《私は店を出て、大通りを西に向かい、角を北に折れ、店の裏側を走る小路に出た。黒い小型トラックがガイガーの店の裏をふさいでいた。荷台の側板は金網で、字は書いてない。新品のオーバーオールを着た男が尾板の上に箱を持ち上げていた。私は大通りへ引き返し、ガイガーの店から一つ先のブロックで、消火栓の前に停まっているタクシーを見つけた。新顔の青年が運転席でホラー雑誌を読んでいた。窓から覗きこみ、一ドル札を見せた。「尾行の仕事だが?」
彼はじろっと私を見た。「警察かい?」
「私立探偵だ」
彼はにやりとした。「俺の特技だよ。探偵さん」彼は雑誌をルームミラーの後ろに押し込み、私はタクシーに乗り込んだ。我々はブロックを一回りして、ガイガーの店の小路の向かい側の、やはり消火栓の横に車を停めた。
オーバーオールの男が網戸のついたドアを閉め、尾板を閉めて運転席に座ったとき、トラックの上にはおよそ一ダースほどの箱があった。
「あいつをつけてくれ」運転手に言った。
オーバーオールの男はエンジンを吹かすと、小路のあちこちに目をやり、一目散に反対方向へ走り出した。彼は小路を抜けると左折した。我々もそれに倣った。トラックが東に曲がり、フランクリン通りに入るのがちらりと見えた。私は運転手にもう少し近づけと言った。彼はそうしなかった。できなかったのかもしれない。フランクリン通りに入ったとき、二ブロック離されていた。ヴァイン通りまでは視野の裡だった。ヴァイン通りを渡り、ウェスタン通りに向かう間もずっと。ウェスタン通りから先は二度ばかり目にしただけだ。交通量が多く、新顔の青年は距離を空け過ぎていた。歯に衣着せずに注意していたとき、はるか前方のトラックが再び北に曲がった。曲がった先はブリタニー・プレイスと呼ばれる通りだった。我々がそこに着いたとき、トラックの姿はなかった。
新顔の青年はパネル越しに慰めの声をかけ、時速四マイルでのろのろと丘を登り、我々は茂みの陰にトラックがいないか探した。二ブロック進んだところで、ブリタニー・プレイスが東に湾曲してランドール・プレイスにぶつかる、舌のように突き出した土地に、真っ白なアパートが建っていた。玄関はランドール・プレイスに、地下駐車場はブリタニー・プレイスに面していた。そこを通り過ぎ、新顔の青年がトラックはそんなに遠くへ行けないはずだとしゃべっているちょうどその時、私は見た。駐車場のアーチ型入り口を通して薄闇の奥に、それが再び尾板を開けているのを。
我々はアパートの玄関に回り、私はそこで降りた。ロビーには誰もおらず、電話の交換台もなかった。鍍金された郵便受けパネルの横の壁に木の机が設置されていた。その上にある名前にざっと目を通した。ジョセフ・ブロディという名の男が405号室にいた。ジョー・ブロディという男が、カーメンとの遊びをやめ、他に遊び相手を見つける条件で、スターンウッド将軍から五千ドル受け取っている。これがそのジョー・ブロディかもしれない。私は運が向いてきたのを感じた。
壁の角を曲がり、タイル張りの階段と自動エレベーターのシャフトのあるところに出た。エレベーターの屋根は床と同じ高さだった。シャフトの傍に「駐車場」と書かれたドアがあった。私はドアを開け、狭い階段を地階に下りた。自動エレベーターはつっかい棒がされており、新品のオーバーオールの男がぶつぶつ言いながら重い箱を中に積み上げていた。私は彼の傍に立って煙草に火をつけ、彼を見た。彼は私が見ていることが気に入らないようだった。》
ガイガーの店から木箱を運び出すトラックを追跡する場面だ。黒い小型トラックには特徴がある。<A small black truck with wire sides and no lettering>というものだ。<wire side>は「金網」のことだが、ここを双葉氏は「針金を張りまわした小さな黒いトラック」と訳している。幌を張るための骨組みに使う針金と取ったのだろう。でも、そうすると次の<no lettering>がうまく続かない。村上氏は「トラックの両側面は金網になって、名前も何も書かれていない」と訳している。金網には字が書けない。側面を金網張りにしたトラックというものを見た記憶がないが、当時のアメリカにはあったのだろうか。画像で検索してもこれだ、と思うものに出会えなかった。
尾行のためにつかまえたタクシーの運転手を、チャンドラーは<fresh-faced kid>と書いている。双葉氏は「生き生きした顔色の、若い運転手」、村上氏は「初々しい顔立ちの青年」と訳している。最初だけならこれでもいいだろうが、名前を知らない運転手について言及するたびに、<fresh-faced kid>が出てくるのだ。これをいちいち両氏のように訳していたのでは相当に間延びしてしまう。そこで「新顔の青年」と訳した。顔色でも顔立ちでもなく、初めて見た顔としたのだ。新入生のことをフレッシュメンと呼ぶ。ニューフェイスという言葉もあるではないか。
その運転手が探偵だと名乗ったマーロウに言う言葉は<My meat,Jack.>。<my meat>には、男性器の意味もあるが、ここでは「得意、強み」の意味だろう。<Jack>は、アメリカでは警官や探偵を表す符牒だ。双葉氏は「なら話が合うよ、旦那」としている。「話が合う」と訳したのは、<meat>に「(話や議論などの)要点、本質」の意味があるからだろう。村上氏は「面白そうだ」と意訳している。<meat and potato>で「好きなもの」を意味する場合もあるから、「大好物だ」などの訳語も可能だろう。
「オーバーオールの男が網戸のついたドアを閉め、尾板を閉めて運転席に座ったとき」は<when the man in overalls closed the screened doors and hooked the tailboard up and got in behind the wheel.>。双葉氏は「彼は尾板を閉めると、運転台に乗った」と訳して、<the screened doors and hooked>の部分を落としてしまっている。ありがちなミスだ。車のドアと勘違いしたにちがいない。<screened door>は「網戸」。なぜ複数になっているのかが、ちょっと疑問だが、網戸だけでは不用心で、板戸とペアになっている扉はよく目にするから、複数なのかもしれない。村上氏は「金網の入った裏口の扉を閉め。トラックの後部板を固定し、運転席に乗り込んだとき」と訳している。複数にこだわる村上氏が、何故ここはスルーなのか?ちょっと分かりかねる。
次々と通りの名前が出てくるが、LA在住者なら手に取るように分かるのだろう。後部座敷のマーロウが「歯に衣着せずに注意していたとき」は、<I was telling him about that without mincing words>。双葉氏は「私が手まねで急げと言おうとしているとき」、村上氏は「私がそのことを、曖昧な言葉抜きで運転手に注意しているときに」と訳している。たしかに<mincing words>は「曖昧な言葉」ではあるのだが、<without mincing words>とワンセットで「言葉を選ばずに、歯に衣を着せずに」という意味だ。双葉氏の手まねも、後部座席からでは難しかろう。運転手は前を見ながらバックミラーを見なければならない。率直に言葉で言ってもらう方が有難かろう。
「そこを通り過ぎ、新顔の青年がトラックはそんなに遠くへ行けないはずだとしゃべっているちょうどその時、私は見た。駐車場のアーチ型入り口を通して薄闇の奥に、それが再び尾板を開けているのを」は<We were going to past that and the fresh-faced kid was telling me the truck couldn’t be far away when I looked through the arched entrance of the garage and saw it back in the dimnes with its rear doors open again.>。
双葉氏は「そのアパートを通りすぎようとしたとき、車庫のアーチ型の入り口を通して、薄暗がりの中に、トラックが尾板をあけておさまっているのが見えた」と青年の気休めの言葉をまるきりカットしている。直接話法ではなく間接話法になっているので、単に読み飛ばしたのだろうか?村上氏は「その車庫の入り口の前を通りすぎながら、あのトラックはそう遠くには行ってないよと童顔の運転手が言ったまさにそのとき、そのアーチ形をした入り口の薄暗い奥に、件のトラックの姿が見えた。その後部板はまた開かれていた」だ。
お気づきだろうか。<fresh-faced kid>の部分を、村上氏は「童顔の運転手」と訳し直している。「初々しい顔立ちの青年」という長ったらしい訳を使ったのは最初だけで、その後はずっと「童顔の運転手」を使っている。それならはじめからそうすればいい。双葉氏は律儀に「いきいきした顔色の運ちゃん」、「いきいきした顔の若い運ちゃん」と書いている。<fresh-faced kid>は、代名詞のようなものだ。そのたびに訳語を変更したなら意味がなくなってしまう。
ここで一つ疑問がある。<rear doors>だ。これがトラック後部にあるヒンジ留めで下に開く<tailboard>を意味しているなら、なぜここは複数になっているのだろう?双葉氏は「尾板」、村上氏は「後部板」と訳している。つまり、<tailboard>と考えているわけだ。<rear doors open again>とあるからには、前にも開いていると書かれてなければならない。前に開いていたのは<tailboard>だけである。一つ考えられるのは、尾板の上部に観音開き状の後部扉がついたパネルトラックだった可能性である。そんな車があるのかどうかよくは知らないが、そうでもなければ解決がつかない。チャンドラーのミスという可能性もないではないが。
「私は運が向いてきたのを感じた」と訳したところは<I felt like giving odds on it.>。双葉氏も「どうやら私にも運が向いたらしい」と、訳している。村上氏は「おそらくそうだろうという気がした」と訳している。<give odds>は「ハンディキャップを与える」という意味なので、ジョー・ブロディがジョセフ・ブロディであるという考えの方がオッズが高くなる。つまり確率が高い。村上氏の訳は原文をほぐしていこうという意図を持つので、こうなるのだろう。たしかによく分かるが、面白みが失せる気がする。オッズという語に賭け事をほのめかすくらいの遊び心は持ちたいものだ。
「自動エレベーターのシャフト」とわざわざ書いているのは、映画などで見かける、金属製の格子が前についている中が素通しの昇降路のことだろう。わざわざ自動とあるのは、係員がいないので、自分で操作するようになっているからだ。その金網越しにエレベーターの屋根が見えているわけだ。現在のように両開きのドアで目隠しされたエレベーターを想像すると理解不能の記述である。なぜエレベーターが地階に止まったままなのか、次の文で分かる仕掛けになっている。
「自動エレベーターはつっかい棒がされており」は<elevator was propped open>。< prop>は「つっかい棒をする」という意味だ。ここを双葉氏は「自動昇降機の口を開け」とだけ書いているので、どうして開いたままでいられるのかよく分からない。村上氏は「自動エレベーターはつっかい棒で閉じないようにされ」と詳しい。これでこそ村上訳だ。