HARD BOILED CAFE

ハードボイルド探偵小説に関する本の紹介。チャンドラーの翻訳にまつわるエッセイ等。

『大いなる眠り』註解 第二十二章(2)

《人ごみが二つに分かれ、夜会服を着た二人の男がそれを押し分けたので、彼女のうなじと剥き出しの肩が見えた。鈍いグリーンのヴェルベット地のローカット・ドレスはこういう場にはドレッシー過ぎるように見えた。人込みが再び閉じ、黒い頭しか見えなくなった。二人の男は部屋を横切ってきてバーに寄りかかり、スコッチ・アンド・ソーダを注文した。一人は紅潮して興奮していた。黒い縁取りのあるハンカチで顔を拭った。ズボンの両脇に上から下まで通った繻子の側章はタイヤ痕といってもいいほど幅広かった。
「あんな勝ちっぷりを見るのは初めてだよ」浮足立った声で言った。「二回は見送ったが、赤ばかりに賭け続けての八勝だ。あれがルーレットだ。あれこそルーレットてもんだ」
「むずむずしてきたよ」もう一人が言った。「一度に千ドル賭けているんだ。負けっこないよ」彼らはグラスに鼻を突っ込み、音立てて一気に飲み干すと戻って行った。
「小者が利いた風な口をきくもんだ」バーテンダーはゆっくりとした話しぶりをした。「一度に千ドルがどうした。私は昔ハバナで見たんです。馬面の年寄りが──」
 中央テーブルで大きなざわめきが起こり、それを制するようによく通る外国訛りのある声がした。「しばらくお待ちください、マダム。このテーブルではあなたの賭けた金額をお受けできません。まもなくミスタ・マーズがこちらに参ります」
 私はバカルディをそこに残し、絨毯を踏んで向こう側に行った。小編成の楽団はいくらか大きめにタンゴを演奏し始めていた。誰も踊りはしなかったし、踊るそぶりも見せなかった。私はディナー・ジャケットやイブニング・ドレスの正装や、スポーツ・ジャケットやビジネス・スーツを着た人々がちらほらする中を歩いて左端のテーブルまで行った。そこは静まり返っていた。二人のクルピエはその後ろに立って頭を寄せ、眼は横の方を見ていた。一人は空っぽのレイアウト上で、チップを集めるレイクを所在なく前後に動かしていた。二人ともヴィヴィアン・リーガンを見つめていた。
 彼女は長い睫をひくひくさせ、顔は不自然なほど白かった。彼女は中央テーブルの回転盤の真正面にいた。前には金とチップが乱雑に積み上げられていた。かなり大金のようだった。彼女は冷やかで、不遜で、不機嫌そうに気取りすましてクルピエに言った。
「ここがこんなに安っぽい店だなんて知らなかったわ。早く回しなさいよ。のっぽさん。もう一勝負したいの。総賭けの勝負をね。あなたって取るときはさっさと持っていくのに、出すときは泣き言を言い始めるのね」
 クルピエは冷たく丁重な笑みを浮かべたが、それはこれまでに何千という田舎者と何百万の愚か者を見てきた笑みだ。彼の高雅で漠とした第三者的な態度は完璧だった。彼は重々しく言った。「このテーブルはあなたの賭けをお受けできません、マダム。あなたはそこに一万六千ドル以上お持ちです」
「あなたのお金なのよ」娘は嘲った。「取り戻したくないの?」
 脇にいた一人の男が彼女に話しかけようとした。彼女はさっと振り返ると、何か吐き捨てた。彼は赤い顔をして人ごみの中に引き下がった。ブロンズの手すりに囲まれた区域の突き当りにある鏡板についたドアが開いた。エディ・マーズが顔に物憂げな微笑を浮かべながらドアを通り抜けてやって来た。両手はディナー・ジャケットのポケットに突っ込まれ、両手の親指の爪だけが外に出て輝いていた。そのポーズがお気に入りのようだ。ぶらぶらとクルピエの背後へ歩いていき中央テーブルの角で立ち止まった。気だるげで穏やかに話しかけたが、物言いはクルピエよりくだけていた。
「何か問題でも?ミセス・リーガン」
彼女は突きを入れるように彼の方に振り向いた。頬の曲線は内的な緊張に耐えられないかのようにこわばっていた。彼女は彼に答えなかった。
 エディ・マーズは重々しく言った。「もうこれ以上お賭けにならないのなら、お宅まで誰かに送らせましょう」
 娘の頬に赤みがさした。頬骨がひときわ白く目立った。それから調子が外れたように笑い出した。彼女は苦々しげに言った。
「もう一勝負するわ、エディ。赤に総賭けよ。赤が好きなの。血の色だから」》

「タイヤ痕」は<tire tracks>。双葉氏はこれを「トラックのタイヤ」と訳しているが、さすがにそれはないだろう。夜会服のズボンにはサテン生地のリボン状の布が縫い目の部分に縫い付けられている。その幅が広かったのだろう。当時のタイヤは今ほど幅広くなかったから比喩として使ったのだろうが、トラックのタイヤは有り得ない。

「小者が利いた風な口をきくもんだ」は<So wise the little men are>。双葉氏は「小人は養いがたしでさ」と出来合いのことわざをつかっている。村上氏は「けち臭いことを言ってますね」と意訳している。後にくる科白が分かっているから意味的にはそうなのだろうが、<the little men>をどうにか生かしたいと思って「小者」という訳語をひねり出した。

「馬面の年寄り」は<an old horseface>。村上氏はこれを「ひどく不器量なばあさん」と訳している。そういう意味がどこかにあるのか、いろいろ調べてみたが分からなかった。双葉氏は<horserace>と誤読したのだろう。「むかしハヴァナの競馬で」と訳している。話が途中で遮られているからいいようなものの、続いていたらどうなっていたことか、想像すると面白い。

「そこは静まり返っていた」は<It had gone dead.>。双葉氏は「全然からだった」。村上氏は「そのルーレット台は既に動きを止めていた」と言葉を補っている。人々が中央テーブルに集まっているからだろう。マーロウがいるのは左端のテーブルである。中央テーブルで騒ぎが起きて客がそちらに動いたので、そこは、もう稼働していない。

「彼女は中央テーブルの回転盤の真正面にいた」は<She was at the middle table, exactly opposite the wheel.>。双葉氏も「彼女は中央の台の回転盤の真正面にいた」と訳している。村上氏はここを「彼女は中央のテーブルの、ルーレットを挟んで私のちょうど正面にいた」と訳している。マーロウがいるのは左端のテーブルだ。二つのテーブルがどれだけ近いかは別として、中央テーブルには客がいて、人だかりもあるはずだ。「私のちょうど正面」はおかしい。

「あなたって取るときはさっさと持っていくのに、出すときは泣き言を言い始めるのね」は<You take it away fast enough I've noticed, but when it comes to dishing it out you start to whine.>。これだけある情報量を双葉氏は「引っこむてはないでしょ」の一言で片づけている。村上氏の「取るときはさっさか急いで持って行くくせに、自分が吐き出すとなるとうだうだ泣き言を言い出すんだから」の長台詞とは対照的だ。

<take it away>と<dish it out>を対句表現として使っている。わざわざ皿という単語を持ち出しているのは、料理に喩えているのだろう。「片づける」時には食べ終わるのを待つように<take it away>するのに、料理を「配る」段になると、なかなか<dish it out>(惜しげなく提供する)しない給仕人にクルピエを喩えている。

「彼の高雅で漠とした第三者的な態度は完璧だった」は<His tall dark disinterested manner was flawless.>。問題は、前半の<tall>と<dark>だ。双葉氏は例によって面倒なところはカットし「その無関心な態度はあっぱれだった」と訳している。村上氏は「彼は長身で、髪が黒く、その乱れのない態度には非の打ちどころがなかった」と彼の外見を表しているという読みで訳している。

だが<tall dark disinterested>は全部が<manner>を修飾していると考えることもできる。<tall>には「上品な、優雅な」の用例があるし、<dark>には、はっきりしない曖昧な様子を示すいくつもの意味が含まれている。外見と物腰、二つの意味を兼ねていると見るのが自然だ。しかし、日本語でその二つを共に表す語はそうやすやすとは見つからない。そこで、仕方なく外見の方は捨て、物腰を表す修飾語の方を選んだ。

『大いなる眠り』註解 第二十二章(1)

《黄色い飾帯を巻いた小編成のメキシコ人楽団が、誰も踊らない当世風なルンバを控えめに演奏するのに飽きたのが十時半ごろだった。シェケレ奏者はさも痛そうに指先をこすり合わせると、ほとんど同じ動きで煙草を口に運んだ。他の四人は申し合わせたように屈み込み、椅子の下からグラスを取ってすすり、舌鼓を打って目を輝かせた。飲み方を見ればテキーラのようだが、多分ただのミネラルウォーターだ。その芝居は音楽と同じくらいむだだった。誰も彼らを見もしなかった。
 その部屋はかつての舞踏室で、エディ・マーズは彼の商売に必要最小限の改装を施していた。クロムの輝きもなければ、天井に四角く刳ったコーニスからの間接照明もなく、溶融ガラスの絵画も、過激な革と磨き上げた金属配管でできた椅子もなし。ハリウッドのナイトクラブ特有のモダニズム紛いの虚仮威しは一切なかった。重厚なクリスタル・シャンデリアからの灯りに、壁の薔薇色のダマスク織の鏡板は時間の経過により少し色褪せ、埃で色調が暗くなっていたが、今もまだ往時のままの薔薇色のダマスク織だった。それはかつて寄木張りの床によく調和していたが、今は小編成のメキシコ人楽団の前のガラスのように滑らかな小さなスペースだけが剥き出しになっていた。残りの部分は大金を投じたにちがいない分厚いオールド・ローズ色の絨毯に覆われていた。寄木張りは十種類ほどの広葉樹で構成されていた。ビルマ・チークから僅かな諧調を見せる六種のオークを経て、マホガニーのような赤みを帯びた木から、カリフォルニアの丘陵地帯に生える野生のライラックの冴えた淡青色に溶暗するまで全てが精巧な様式で正確に推移するよう敷き詰められていた。
 そこは今でも美しい部屋で、整然とした流行遅れのダンスに代わって、今そこにはルーレット台があった。向こうの壁に沿ってテーブルが三つ。低いブロンズの手すりがそれらをひとまとまりに、クルピエたちの周りを囲っていた。三台とも稼働中だったが、客は中央の一つに集まっていた。近くにヴィヴィアン・リーガンの黒い頭が見えた。私は部屋の反対側にあるバー・カウンターに凭れてバカルディの小さなグラスをマホガニーの上で回していた。バーテンダーが私の横にかがみ込み、中央テーブルに陣取った身なりの良い集団を見ていた。「今夜は彼女がかっさらっていきますよ。まちがいっこありません」彼は言った。「あの背の高い華奢な黒髪です」
「誰なんだい?」
「名前は知らないけど、入り浸りです」
「彼女の名前を知らない訳がないだろう」
「私はここで仕事をしてるだけです。ミスタ」彼は悪びれもせず、そう言った。「彼女は一人です。連れの男は酔っぱらってます。車に放り込みました」
「私が彼女を家まで送ろう」私は言った。
「本気ですか。やれやれ。ともかく幸運を祈りますよ。そのバカルディ、何かで割りますか。それともそのままがお好きですか?」
「そのままが好きというほどではないが、今はこれでいい」私は言った。
「私なら喉頭炎の薬でも飲んだ方がましですね」》

「シェケレ奏者」は<the gourd player>。<gourd>とは瓢箪で作った打楽器のことで、ラテンやアフロ・ミュージックで使われている。胴の周りに網状のものがついているので、両側の皮の部分を叩くと、それが胴に当たって乾いた音を立てる。双葉氏は「小太鼓をたたいていた男」。村上氏は「瓢箪で作った楽器を演奏していた男」と訳しているが、<player>を「男」と決めつけるのはどうか?まあ、時代も時代だから男だとは思うけれど。

「過激な革と磨き上げた金属配管でできた椅子」は<chairs in violent leather and polished metal tubing>。双葉氏はあっさり「金属性の家具」と訳している。これはこれで不親切だが、村上氏は「きつい紫色の革を張った椅子もなく、ぴかぴかの金属配管もなかった」とご丁寧に二つに分けて訳している。村上氏は<violent>を<violet>「すみれ色(青みがかった紫色)」と空目したのではないだろうか?まあ、きつい紫色の革の椅子も過激ではあるが。ここは、一つ一つを<no>を先につけて否定していく、定家卿の「見渡せば花も紅葉もなかりけり」と同じないものを数え上げていく高踏的なレトリック。他のインテリアは一つずつカンマで区切られているから、無理に二つに分けたりしない方がいい。

「薔薇色のダマスク織」は<rose-damask>(二度目は<rose damask>)。双葉氏は今回も「石竹色」と訳しているが、もし色を指すなら<damask rose>「淡紅色」という表記が一般的だ。村上氏は二度とも「バラ色のダマスク織り」と訳している。分からないのは、チャンドラーが何故二回目はハイフンを入れなかったかだ。その理由が分からない。

「オールド・ローズ色の絨毯」は<old-rose carpeting>。「オールド・ローズ」は19世紀以降に作られた「モダン・ローズ」以前のバラを指す。双葉氏は「深いばら色のじゅうたん」。村上氏は「灰色がかったピンク色のカーペット」。どちらもまちがいではないが、第二十二章ではチャンドラーがめずらしく色にこだわって書いているので、色名としてのオールド・ローズに敬意を表したまでのこと。先に挙げた<damask rose>もオールド・ローズを代表する一品種だ。

「寄木張りは十種類ほどの広葉樹で構成されていた。ビルマ・チークから僅かな諧調を見せる六種のオークを経て、マホガニーのような赤みを帯びた木から、カリフォルニアの丘陵地帯に生える野生のライラックの冴えた淡青色に溶暗するまで全てが精巧な様式で正確に推移するよう敷き詰められていた」は<The parquetry was made of a dozen kinds of hardwood, from Burma teak through half a dozen shades of oak and ruddy wood that looked like mahogany, and fading out to the hard pale wild lilac of the California hills, all laid in elabolate patterns, with the accuracy of a transit.>。

双葉氏は「寄木細工の床は、いろいろな種類の材木が使ってあった。ビルマ・チーク、樫、マホガ二ーみたいに見える赤っぽい材木、カリフォルニアの丘々にある野生ライラック、それらが精巧な模様を織りだしていたものだ」と、実にあっさりしたものだ。マーロウの寄木の床への愛着がちっとも伝わってこない。なるほど、これでは村上氏が自分で訳してみたくなる気持ちも分かる。

その村上氏の訳はこうだ。「寄木細工には十種類以上の硬木が使われていた。ビルマ・チークから、微妙に色合いの異なる六種類の樫を通過して、マホガニーみたいな赤みを帯びた木へと移り、それからカリフォルニアの丘陵地帯に生える頑丈な薄青色の野生のライラックへと色が淡くなっていく。そんなすべてが念入りに並べられ、その模様のグラデーションはまさに絶妙だった」。

丁寧な訳だが「頑丈な薄青色」は変だ。それまで色に注目して書いているのに、ここで突然材質を述べたとは思えない。<hard>「くっきりした」は薄青色の色あいの形容だと考えたい。因みに、両氏とも<oak>を「樫(かし)」と訳すが、これは誤り。オークは落葉樹で、樫は常緑樹。明治時代の翻訳家が誤訳したのがそのままになっている。オークを日本語にするなら「楢(なら)」である。

「私なら喉頭炎の薬でも飲んだ方がましですね」は<Me, I’d just as leave drink croup medicine.>。双葉氏は「あっしゃ喉頭炎の薬に使うだけでさ」。村上氏は「あたしなら喉頭炎の薬でも飲んでますがね」と訳している。<I'd (just) as leave do something>というイディオムは<I would rather do something.>の意味だ。バカルディはカクテルのベースに使うラム酒として有名だが、度数は75.5度もある。双葉氏のように喉頭炎の薬として使うのは難しいかもしれない。

『大いなる眠り』註解 第二十一章(4)

《彼はグラス越しに火を眺め、机の端に置くと、薄手の綿ローンのハンカチで唇を拭った。
「口はたいそう達者なようだ」彼は言った。「が、たぶん腕の方はそれほどでもない。リーガンに特に興味はないんだろう?」
「仕事の上では。それを頼まれてはいない。ただ、彼がどこにいるのかを知りたがっている人を知っている」
「彼女は気にもしていない」彼は言った。
「というか彼女の父親のことだ」
 彼はもう一度唇を拭き、まるでそこに血を見つけるのを期待したかのようにハンカチを見た。彼は密集した灰色の眉を寄せ、陽に灼けた鼻の片側に指をあてた。
「ガイガーは将軍を脅迫しようとしていた」私は言った。
「将軍はそうは言わなかったが、背後で糸を引いているのがリーガンではないかと半信半疑の態だった」
 エディ・マーズは笑った。「ああ、ガイガーは誰にでもその手を使っていた。そいつは完全に一人で思いついたことだ。一見合法的な借用書を手に入れる──訴える気がなかったことを別にすれば、おそらく合法的だったろう。美辞麗句を添えた借用書を贈ったら、あとは手を空けて待つだけだ。もし引いた札がエースで、相手が怯えてると見たら仕事にかかるし、エースが来なかったらあっさりとゲームから下りた」
「抜け目のないやつだ」私は言った。「彼はちゃんと幕を下ろした。幕を下ろしておいて、その上に倒れた。君はどうしていきさつを知っているんだ?」
 彼はもどかしそうに肩をすくめた。「信心深いのさ。俺の知らないうちに情報が入ってくる、半分はがらくただ。俺たちの間では他人の商売を知ることは最悪の投資だ。それで、おまえが追ってたのがガイガーだったなら、その件とは縁が切れたわけだ」
「すっかり縁が切れて、お役ご免だ」
「それは気の毒したな。俺はスターンウッドの爺さんがおまえみたいな兵隊をちゃんとしたな給料で雇えばいいと思っていた。あの娘らがせめて週のうち数夜を家で過ごせるように」
「どうしてだ?」
 彼の口は不機嫌そうに歪んだ。「あいつらはまったく厄介だ。黒い髪の方がいい例さ。彼女はこのあたりの頭痛の種だ。負けると大博打を打つから最後は俺の手に借用書が山と積もる。そんなものどれだけ値引きをしても誰も手を出さない。彼女は小遣い銭しか持っていないし、父親の遺言の中身は誰も知らない。それでいて勝てば俺の金を家に持ち帰るんだ」
「君は次の晩に取り戻すじゃないか」私は言った。
「いくらかはな。しかし、長期的に見れば俺が損をしている」
 彼は真剣に私を見た。まるでそれが私にとって重要だとでもいうみたいに。なぜ彼は私にすべて言っておく必要があると思ったのだろう。私はあくびをし、酒を飲み終えた。
「賭場を覗いてみたいんだが」私は言った。
「いいとも」彼は金庫室の近くのドアを示した。
「そこが、テーブルの後ろのドアに通じている」
「よければカモ用入り口から入りたい」
「いいさ。好きなように。俺たちは友だちだ。なあ、ソルジャー?」
「もちろん」私は立ち上がり、我々は握手を交わした。
「たぶんいつか、心から役に立たせてもらうよ」彼は言った。「今回は全部グレゴリーから聞いたらしいからな」
「やっぱり、彼も君の息がかかっていたのか」
「そう悪くとるもんじゃない。ただの友だちさ」
 私はしばらく彼を見つめた。それから入ってきたときのドアの方に行きかけた。ドアを開けるとき彼の方を振り返った。
「誰かにグレイのプリムス・セダンで私を尾行させたりしてないよな?」
 彼の眼が突然見開かれた。ショックを受けたようだった。「するもんか。何で俺がそんな真似をしなきゃならない?」
「見当もつかない」私はそう言って外に出た。彼の驚きは信じていいくらい本物に思えた。少し不安そうにも見えた。私にはその理由がわからなかった。》

「たぶん腕の方はそれほどでもない」は<I dare say you can break a hundred and ten.>。双葉氏は例のごとく決まり文句をつかって「そうは問屋が卸すまいて」と訳している。村上氏はというと「そう簡単には言いくるめられないぜ」と意訳している。しかし、その前の台詞でマーロウは何も相手を説得しようとはしていない。ただ、拳銃使いを差し向けるようなまねはよせ、と要求しただけだ。

<I dare say>は、はっきりしないことを推量して言う時に使う「たぶん~だろう」くらいの意味。エディ・マーズの口癖らしい。その後の<a hundred and ten>つまり「110」が何を意味しているかだが、100を基準にしているところから見て、ゴルフのスコアではないだろうか?その前の「口はたいそう達者なようだ」が<You talk a good game>で、それを<but>で受けて文を構成しているところから見て、前半が「口」なら後半は「腕っぷし」と考えるのが普通だ。

エディ・マーズは、マーロウは110は切れると推測している。アベレージ100が一つの目安とされているから、初心者ではなくそこそこの腕前ととらえているようだ。もちろん、ゴルフにたとえてはいるが、銃その他の腕前のことだろう。その前の会話でエディ・マーズの部下を追っ払った武勇伝をマーロウが自慢気に語ったのを受けての台詞と考えたい。そうすると、両氏の訳では、その意が伝わるとは言い難い。

双葉氏の方は「そうは問屋が卸すまいて」だから、子分を簡単にはやっつけることができないという意味は何とか伝わるが、村上訳ではエディ・マーズの「おまえの腕がどれくらいのものだ」というマーロウの威しに対する返しが全然効いていない。言葉のやり取りを卓球のリレーにたとえるなら、相手の打ったボールをちゃんと打ち返さないと会話が続かない。村上訳はそれができていない。おそらく、双葉訳を参考にしているのが、その原因だろう。

ガイガーの強請の手口についてエディ・マーズが解説する「一見合法的~待つだけだ」のところを、双葉氏は「奴は合法的に見える手形を手に入れ、逆(さか)ねじを食いそうもないと見とおしをつけると、その証文をかもにつきつける」と、ほとんど作文している。面倒くさいからか、読者がこんがらがると考えたのか知らないが、これでは訳と呼べない。

「あとは手を空けて待つだけだ。もし引いた札がエースで、相手が怯えてると見たら仕事にかかるし、エースが来なかったらあっさりとゲームから下りた」の箇所を村上訳は、「あとは手をこまねいて待つ。もしうまく行って、相手が縮みあがっているという感触を得れば、そこで本腰を入れて仕事にとりかかる。もしうまくいかなければ、あきらめてそのまま捨ててしまう」とほぼ原文通りながら、何故かカード・ゲームの比喩をカットしている。

実はこの<dropped the whole thing>「あっさりとゲームから下りた」が、キイ・ワードだ。ガイガーを<Clever guy>とほめた後で、マーロウは<He dropped it all right. Dropped it and fell on it.>と続ける。村上氏は「たしかにやつはそれを捨てた。ところがそいつにつまづいて転んでしまった」と訳す。賭博場のオーナーであるエディ・マーズの言う<dropped>はトランプのゲームを「下りる」ことだ。村上氏は「捨ててしまう」と訳すが、カード・ゲームの比喩をカットしたら「捨てる」という訳は無理がある。

drop>のようなある意味単純な単語はいろんなふうに訳すことができる。そういう意味ではどれが正解という訳はないのかもしれない。ただ、<Clever guy>を村上氏のように「うまい手だな」と、一つ前のパラグラフの強請りの手口に対する誉め言葉と取るのはどうだろう。この語は改行されたパラグラフの文頭に来ている。その意味では双葉訳の方が原文に忠実だと思う。双葉氏はエディ・マーズの言う<dropped>を「あきらめる」と訳し、あとを「頭がいいな。今度の件もあきらめた口だろうが、ついでに自分の命まであきらめちまったわけだね」と訳している。

「その件とは縁が切れたわけだ」は<you’re washed up on that angle>。双葉氏は「今度の件はすっかり洗いつくしたはずだね」と訳している。「洗う」には本来の意味のほかに警察などの隠語で、事件を調査する意味があるから上手い訳だとは思う。ただ<washed up>には、そのままで「縁が切れた」の意味がある。村上氏は「すぐに行き止まりになる」と訳す。 <wash up>には「(波が漂流物を)浜に打ち上げる」などの意味があるから、それを使ったのかもしれないが、マーロウはエディ・マーズの言葉を受けて<washed up>のあとに、<and paid off>「お役ご免だ」と言うのだから「縁が切れる」がぴったりだ。

『大いなる眠り』註解 第二十一章(3)

《私がそこに着いたのは九時ごろだった。高目の速球のように決まるはずの十月の月は海辺の霧の最上層で惚けていた。サイプレス・クラブは町外れにあった。だだっ広い木造の大邸宅でドゥ・カザンという名の金持ちが夏の別荘として建てたものだが、後にホテルになった。今では外見は大きくて暗いさびれた場所になっていた。風に捻じ曲げられたモントレー糸杉の鬱蒼とした木立に囲まれているのが名の由来だ。巨大な渦巻装飾付き張り出し屋根、至るところに突き出した小塔、ステンドグラスに縁どられた大きな窓、裏手にある大きな空っぽの厩舎、とすべてが滅びゆくものへの懐旧の念を感じさせた。エディ・マーズは、MGMのセットのような外観にする代わりに、見つけたときのままに残していた。パチパチ音を立てるアーク灯の点いた街路に車を残し、湿った砂利道に沿って正面玄関まで歩いた。 ダブルブレストのガーズマン・コートを着たドアマンが大きくて薄暗く静かなロビーに私を案内した。白いオーク材の階段が堂々たるカーブを描いて上階の暗闇まで伸びていた。 私は帽子とコートを預け、背後の重い両開き扉から漏れる音楽に混じった話し声を聞きながら待った。それは遠く離れたところでしているようで、建物自体と同じ世界のものとは思えなかった。やがて、ガイガーの家でエディ・マーズとボクサーくずれと一緒に鉢合わせた痩せた顔色の悪い金髪の男が階段下のドアから出てきて、寒々とした笑みを浮かべ、絨毯敷きの廊下を通って私をボスのオフィスに先導した。

 方形の部屋には奥行きのある古風な出窓と石造りの暖炉があり、杜松の丸太が気怠げに燃えていた。壁は胡桃材の腰板に覆われ、鏡板の上に色褪せたダマスク織の帯状装飾がついていた。天井は高くて遠かった。冷たい海の匂いがした。

 エディ・マーズの黒っぽいつや消しの机は部屋に似つかわしくなかったが、何にしたところで、一九〇〇年以後に作られた物なら同じだったろう。絨毯はフロリダの陽に灼けたような色だった。大型ラジオが部屋の隅に置かれ、セーブル焼のティー・セットを載せた銅製のトレイがサモワールの横にあった。誰のための物かと思った。隅に時限錠がついた金庫室の扉があった。

 エディ・マーズは社交的な笑みを浮かべ、握手をし、金庫室の方へ顎を動かした。「これがないと簡単に強盗に入られてしまう」彼は愛想よく言った。「毎朝地元のやつらがやって来て俺がこいつを開けるのを見る。やつらとそう取り決めているんだ」「何か教えてくれることがあると言ってたな」私は言った。「どういうことだ?」

「急いでいるのか?座って一杯つきあえよ」

「別に急いではいない。商売以外に話すことなんかないだろう」

「まあそう言わずに一杯やれよ、きっと気に入る」彼は言った。彼は二杯の酒をつくり、赤い皮革の椅子の横に私のを置き、自分は足を組んで机に凭れた。片手をミッドナイト・ブルーディナージャケットのポケットに突っ込み、外に出した親指の爪が光っていた。ディナージャケットを着ていると、グレイ・フランネルの時よりは少しやり手っぽく見えたが、それでもまだ馬に乗る方が似合いそうだった。私たちは飲んで頷きあった。

「前に来たことがあったか?」彼は訊いた。

禁酒法時代に。賭け事にはのめりこめない質(たち)でね」

「金は賭けなくていい」彼は微笑んだ。「のぞいて見るべきだ。お友達の一人が向こうでルーレットをやっている。彼女は調子がよさそうだ。ヴィヴィアン・リーガンだ」

 私は酒をすすり、彼のモノグラムのある煙草に手を伸ばした。

「昨日のおまえのやり方が気に入った」彼は言った。「その時は腹が立ったが、結局はおまえの方が正しいと分かった。おまえと俺は仲良くやるべきだ。借りはいくらになる?」

「何の借りだ?」

「まだ警戒しているのか?俺は警察本部にパイプがある。でなきゃここにいられない。何があったかは知っている。新聞で読むのとはちがうのをな」彼は大きな白い歯を見せた。

「どれくらい持っているんだ?」私は訊いた。

「金の話をしているんじゃないよな?」

「情報のことだと思っていたんだが」

「何についての情報だ?」

「物忘れが過ぎるな。リーガンのことだ」

「そうだった」彼は天井で光を放つ青銅のランプの一つから来る穏やかな灯りによく光る爪を揺らした。「すでにその情報は得たそうじゃないか。手間を取らせた謝礼がいるな。俺は世話をかけたら金で礼をするのに慣れているんだが」

「金を借りにここまで車を転がしてきたわけじゃない。私はしていることに対して報酬を受け取る。君の基準からいえば多くはないが、なんとかうまくやっている。顧客は一度に一人というのは良いルールだ。リーガンを消したのは君じゃないんだろう?」

「ちがう。俺がやったと思ったのか?」

「君ならやりかねない」

彼は笑った。「ふざけてるのか」

 私も笑った。「ちょっとからかってみただけさ。私はリーガンに会ったことはないが写真は見た。君のところにこの仕事のできる者はいない。とはいえ、この件に関してこれ以上、銃を持ったチンピラをよこさないでくれ。頭にきて一人くらい撃ち殺すかもしれない」》

 

「高目の速球のように決まるはずの十月の月は海辺の霧の最上層で惚けていた」は<under a hard high October moon that lost itself in the top of layers of a beach fog.>。双葉氏は「鋭くさえているはずの十月の月は、海辺の霧にかくれていた」。村上氏は「高く硬質な十月の月は、海岸の霧のいちばん上の層に仄(ほの)かに霞んでいた」。<a hard high one>にはいろんな意味があるが、打者を威嚇する「高めの速球」が、満月との類比で浮かんだと考えるのが妥当ではないか。

 

双葉氏の訳はそれを踏まえたものと考えられるが、村上氏の直訳はいただけない。「硬質な」月というのは月の属性の何を指していうのだろう。光なら霧に霞んでいるではないか。<lose oneself>は「迷子になる、呆ける、埋没する」などの意味。<lost ball>を連想したものでもあろうか。地上を照らすはずの月あかりが海辺の霧で隠されているのは、何かの暗喩のようでもあるし、サイプレス・クラブの裏寂れた外見を陰鬱に描写する効果を考えてのことかもしれない。

 

「ドゥ・カザン」は<de Cazens>。双葉氏は「デ・カゼンス」。村上氏は「デ・ケイズンズ」と訳している。ラテン語由来の冠詞がついているのだから、フランス語風の読みにしてみた。フランスには地名としてあるらしい。アメリカ人がどう読むかはつまびらかではないが、西海岸にはスペイン語由来の地名は数多くある。わざわざ英語風の読みにして「デ・ケイズンズ」と読むとは考えにくいのだが。

 

「パチパチ音を立てるアーク灯」は<sputtering arc lights>。これを双葉氏は「アーク灯が輝いている」と訳し、村上氏は「まばらなアーク灯」と訳している。<sputter>は「パチパチ音を立てる、唾をぺっぺと吐く」等の意味。村上氏は<scattering>(散乱、ばらばらの)と読み違えたか。双葉氏の方は「輝いている」だから<sparkling>だろうか?いずれにせよ、こういう細かな読み違えは起きるものだ。他者の目で確かめる必要がそこにある。

 

「ダブルブレストのガーズマン・コートを着たドアマン」は<A doorman in a double-breasted guard’s coat>。双葉氏は「ダブル・ボタンの守衛服を着たドアマン」。村上氏は「お仕着せのダブルのコートを着たドアマン」だ。<guard’s coat>とは、背にベルトを配したアルスター・コートに似たダブルのコートだが、袖の折り返しのないことやラペルの形状のちがいから見分けられる。フォーマルなコートで、「守衛服」というのはどうか。たしかに「お仕着せ」かもしれないが、決まった呼び名のあるコートを訳さない手はない。こういったアイテムに対する独特のこだわりはハードボイルド小説固有の持ち味というものである。

 

「色褪せたダマスク織の帯状装飾」は<a frieze of faded damask>。双葉氏は「色あせた石竹色の飾壁」としている。たしかに<damask>には「淡紅色」の意味もあるので一概にまちがいとはいえないが、室内装飾を描写しているので、ここは「ダマスク織」だろう。村上氏も「色褪せたダマスク織りの装飾帯」としている。

 

「地元のやつら」と訳した箇所は<The local johns>。双葉氏は「この辺の仲間」と訳しているが、村上氏は「土地の警官たち」と一歩踏み込んだ訳になっている。複数の辞書に当たっても例が見当たらなかった。スラングにそういう意味があるのかもしれないが、よくわからない。曖昧な訳になるのは好むところではないが、断定できないものはどちらとも取れる訳語にするしかない。

 

ディナージャケットを着ていると、グレイ・フランネルの時よりは少しやり手っぽく見えたが、それでもまだ馬に乗る方が似合いそうだった」は<In  dinner clothes he looked a little harder than in gray flannel, but he still looked like a horseman.>。また<horseman>が出てきた。これを双葉氏のように「馬術家」と決めつけるのはためらわれるし、村上氏のように「乗馬をする人」と噛みくだくのもハードボイルドさに欠ける。そこで、こういう訳になった。自分の中のイメージでは<horseman>とは、カウボーイの格好で馬に乗るので、馬術家や乗馬というのとは少しちがうのだ。

 

「天井で光を放つ青銅のランプ」は<bronze lamps that shoot a beam at the ceiling>。双葉氏はあっさり「青銅のランプ」と訳しているが、村上氏は「天井の梁に向けて光線を送っているブロンズのランプ」と、<beam>を「光線」と「梁」と二重に使っている。これはケアレスミスではないだろうか?もし<beam>を「梁」の意味にとるなら、ブロンズのランプは何を<shoot>するんだろう。まさか弾丸ではないだろう。

『大いなる眠り』註解 第二十一章(2)

《私は指を折って数えあげた。ラスティ・リーガンは大金と美人の妻から逃げて、エディ・マーズという名前のギャングと事実上結婚していた正体の知れない金髪女とさまよい歩いている。彼が別れの挨拶も告げずに突然消えたのにはいろいろ訳があったのかもしれない。将軍は誇りが高過ぎたか、慎重すぎたからか、私に最初に会ったとき一件を失踪人課の手に委ねたことを話さなかった。失踪人課の連中はくたびれ果てていて、明らかにそれに頭を悩ます気はなさそうだった。リーガンはやりたいことをやっていて、それは彼の問題ということだ。一緒に暮らしてもいない妻が他の男とどこかの町へ消えたからといって、エディ・マーズが二件の殺人に関るなどということはありそうもないという点で私はグレゴリー警部に同意する。腹を立てたかもしれないが、仕事は仕事だ。迷子のブロンドのことを考えたりせず、ハリウッド界隈を取り仕切らねばならなかった。もし大金がからんでいたら様子がちがっていたかもしれないが、一万五千ドルなんかエディ・マーズにとってははした金だ。彼はブロディのようなけちなペテン師ではない。

 ガイガーが死んで、カーメンは一緒にエキゾティックなブレンドの密造酒入りドリンクを飲むいかがわしい相手をまた探さねばならない。造作もないことだ。街角に立って五分間はにかんで見せさえすればいいだけだ。願わくは、次のペテン師が彼女を引っかける際にはもう少し穏やかに、短期のではなく、もう少し長期の金づるとして扱ってほしいものだ。

 ミセス・リーガンは金を借りられるぐらいエディ・マーズと昵懇だ。彼女がルーレット好きのいいカモなら当たり前だ。どの賭博場オーナーも困っている上客に金を貸す。それとは別に彼らはリーガンがらみで利害関係があった。彼は彼女の夫であり、エディ・マーズの妻と駆け落ちしたのだ。

 限られた語彙しか持たない若き殺人犯キャロル・ランドグレンは、たとえガス室で硫酸の入ったバケツの上の椅子に縛りつけられなくとも、長期刑に服すことになる。死刑は免れるだろう。彼は情状酌量を歎願するだろうし、それが郡の経費節約にもなる。大物弁護士を雇う金のない連中のいつものやり口だ。アグネス・ロゼルは重要参考人として拘留されている。もしキャロルが助命歎願して、罪状認否手続きで有罪を認めたら、彼女は必要なくなり、釈放されるだろう。彼女が関係したのはガイガーの裏稼業だけだが、警察はそれを暴露されたくない。

 残るは私だ。私は殺人を隠蔽し、証拠を二十四時間の間秘匿したが、まだ自由の身で、もうすぐ五百ドルの小切手が手に入る。もう一杯やって、ごたごたは忘れてしまうのが利口というものだ。

 明らかにそれが手っ取り早かったので、私はエディ・マーズに電話して今晩ラス・オリンダスに話をしに行くと伝えた。私の利口なところだ。》

 

「失踪人課の連中はくたびれ果てていて」は<The Missing Persons people were dead on their feet on it>。双葉氏は「失踪人調査部のほうは立往生のかっこうで」と訳している。村上氏は「失踪人課の連中はもともと動きがのろいし」と訳す。<dead on one's feet>は「(体が)くたくたに疲れて、極度に疲労して」という意味のイディオムだが、両氏とも単語の意味から自分で考えた訳なのだろう。<dead on one's feet>を「立往生」と訳す双葉氏のセンスはさすがだ。

 

「迷子のブロンドのことを考えたりせず、ハリウッド界隈を取り仕切らねばならなかった」は<and you have to hold your teeth clamped around Hollywood to keep from chewing on stray blondes.>。双葉氏は「さまよえる金髪を求めてハリウッド界隈を歩きまわるなんてまねはできるものではない」と訳している。<chewing on~>は、「~のことを熟考する」という意味のイディオム。また、<keep from~>は「~を避けて」という意味だ。まわりくどい言い回しだが、意味的には合っている。

 

村上氏は「だいたいハリウッド界隈には、ぐっとくる金髪女が文字どおりうようよしている」と訳している。どこからこんな訳が出てくるのかさっぱりわけが分からない。ひとつ分かることは原文にある<blondes>の複数形にこだわったのではないか、ということだ。しかし、主語が<you>「人は」と一般的に扱われていることからして、<stray blondes>はすでに個別の金髪女性を離れていると考えられる。「逃げた女房に未練」はあっても、男は仕事をしなければならない、ということを言いたかったのだろう。

 

「願わくは、次のペテン師が彼女を引っかける際にはもう少し穏やかに、短期のではなく、もう少し長期の金づるとして扱ってほしいものだ」は少し長くなるが<I hoped that the next grifter who dropped the hook on her would play her a little more smoothly, a little more for the long haul rather than the quick touch.>。

 

双葉氏は「が、今度彼女をひっかける山師は、もうすこしやんわりと、もうすこしのんびりと、扱ってやってもらいたいものだ」と、素直に訳している。村上氏は「彼女をカモにしようとする次なるいかさま男が、彼女をもう少し練れたやり方で扱ってくれることを私としては望むばかりだ。お手軽なたかり(傍点三字)なんかではなく、もっと長い目で利益を見てくれることを」と話を噛みくだいて訳している。

 

双葉氏の訳では村上訳のように金についての意味合いが抜けているが、ここは、金の匂いがプンプンする。<the long haul rather than the quick touch>の<haul>は動詞なら釣り糸や網を「たぐる」という意味だが、<the long haul>になると「比較的長い期間」という意味のイディオムである。また、<the quick touch>の方だが、俗語の<touch>には「人に金をねだる、無心する、盗む」の意味がある。カーメンの扱いにことよせて、言外に金についての話であることを匂わせているわけだ。

 

「たとえガス室で硫酸の入ったバケツの上の椅子に縛りつけられなくとも、長期刑に服すことになる」は<out of circulation for a long, long time, even if they didn’t strap him in a chair over a bucket of acid.>。双葉氏は「ぜんぜんこの事件の埒外だ。たとえ死刑室の椅子にしばりつけられなくても問題にしないでいい」と訳す。<out of circulation>とは「人づきあいをしない」という意味で、あとに続く<for a long, long time>を含めて、長期拘留を意味している。

 

村上氏は「かなりの長期刑を食らうことになるだろう。もし酸を入れたバケツの上の椅子に縛り付けられなかったらということだが」。なぜ酸を入れたバケツが死刑につながるかといえば、当時のカリフォルニア州の死刑は、死刑囚を密室の椅子に縛りつけ、その下に硫酸入りのバケツを置き、全員が部屋を出る。密閉後、死刑執行人がレバーを引くとシアン化ナトリウムが流れ込み、化学反応によりシアン化水素ガスが発生する仕組みだったからだ。

 

「彼女が関係したのはガイガーの裏稼業だけだが、警察はそれを暴露されたくない」は<They wouldn’t want to open up any angles on Geiger’s business, apart from which they had nothing on her.>。双葉氏は「彼女が無関係となれば、警察はガイガーの商売をどの方面からもあばこうとはしないだろう」。村上氏は「彼女が違法行為を犯していないということもあるが、当局としてはガイガーの闇商売をあまり深く追及したくないからだ」。

 

双葉氏は<angle>を「方面」と訳しているが、俗語では「不正な手段、策略」の意味がある。村上氏の「彼女が違法行為行為を犯していない」は言い過ぎだろう。アグネスはガイガーの裏稼業に加担している。ただ、彼女をを尋問したりすれば、今まで見てみぬふりをしていたことが明らかになる。それは警察としては避けたいところだ。<have nothing on>は「有罪にするのに必要な証拠や情報がない」という意味のイディオム。直訳すれば「彼らはガイガーの商売のからくりを外に漏らしたくないが、そのほかに彼女を有罪にする証拠はない」だ。

 

「私の利口なところだ」は<That was how smart I was.>。双葉氏は「まさに私のスマートなところだ」と、スマートをそのまま使っている。実はここでは<smart>が、三度繰り返し使われている。チャンドラーがよくやる手だが、複数の意味を持つ単語の使い回しだ。拙訳では「利口」という意味と「素早い」という意味を使っている。双葉氏はスマートを二回と「そのて(傍点一字)に限る」。村上氏は「かしこい」を二度と「まっとうなこと」としている。ただし、最後のところを「いつになったらかしこくなれるものか」と反語的に訳している。エディ・マーズとの話の内容如何によって、これが効いてくるのだろうか。

『大いなる眠り』註解 第二十一章(1)

《私はスターンウッド家には近寄らなかった。オフィスに引き返して回転椅子に座り、脚をぶらぶらさせる運動の遅れを取り戻そうとした。突然風が窓に吹きつけ、隣のホテルのオイル・バーナーから出る煤が部屋の中に吹き下ろされて、空き地を転々とするタンブルウィードのように転げ回った。私は昼食を食べに出ようかと考え、人生はとんでもなく退屈だと考え、おそらく酒を飲んでも退屈さに変わりはないし、一日のこんな時間に一人で酒を飲んでもたいして面白くもない、とそんなことを考えていたときノリスから電話がかかってきた。持ち前の慎重さと礼儀正しさで、スターンウッド将軍の気分がすぐれず、読み聞かされた新聞のとある記事で、私の調査が完了したものと推測した、と告げた。

「ガイガーに関してはそうだ」私は言った。「私は彼を撃っていない、知ってのように」

「将軍もあなたとは考えておられません。ミスタ・マーロウ」

「将軍はミセス・リーガンが心配していた例の写真のことを知っているのか?」

「いいえ、まったくご存知ありません」

「将軍が私に何を渡したか知っているかい?」

「はい、存じております。三通の借用書と一枚の名刺だったと思います」

「その通り。それを返すよ。写真は破棄した方がいいと思う」

「それがよろしいかと存じます。ミセス・リーガンが昨夜何度も電話をおかけになられていたようですが──」

「外へ飲みに行ってたんだ」私は言った。

「はい、とても必要なことです、サー、そう思います。将軍があなたに五百ドルの小切手を送るようにとお命じになりました。それでご満足いただけますか?」

「たいへん気前のいいことだ」私は言った。

「そして、私どもはこの件に関して鍵がかけられたと考えてよろしいのでしょうか?」

「ああ、確かに。時限錠付きの地下金庫室みたいに厳重にね」

「ありがとうございます、サー。私ども一同感謝いたしております。将軍のご気分がもう少しよくなられたら──明日にでも──直接お礼を申しあげたいとのことです」

「結構だね」私は言った。「お伺いしてブランデーでも頂戴しよう。シャンパンも添えて」

「ちょうど飲み頃に冷えているか見ておきます」老人は作り笑いが聞こえる一歩手前の声で言った。

 それで終わり。私たちはさようならを言って電話を切った。窓から隣のコーヒー・ショップの匂いが煤といっしょに入り込んできたが、食欲を起こすところまではいかなかった。そんなわけで私はオフィス用のボトルを出してひと口飲り、自尊心には勝手にレースをやらせておいた。》

 「三通の借用書と一枚の名刺だったと思います」は<Three notes and a card, I believe.>。前にも書いたことだが、この<a card>は名刺のことだ。双葉氏もそう訳している。ところが、村上氏はまた「三通の借用書と、一枚の葉書であると理解しておりますが」と、執事のノリスにまでまちがいを犯させている。ちなみに村上氏自身の文章を引いておく。「私は封筒から茶色の名刺と、ごわごわした三枚の便せんを取り出した」『大いなる眠り』(p.17)

「そして、私どもはこの件に関して鍵がかけられたと考えてよろしいのでしょうか?」は<AndI presume we may now consider the incident closed?>。<closed>は店の看板にあるのと同じ意味で閉店、或いは休業中の意味だ。それを「鍵がかけられた」と意訳したのは、次の「ああ、確かに。時限錠付きの地下金庫室みたいに厳重にね」というマーロウの言葉があるからだ。原文は<Oh, sure. Tight as a vault with a busted time lock.>。 

双葉氏は「では、これでご依頼申し上げました件は落着といたしてよろしゅうございましょうか?」「モチ。時限錠付の保護金庫みたいにがっちりおしまいさ」と「おしまい」に「終い」と「蔵う」をかけている。村上氏は「そしてわたくしどもは、これで一件は終了(クローズ)したと考えてよろしいのでしょうか?」「もちろん。防犯時限ロックつきの金庫みたいに、しっかり閉鎖(クローズ)している」とルビを使っている。 

「老人は作り笑いが聞こえる一歩手前の声で言った」は<the old boy said, almost with a smilk in his voice.>。双葉氏は「わが友は、くすくす笑いながら答えた」。村上氏は「と執事は言った。その声にはほとんど淡い笑みさえ浮かんでいた」。<smirk>だが辞書には「にやにや笑う、気取った[きざな]笑い方をする、いやになれなれしく笑う、作り笑いをする」という意味が並んでいて、あまり好感の持てる笑いではないような気がするのだが、両氏とも、あまりそれを気にはしていないようだ。 

「食欲を起こすところまではいかなかった」は<but failed to make me hungry>。双葉氏は「私の空腹をさそうようにただよった」とし、村上氏は「それは残念ながら私の食欲を刺激してはくれなかった」としている。双葉氏の訳では、食欲が刺激されているように読める。問題はこの後の<So I got out my office bottle and took the drink and let my self-respect ride its own race.>にあるように思う。 

双葉氏はそこを「私は机からびんをとりだし一杯ひっかけ、腹は減ってもひもじゅうないと見得をきった」と、いかにも時代がかった訳にしている。それというのも<let my self-respect ride its own race.>が何を意味しているのかよく分からないからではないだろうか。こういうとき、双葉氏は決まり文句に頼ることが多いからだ。村上氏も「自尊心には好きにレースを走らせておくことにした」と、ほぼ直訳ですませている。 

何故、ここで唐突に自尊心が登場してくるのか?ノリスと電話で会話をする前にマーロウは酒を飲むかどうか、とつおいつ考えていた。マーロウの眼には回転草が回るように煤煙が吹き下りてくるのが見えていた。人生の味気なさに思いをいたしていたのだ。酒瓶に手を伸ばすかどうか躊躇していたともいえる。日も高いうちから酒を飲むことに内心の抵抗があるのはその口ぶりからも透けて見える。自尊心はそう簡単に酒に頼るべきではないと内なる声で囁き続けている。マーロウは、それを無視して酒瓶に手を伸ばし、一杯ひっかける。自尊心に「勝手に自分のレースでもやっているがいい」とうそぶいて。

『大いなる眠り』註解 第二十章(3)

《グレゴリー警部は頭を振った。「もし彼が稼業でやっているくらい切れるなら、この件も手際よく処理するさ。君の考えは分かるよ。警察は彼がそんな馬鹿なまねをするわけがないと考えるからわざと馬鹿なまねをしてみせるというんだろう。警察の見方からすればそれは悪手だ。警察と関われば頭を悩ますことが増え、仕事に支障をきたすだろう。君は愚かな振りをするのが利口だと思うかもしれない。私もそう思うかもしれない。現場はそうは思わない。彼らは彼の悩みの種になるだろう。私はその考えを取らない。もし私がまちがっているなら、君が証明すればいい。そうしたら私は椅子のクッションを食ってみせよう。それまでエディは白のままだ。彼のようなタイプに嫉妬という動機は似合わない。一流のギャングはビジネスの頭脳を持っている。彼らはどうするのが得策かを学んでいる。個人的な感情をはさんだりしない。私は除外するね」

「何を残しているんだ」

「夫人とリーガン自身だ。他にはいない。彼女はかつてはブロンドだったが、今はちがうだろう。警察は彼女の車を発見していない。おそらく二人はその中だ。彼らは我々より先にスタートしている──十四日も。リーガンの車を別にしたらこの件に関しては全く手がかりがつかめない。もちろん、そんなことには馴れっこだ。特に上流家庭の場合は。そして言うまでもないことだが、私がこれまで調べたことは帽子の下にしまっておかにゃならん」

 彼は椅子の背にもたれ、椅子の肘掛けをその大きながっしりした両手の付け根で叩いた。

「私は何もしないで、ただ待っている」彼は言った。「外部に協力を求めてはいるが、結果はすぐには出てこない。リーガンが一万五千ドル持っていることは聞いている。女もいくらかは所持している。かなりの量の宝石も持っているだろう。しかし、いつかは底をつく。リーガンが小切手を現金化するか、約束手形を書くか、手紙を書くかするだろう。見知らぬ町で、新しい名で通っていても、人の欲望は変わらない。彼らは財政の仕組みに帰らざるを得なくなるだろうよ」

「エディ・マーズと結婚する前、彼女は何をしていたんだ?」

「歌手だ」

「その当時の写真は手に入らなかったのか?」

「ない。エディはきっと何枚か持っているはずだが、気前よく見せてはくれなかった。彼は彼女の邪魔をしたくないのだろう。私は彼に強制できない。彼は町に友人がいる。でなきゃ今のようになれはしない」彼は不服そうだった。「これで何かお役に立てたかな?」

 私は言った。「二人とも絶対に見つからないだろうね。太平洋が近すぎる」

「椅子のクッションについて言ったことは本気だ。いつかは見つける。時間はかかるかもしれない。一年か二年はかかるだろう」

「スターンウッド将軍はそんなに長くは生きられない」私は言った。

「我々はできることはすべてやった。彼がいくらか金をはずんでほうびを出す気があれば、結果を出せるかもしれん。市はそのために金を出してくれんのだ」彼の大きな両眼がじっと私を見、まばらな眉が動いた。

「君は本気でエディが二人を片づけたと考えているのか?」

 私は笑った。「いや、ちょっとからかってみただけだ。私も同じように考えているよ、警部。リーガンは相性の悪い金持ちの妻より、惚れた女と一緒に逃げたのさ。それに夫人はまだ金持ちになっていない」

「彼女に会ったんだろう?」

「ああ。週末を派手に過ごすのだろうが、彼女はそんなお定まりにうんざりしている」

 彼は何かぶつぶつ言った。私は手間を取らせたことと情報をくれたことに礼を言って部屋を出た。グレイのプリムス・セダンが市庁舎からあとをつけてきた。私はそれに静かな通りで私に追いつくチャンスを与えたが、相手はのってこなかった。そういうわけで、私はかまわず仕事に戻った。》 

「現場はそうは思わない」は<The rank and file wouldn’t>。この<the rank and file>だが、「兵士、一兵卒、平社員、一般組合員、庶民、大衆」を表すイディオムだ。双葉氏は「が、俗衆はそう思わん」と、「一般大衆」の意味に訳している。村上氏はというと「しかし、現場の兵隊たちはそこまで深く考えやしない」と、現場の兵隊、つまり平の刑事や警官と解している。問題は、解釈のちがいが次の訳に関わってくることだ。 

「彼らは彼の悩みの種になるだろう」は<They’d make his life miserable.>。その「彼ら」を大衆と取るか、警察と取るかで「彼ら」のやることが変わってくる。双葉氏は大衆、つまり賭博場の客と取るから、「店の信用が落ちて哀れなことになる」と訳す。村上氏は警察と取るから、「連中はやつの生活をかきまわすだろう」と訳す。エディ・マーズの生活がひどいことになるのはいっしょだが、そうする相手がちがう。文脈から考えると、それまで話題に上っていたのは警察関係者だから、「彼ら」は捜査関係者と取るのが順当ではないか。 

裏の裏をかいたつもりでも、相手がそこまで考えるとは限らない。順調に利益を上げている高級賭博場経営者がそんな危ない橋を渡るだろうか。いくら市の上層部に顔がきいたとしても殺人容疑がかかったら、警察に出向く必要があるだろう。あるいは警察のほうからやってくるかもしれない。それは彼の仕事上、あまりうれしくはない動きだ。経営手腕がある経営者はそんなリスクは負わないだろう。 

「彼女はかつてはブロンドだった」は<She was a blonde then>。主語は「彼女は」だ。双葉氏は何を思ったか、そこを「その二人は金髪だったが」とやってしまっている。その少し前にリーガンの容貌について「ふさふさした黒い髪の毛」と書いているというのに。こういう凡ミスは双葉氏には珍しい。 

「かなりの量の宝石も持っているだろう」は<maybe a lot in rocks>。<rocks>はダイヤなどの宝石のことだが、双葉氏は「相当な現金かもしれん」と訳している。その前に「女もいくらか持っている」としているのだから、現金ではないと考えるべきだ。女性が自由にできる現金は知れているが、ジュエリーなら、簡単に持ち出せて金に換えられる。村上氏は「とくに宝石なんかをたっぷりとな」。 

「彼らは財政の仕組みに帰らざるを得なくなるだろうよ」は、< They got to get back in the fiscal system.>。双葉氏は「それやこれやでこっちの網にかかろうというものさ」と、例によって曖昧な常套句を多用して済ませている。村上氏は「身についた金遣いはそうそう改まるものじゃない」と、意訳している。<fiscal system>は「財政制度」を意味する硬い用語だ。村上氏はそれを彼らの「金遣い」と解釈しているようだ。ここは警部がその前に話している「リーガンが小切手を現金化するか、約束手形を書くか、手紙を書くかするだろう」を指していると考えたい。ただの紙切れが現金に代わるのが<fiscal system>だからだ。 

エディ・マーズ夫人の前職は原文では<Torcher>となっている。アメリカには女性歌手が失恋の痛手を切々と歌う、トーチソングというジャンルがある。それを知る音楽産業界の誰かがしゃれで言い出したのが、一時流行した「ご当地ソング」だ。「トーチャー」というのは初耳だが、<torch singer>なら辞書にも載っている。双葉氏は「歌姫」、村上氏は「クラブ歌手」と訳している。 

「週末を派手に過ごすのだろうが、彼女はそんなお定まりにうんざりしている」は<She’d make a jazzy weekend, but she’d be wearing for a steady diet.>。双葉氏は「どんちゃん騒ぎの週末が好きな女らしい。根気強い減食などできない性質(たち)ですね?」。村上氏は「派手に遊びまわるのが好きな女だ。しかし限られた小遣いでは何かと厳しい」。両氏の訳だが、後半の訳にはどちらも首をひねりたくなる。 

< steady diet>とは「お決まりのこと、習慣化されたこと」という意味で、もともとは毎日の決まった食事から来ている。「根気強い減食」というのは傑作だが、誤訳だろう。ミセス・リーガンは細身の美人で、ダイエットが必要とは思えない。村上氏の「限られた小遣い」となると、どこからひねり出してきたのか、さっぱり見当もつかない。夫人はエディ・マーズの高級賭博場に出入りし、五千ドルという大金をエディ・マーズから借りることもできる、と言っている。「限られた小遣い」とはいえ、遊ぶ金に困っている様子はない。》