set>だが、双葉氏は「安っぽいインク・スタンド」としている。村上氏は「安物のペンのセット」と、こちらはそのままにしている。これを「ペン・セット」としてしまうと、何色もの色を揃えたカラー・ペンとまちがえられそうだ。「ペンのセット」でもまだ危ういのではないか。一昔前の事務用品の一つに、台上に固定されたペン・スタンドとインク瓶がセットになった物があった・双葉氏の言う「インク・スタンド」も同じ物を指すのだろう。今でも銀行などには、ペン軸をボール・ペンに替えた同じ物が置いてある。

 

ブロッターもペン・セットも、どの事務机にもあるお決まりの事務用品だった。チャンドラーは、部屋のインテリアやカラー・コーディネイトにうるさい。部屋の持ち主の性格を読み解く探偵の目線で描いているからだ。ここは、オールズの衒いや飾り気のない性格を示す記述だと受け止めればいいので、どこにでもある事務用品と考えればそれでいいように思う。それにしても、帽子掛け一つないのか、とその殺風景さに驚くばかりだ。もちろん、この部屋が例の「兎小屋」に他ならない。よほど狭いのだろう。

 

「そのうちの三件は、彼の方が追い詰められていた。相手が追い詰めたと思っただけなのかもしれない」は<three of them when he was covered, or somebody thought he was.>。双葉氏は「そのうち三人は彼が追いつめられたときにやったのだ。少なくともそう思われている」。村上氏は「そのうちの三件は、相手に銃で制せられながらのことだ。あるいは彼を制していると、相手が勝手に思っていただけかもしれないが」と、解きほぐして訳している。

 

<cover>には、「人などを銃で狙う、銃砲などが目標を射程内に保つ」という意味がある。「制せられる」という訳語はいかにも生硬だが、相手の側が銃によって優位を保っている状況を表すぴったりの言葉が見当たらないからだろう。たとえば、「狙われた」という語を使っても、後半がうまく訳せない。「相手が狙ったと思っただけ」では「制した」を使った場合にくらべてしまらない。

 

双葉氏はせっかく「追いつめる」という訳語を見つけているのに、後半を「少なくともそう思われている」としてしまっている。<somebody>を仲間の捜査官と解釈したのだろう。ここは、オールズの銃の腕前を見くびって射殺された三人のうちの誰かと解釈したい。それにしても文が簡潔すぎてよほど読み込まないと意味が分からない。村上氏の訳は、ただの訳ではない。精読者のみが読むことのできる域に達している。

 

「アントラクテ」は<Entractes>もとはフランス語で<entr’actes>と思われる。音楽用語の「間奏曲」の意味だろうと思われる。もしかしたら「幕間」の意味のほうがぴったりしているかもしれない。仕事と仕事の間にちょっと一服というのだ。イタリア語なら「インテルメッツォ」か。<a flat tin of toy cigars called Entractes>を双葉氏は「エントラクトという名の小型葉巻の平たい罐(かん)」と訳す。村上氏は「小さな葉巻を入れた平らな金属ケースを(ポケットに突っ込んだ。)アントラクテという名前の葉巻だ」と二文に分けている。

 

<tin>の一語で「ブリキ缶」を意味するので双葉訳の簡潔明瞭なのがよく分かる。<toy cigars>は、「おもちゃの葉巻」ではなく「小さな」葉巻。本物の葉巻なら一本入りのケースが携帯用にある。ここは紙巻き煙草より太めで、長さは同程度の小型葉巻を入れた金属製のケース。オールズは葉巻党なのだろう。帽子をかぶる前に確認するのを忘れないところから見て、出先で吸いたくなる時のために、常時携帯する癖がついているのだ。

 

「リーガンはなぜずらかったんだ?」は、<What made Regan skip out?>。双葉氏は「なぜリーガンだと思ったんだ?」。村上氏は「なんでリーガンは出ていったんだ?」。<skip out>は、「(突然)人を置き去りにする」の意味がある。辞めたとはいえ、元酒の密輸業者なら「ずらかる」あたりがぴったりの訳語だろう。

 

「いいんだ。別に答えなくても。気にしちゃいないよ」は<Okey, keep buttoned, kid. No hard feelings.>。双葉氏は「よかろう。黙っていろよ、おれがしゃべっちまったのを悪く思うなよ」と訳している。ちょっと苦しい訳だ。「おれがしゃべっちまったのを」という要らざる付け加えをしてしまったのには訳がある。<No hard feelings.>は「悪く思うなよ」という意味の常套句。しかし、質問に答えないマーロウになぜオールズの方が「悪く思うなよ」と謝らねばならないのか。その理由を見つけ出さなければならない。それが先の付け加え部分だ。

 

村上氏は「まあいいさ。とぼけてるがいいや。毎度のことだ」とうまく意訳している。<No hard feelings.>の前に<I have>などをつければ「気にしてないよ」の意味になる。つまり、オールズは黙っているマーロウに対し、「別に恨みに思ってはいない」ということを言っているのだ。依頼人に対して守秘義務があることくらい、有能なバーニー・オールズにしてみれば先刻承知。お互い様という意味での「恨みっこなしだ」という訳もアリだ。

『大いなる眠り』註解 第九章(1)

《翌朝はからりと晴れて明るかった。目を覚ますと、口の中に路面電車運転士の手袋が詰まっていた。私はコーヒーを二杯飲み、二社の朝刊に目を通した。アーサー・グイン・ガイガー氏に関する記事はどちらにも見つからなかった。しわをとろうと湿ったスーツを振っていると電話が鳴った。地方検事局主任捜査官のバーニー・オールズだった。スターンウッド将軍を紹介してくれた男だ。

「どうしてる?」彼は切り出した。よく眠り、借金もあまりない男の声だった。

「二日酔いだ」私は言った。

「ちぇっ」彼は気のない様子で笑い、それから彼の声はほんの少しくだけ気味になった。隙のない警官の声音だ。「スターンウッド将軍にはもう会ったのか?」

「ああ、まあ」

「何かしてやったのか?」

「雨が降りすぎた」私は答えた。もしそれが答えになっていたなら。

一家に何事か起きたようだ。家族の一人が所有する、大型のビュイックがリドの釣り桟橋付近に上がった」

私は受話器を壊れるくらい強く握り、息を凝らして待った。

「それがな」オールズはご機嫌だった。「見事な最新型ビュイック・セダンが海水と砂でひどい有様だ……ああ、もう少しで忘れるところだった。中には男が一人乗っていた」

私は聞こえないほど静かに息を吐いた。

「リーガンか?」私は訊いた。

「何だって、誰のことだ?ああ、上の娘が拾ってきて結婚した、もと酒の密売屋か。俺は会ったことがない。そいつは海の底で何をしていたんだ?」

「時間稼ぎはよせ。海の底にいたのは誰だったんだ?」

「俺は知らない。それを見に行くところだ。一緒に行くか?」

「そうしよう」

「急ぐことだな」彼は言った。「俺は、兎小屋にいる」》

 

かつての同僚で今も地方検事局で働くバーニー・オールズとの電話での会話。気のおけない間柄ならではのくだけた会話が楽しい。「目を覚ますと、口の中に路面電車運転士の手袋が詰まっていた」は<I woke up with a motorman’s glove in my mouth.>。双葉氏は「目を覚ますと、口の中が自動車工の手袋をおしこんだみたいだった」と直喩に替えている。村上氏は「口の中には機関車運転士の手袋が一組詰まっていた」と隠喩のままだ。<mortorman>は、自動車工でもなければ機関車運転士でもなく、電車の運転士のことだ。何しろモーターを扱うのだから。村上氏の「機関車」が(電気)機関車であることは十分考えられるが、「機関車運転士の手袋」と書かれると、つい蒸気機関車の方を思い浮かべてしまう。

 

単数か複数かにこだわる村上氏ならではの「一組」の付加だが、ただでさえごわごわして分厚い革手袋だ。果たしてそこまでこだわる必要があるのだろうか。ただし、次の「朝刊二紙に目を通したが」の「二紙」は、あってよい付け加え。その後に<either of them>と出てくるので、「二紙」を書いておかないと、双葉氏のように「どの新聞にも」と訳さなければならなくなる。「どちらにも」とするには前もって二つであることを示しておく必要がある、と村上氏は考えたのだろう。

 

「どうしてる?」と訳したところは<Well, how’s the boy?>。双葉氏は「どうだい?」、村上氏は「やあ、元気かね?」だ。ここは短い挨拶の常套句が多い。<tsk>だとか<Uh-huh>だとか<Yeah>だとかどう訳したらいいのか見当がつかないのもある。辞書を引いてうまくあてはまりそうな訳を試みた。順に「ちぇっ」、「ああ、まあ」、「それがな」。双葉氏のそれは「ちぇっ」、「うふう」、三つめは略している。村上氏になると、「ははあ」、「まあね」、「そうなんだ」だ。どうでもいいようなところだが、二人の親しさがどれくらいのところかが分かるようにはしておかなければいけないと思う。

 

「彼は気のない様子で笑い、それから彼の声はほんの少しくだけ気味になった。隙のない警官の声音だ」は<He laughed absently and then his voice became a shade too casual, a cagey cop voice.>だ。オールズの声は、実際のところどのように変化したのだろう。双葉氏の訳は「彼は気が乗らない調子で笑ったが、ひどく親しそうな、警官十八番の猫なで声になった」。村上氏は「彼はおざなりに笑い、それからいかにもさりげない、抜け目のない警官の声音になった」。「警官十八番の猫なで声」と「抜け目のない警官の声音」では、いささか異なるような気がする。

 

<a shade>には「わずかに、少し」の意味がある。<too casual>の方は、カジュアルすぎる、というそのままの意味だ。それが<cagey>な警官の声ということになるのだが、<cagey>には「遠慮がちで、はっきり言わない」という意味と「用心深い、抜け目のない」の二つの意味がある。警官につけるとなると後者の方だろう。親しさを装って相手から情報を聞き出そうという、いかにも警官らしい声ということになる。両氏の訳で問題はないのだが、どちらにせよ<a shade>のニュアンスが落ちている気がする。

 

オールズは、まずは無難な挨拶から入り、やがて本気モードに切り替えたのだろう。その切り替えを大きく変化させるのではなく、「ほんの少し」カジュアル過ぎる口調に変えた。マーロウにはそれが手に取るように分かる。このあたりに二人の付き合いの長さがあらわれている。それは、マーロウについても同じことが言える。だから、息を凝らしたり、息遣いが聞こえないように注意して息を吐いたりしているのだ。優秀な二人の捜査官の心理戦である。

 

「雨が降りすぎた」は<too much rain>。双葉氏は「雨が多すぎたよ」、村上氏は「雨が強すぎた」だ。どれをとるにせよ、答えにはなりそうもない。マーロウのはぐらかしである。オールズもそんなことは先刻承知で、即用件に入る。オールズの告げたのは<They seem to be a family things happen to. A big Buick belonging to one of them is washing about in the surf off Lido fish pier.>。「リドの釣り桟橋付近に上がった」のところを、双葉氏は「リドの漁船波止場の先の海岸で発見されたんだ」、村上氏は「リドの魚釣り用桟橋近くに打ち寄せられていた」と訳している。<wash about>は、「(液体の中でのように)漂う」だ。村上氏の「打ち寄せられていた」は、その辺の感じをうまく伝えている。

 

「私は聞こえないほど静かに息を吐いた」は<I let my breath out so slowly that it hung on my lip.>。双葉氏は「私はおさえた息をゆっくり吐き出した。くちびるにひっかかってとまるほどゆっくりだった」としている。一見すると直訳に近い、こちらのほうが正しく思える。では村上氏はどう訳しているのか。「私は相手に聞こえないくらい静かに息を吐いた」だ。どうしてこんな訳になるのだろうか?

 

<so~that>構文だから、ふつう程度を表す「たいへん~なので…だ」と訳すことになる。双葉氏は文字通り「ゆっくり」の程度を「くちびるにひっかっかてとまるほど」ととった。村上氏は「静かさ」の程度を「相手に聞こえないくらい」と取ったわけだ。どうなんだろう。実は<hang on someone’s lips>には「人の言うことに耳を傾ける」の意味がある。村上氏は、この用法を知っていて、こういう訳を思いついたのではないだろうか?

 

息せき切って言うのではなく、「私の言うことがよく聞こえるくらい静かに私は息を吐いた」。相手が聞きまちがえないように、自分の吐く息を抑えながら「リーガンか?」と訊いたのだ。なるほど、と思いながら一つ疑問が残る。ならば、どうして<lip>と単数にしているのだろうか。言葉を話すためには唇は二枚必要だ。一枚だけなら上唇か下唇かのどちらか一方を意味する。唇をかみしめたり、突き出したりする場合なら<lip>もありだ。そう考えると、双葉氏の訳が案外正解なのではないか、という気もしてくるのだが。

 

「そいつは海の底で何をしていたんだ?」は<What would he be doing down there?>。双葉氏は「あんな海岸で何をしてたんだろうな?」。村上氏は「その男が海の底で何をしていたんだ?」。原文のどこにも海についての言及はないのだが、< down there>にある「下方」の意味を持つ訳語がなかなか出てこないので、つい陸より下方にある「海」という単語に頼ることになる。はじめは「そんなところで」と訳してみたのだが、次のマーロウの科白にうまくつなげることができなかった。

 

それが<Quit stalling. What would anybody be doing down there?>。<he>を<anybody>に入れ替えるだけで、そのまま相手の言葉を使って問いを投げ返している。「時間稼ぎはよせ。海の底にいたのは誰だったんだ?」と訳してみた。双葉氏は「とぼけるのはよせよ。誰が何のためにそんなところへ行ったんだ?」と、訳している。この訳が最もぴったりしているのではないか。村上氏は「おとぼけはよせよ。中にいたのは誰だ?」と直截的だ。マーロウの気持ちはよく分かるようになったが、マーロウの返事がオウム返しになっているところが消えてしまっている。

 

「俺は、兎小屋にいる」は<I’ll be in my hutch.>。双葉氏はこれを「おれのぼろ車で行く」と訳しているがどうなのだろう。<hutch>は「ウサギ小屋」や「檻」を意味するが、欧米人が日本人の住居を「ウサギ小屋」と呼ぶことから分かるように、居住空間の狭小さをからかうときに使う常套句だ。村上氏は「俺はこのつつましいオフィスにいるからな」と、かみ砕いて訳すことで、謙遜の感情を表現しているが、もっと強い「自己卑下」を表しているととりたい。マーロウはそこを出て、一国一城の主だが、自分はまだ宮仕えの身という立場の違いを皮肉っているのだろう。同僚だったころオフィスのことを<hutch>と呼んでいたのかもしれない。

『大いなる眠り』註解 第八章(4)

《それは警官ではなかった。警官なら今頃まだここで、死体の場所を示す紐やチョーク、カメラ、指紋採取用粉末、安葉巻などを手に動き回っている最中だ。人っ子一人いないではないか。殺人犯でもない。彼の逃げ足は速かった。彼は娘を見たにちがいないが、自分をしっかり見るには頭がいかれていたことは知りもしない。今頃は遠くに行っていることだろう。うまい答えを思いつかないが、ガイガーが殺されることより姿を消す方を誰かが望んでいたのなら私にとって都合がいい。カーメン・スターンウッドの名前を出さずに調査をする機会が与えられたわけだ。私はもう一度鍵をかけ、チョークを引いて車を甦らせ、家に帰った。シャワーを浴び、乾いた服を着て遅めの夕食をとった。そのあと、アパートのあちこちに座っては多過ぎるほどのホット・トディを飲み、ガイガーの青い索引付きノートにあった暗号を解いてみた。おそらく顧客のものと思われる名前と住所のリストだ。四百を超えていた。いい商売だ。強請の手段であることは言うまでもない。おそらく多くが使われただろう。リスト上のどの名前も殺人犯の可能性がある。それを手渡された警官の仕事を羨む気にはなれない。

 私はたっぷり飲んだウィスキーと満たされない思いを抱いてベッドに行った。そして夢を見た。血まみれの中国服の男が細長い翡翠のイヤリングをした裸の娘を追いかけている間、私は写真を撮ろうと追いかけていたが、手にしたカメラは空だった。》

 

マーロウが推理を披歴しているところ。ひねくった文章が並んでいて訳すのが厄介だ。まず、<They would have been very much there.>をどうするか。<They would have been>という「仮定法過去」を表す文が二回繰り返して用いられている。「もし過去が実際とちがっていたら……」というのが「仮定法過去」。しかし一度起きてしまったことは変わらないから、書いてある諸々の事象は実際には起きていないことになる。

 

つまり、「(もし、ガイガーの死体を運び去ったのが)警官なら今頃まだここで、死体の場所を示す紐やチョーク、カメラ、指紋採取用粉末、安葉巻などを手に動き回っている最中だ」というのは、マーロウの頭の中だけにある、本当はありえない光景である。では、その後に来るもう一つの「仮定法過去」である<They would have been very much there.>を、両氏はどう訳しているのか。

 

双葉氏は素直に「人数も多いだろう」としている。村上氏は「これほど素早く引き上げるはずがない」と、大胆な意訳を試みている。「仮定法過去」を使う場合、言外に意味があるので、そのまま訳しては芸がない。(もし警官がそんなことをやっているとしたら、さぞかし)「人数も多いだろう」という意味だが、言外にあるのは「実際は誰もいない」ということが言いたい訳だ。そこで、「人っ子一人いないではないか」と訳してみた。

 

「チョークを引いて車を甦らせ」は<choked my car to life>。プロレスなどでもよく使う<choke>は「窒息させる」の意味だ。エンジン内に入る空気を少なく(窒息)することで、ガソリンの混合比率が高まり、燃焼率が上がることから、エンジンが冷えた状態の車のスタート時にチョーク・レバーを引くことは、一昔前にはよくあった。今では自動化されていて、レバー自体が存在しない。双葉氏の時代でも「車にエンジンをかけて生き返らせ」としている。村上氏に至っては「車のエンジンをスタートさせ」だ。夜の雨で冷え切った車は簡単にエンジンはかからない。ここは「チョークを引いて車を甦らせ」てやりたいところだ。

 

「そのあと、アパートのあちこちに座っては多過ぎるほどのホット・トディを飲み、ガイガーの青い索引付きノートにあった暗号を解いてみた」は<After that I sat around in the apartment and drank too much hot toddy trying to crack the code in Geiger’s blue indexed notebook.>。「ホット・トディ」は、ウィスキーなどに甘味料とレモンを加え、湯で割った飲み物。風邪に効くという触れ込みの冬用飲料。案の中を歩き回ったマーロウだ。風邪予防も考えていつものライ・ウィスキーではなく、温かいものが飲みたかったのだろう。

 

双葉氏は「ホット・ウイスキー」としている。村上氏は「ホット・トディー」。実は調べてみて分かったのだが、「ホット・トディ」が某局の朝ドラに登場したことがあるらしい。スコットランド生まれの女性が国産ウイスキーを作ろうと奮戦中の日本人の夫に飲ませるために作ったものだ。実は毎朝視聴していたはずなのにすっかり忘れてしまっていた。それなら、耳慣れない飲み物でも訳注なしでいけると踏んだのだ。

 

めずらしいことに村上氏はここを「それから座って、ガイガーの索引付きの青いノートブックに記された暗号を解こうとして、ホット・トディーを飲みすぎることになった」と訳している。<around in the apartment >を訳さずに済ませている。双葉氏は意訳して「それからのんびりとくつろぎ、ホット・ウイスキーを飲みながら、ガイガーの青い帳面の暗号を解きにかかった」としている。まあ、細かいところをカットするのはいつものことだが、<too much>は、後でもう一度言及されることになる。

 

<I didn’t envy the police their job when it was handed to them.>をどう訳すか?<envy>は「羨む、嫉む」の意味である。双葉氏は「この名簿を警察に渡したら、いろいろなことをたぐり出すだろうが、そんな仕事はちっともうらやましくない」と意を尽くして訳している。村上氏はどうだろう。「そのノートが警察に渡ったときのことを考えると、警官たちに同情しないわけにはいかなかった」と、こちらもその意を汲んで訳している。「それを手渡された警官の仕事を羨む気にはなれない」は、ほぼ直訳。ここは両氏のように解きほぐして訳すのが本当かもしれない。

 

「私はたっぷり飲んだウィスキーと満たされない思いを抱いてベッドに行った」と訳したところは<I went to bed full of whisky and frustration>。双葉氏は「私はウイスキーに満腹して、ベッドに入った」。村上氏は「私はしこたまウィスキーを飲み、晴れない心でベッドに入った」だ。双葉氏は相変わらずフラストレーションを無視している。村上氏は「晴れない心」と文学的。雨に打たれたことを皮肉っているのかもしれない。風邪の予防も兼ねて飲んだホット・トディの中に入っていたウィスキー。お湯割りということもあり、飲みすぎたのだろう。酒量の多さに比べて分かったことが少なすぎ、マーロウの心はフラストレーションの塊だろう。悪夢に悩まされるのももっともだ。

『大いなる眠り』註解 第八章(3)

《急いで歩いたので半時間をいくらか過ぎたくらいでガイガーの家に到着した。そこには誰もいなかった。隣の家の前に停めた私の車以外、通りに一台の車もなかった。車はまるで迷子の犬のようにしょんぼりしていた。私はライ・ウィスキーの瓶を引っ張り出して瓶に残っていた半分を喉に流し込み、中に入って煙草に火をつけた。半分ほど吸って投げ捨て、車から出ると再びガイガーの家まで降りて行った。ドアの鍵を開けて足を踏み入れ、まだ少し暖かい暗闇の中に立って、床に滴を滴らせながら、雨の音に聴き入っていた。私は手探りでフロア・スタンドの明かりをつけた。

 最初に気がついたのは、刺繍を施した絹の布が二枚、壁から消えていたことだ。何枚か数えはしなかったが、剥き出しにされた茶色の漆喰壁に目立つ痕跡から明らかだった。私は少し離れたところまで行き、もう一つのフロア・スタンドをつけた。トーテムポールを調べてみた。その足もと、中国段通が途切れた向こうの剥き出しの床に別の緞通が広げられていた。それはさっきまでそこになかった。ガイガーの死体があったのだ。ガイガーの死体が消えていた。》

 

<I made it back to Geiger’s house  in something over half an hour of nimble walking.>を双葉氏のように「私は三十分以上も早足で歩き、やっとガイガーの家へ引き返した」と取るか、村上氏のように「急ぎ足で歩いても、ガイガーの家に着くまでに半時間以上はかかった」と取るか、どっちがいいのだろう。どっちでも意味は変わらないが、微妙にニュアンスがちがう。

 

「刺繍を施した絹の布が二枚」は<a couple of strips of embroidered silk>。双葉氏は「絹の」を書き忘れたか省略したか「刺繍の布が二枚」とだけ記している。村上氏は「刺繍入りの絹布が二枚」だ。第七章の初めにガイガーの部屋の中の様子が詳細に説明されてたが、「使用前、使用後」のように使うつもりで、あれほど詳しく書いたのだな、と改めて気づかされた。ハード・ボイルドといっても探偵小説であることに変わりはない。細部をしっかり詰めておかなければ、後で泣きを見るのだ。

 

《それが私を凍りつかせた。私は唇を歯に引き寄せ、トーテムポールのガラスの眼に流し目をくれた。私はもう一度ガイガーの家をくまなく調べた。すべては正確に前のままだった。ガイガーは縁飾りのついたベッドにも、その下にも、クローゼットの中にもいなかった。台所にも浴室にもいなかった。廊下の右側の鍵がかかった部屋が残っていた。ガイガーの鍵束の一つがぴったり合った。部屋の中に興味は引かれたが、ガイガーがいた訳ではない。何が興味を引いたかといえば、他のガイガーの部屋とは様子がちがっていたのだ。ひどくがらんとした男性的な寝室だった。磨きのかかった木の床に、インディアン風の柄の小さな敷物が二枚。肘掛けのない背もたれがまっすぐな椅子が二脚。暗い木目調の鏡付きの寝室用箪笥には男性用化粧道具のセットと黒い蝋燭が二本、高さ三十センチほどの真鍮製の燭台に立てられていた。ベッドは狭く硬そうで、栗色の更紗のカバーが掛かっていた。部屋は冷えていた。私はまた鍵をかけ、ドアノブをハンカチで拭い、トーテムポールまで戻った。私は床に膝をつき、緞通の毛羽に沿って玄関のドアまで目を凝らして見た。私には二本の平行な窪みがそちらを指しているように見えた。まるで踵を引きずったあとのように。誰がしたにせよ大仕事だ。死体は傷心より重い。》

 

「それが私を凍りつかせた。私は唇を歯に引き寄せ、トーテムポールのガラスの眼に流し目をくれた」は、<That froze me. I pulled my lips back against my teeth and leered at the glass eye in the totem pole.>。双葉氏は「それが私をぞっとさせた。私はくちびるをひきしめ、木像の中のガラスの目玉をにらんだ」。村上氏は「体が凍りついた。唇を噛み、トーテムポールのガラスの瞳を横目で見た」。めずらしく村上氏の文が短い。

 

<I pulled my lips back against my teeth>を直訳すれば「唇を歯に引き寄せる」だが、どういう表情なのか、その時の感情が分からないと意訳のしようがない。両氏とも、緊張感を表す表現になっているが、その後の<leered>(いやらしい目つきで見る、横目でにらむ)との結びつきがもう一つ分かりにくい。ガラスの眼を見たのは、「お前は誰がやったか見ていたんだろう?」という意味にちがいない。だとすれば、共犯者を見るような目で見たということだろう。木像では脅しつけて聞き出すこともできない。そういう無念さとあきらめがまじったような気持ちのとき、唇はどう動くものだろうか。

 

「インディアン風の柄の小さな敷物が二枚」は<a couple of small throw rugs in an Indian design>だ。<throw rug>で「小型の敷物」の意味がある。思い出したのは、『ツインピークス』にもよく出てきた「ペンドルトン」だ。ここでいう<Indian design>は、あれを指しているのではないか。とすれば、「ラグ」でもいいのでは、と思ったが、そうすると今までの<rug>を「緞通」と訳してきたこととの整合性がとれない。こういう時は、辞書に出てきた言葉通りに書いておくに限る。

 

「暗い木目調の鏡付きの寝室用箪笥」は<a bureau in dark grained wood>だ。「ライティング・ビューロー」などで使われてはいるが、「ビューロー」だけだと今一つ認知度が低い。ここも辞書の用語をそのまま使っている。双葉氏は「黒っぽい大机」、村上氏は「濃い木目塗りの鏡付きチェスト」としている。厳密にいえば「チェスト」と「ビューロー」は別物だが、「チェスト」の方が分かりよいと考えられたのだろうか。

 

「高さ三十センチほどの真鍮製の燭台」は<foot-high brass candlesticks>。双葉氏は「高い脚の燭台」としているが、<foot-high>は「一フィート」の意味だ。村上氏はこういう時メートル表記に変えて訳す。原文尊重でいきたいところだが、「一フィート」のままでは伝わりにくい。ここは原則を曲げてセンチメートルで表すことにした。

 

「死体は傷心より重い」としたところは<Dead men are heavier than broken hearts>。双葉氏は「死体は弱い心臓では扱えない重さだ」としている。村上氏は「いかに心が破れようと、死体はそれにも増して重いものだ」だ。チャンドラー得意の箴言風の決め台詞。ここはあえて一般的に訳す方がいいのではと思う。<broken heart>は失恋の痛手などをいう常套句だ。その気分はきっと重いにちがいない。だが、心理的なそれに比べ、物理的な重さはその比ではない、という意味である。村上氏の訳はその意味だろうが、アフォリズムのピリッとした感じがない。<dead men>と<broken hearts>の二語に対し、「死体」、「傷心」の二文字を充てた。