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HARD BOILED CAFE

ハードボイルド探偵小説に関する本の紹介。チャンドラーの翻訳にまつわるエッセイ等。

『大いなる眠り』第1章

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" It was about eleven o’clock in the morning, mid October, with the sun not shining and a look of hard wet rain in the clearness of the foothills.”

<十月の半ば、午前十一時頃のこと。日は射さず、開けた山のふもとあたりは激しい雨で濡れているようだった。><>内は、拙訳。

私立探偵フィリップ・マーロウが読者の前に姿を見せる、そのはじめての日。季節のせいかロス・アンジェルスの空模様はあまりかんばしくなかったようだ。長篇第一作『大いなる眠り』は、今も雨不足に悩む砂漠の上に建つ都市に似つかわしくなく、よく雨が降る印象を受ける。

双葉十三郎氏の訳で東京創元社から文庫化されていた『大いなる眠り』は2012年、版権が移動したことにより、早川書房から村上春樹氏による新訳が出た。手持ちの創元推理文庫版は1988年のもので54刷を重ねている。『ロング・グッドバイ』を、原書、清水俊二訳、村上春樹訳と読み比べてきた企画がひとまず終わったので、かねてから考えていた『大いなる眠り』に取り掛かることにした。

それまで、名訳の誉れの高い旧訳をありがたく思うあまり、原文にあたることなど考えもしなかったが、原文に忠実な訳を心がけたという村上訳が出たことで、チャンドラーの原文と日本語訳を引き比べて読むという面白さを味わうことが可能になり、旧訳が省略していた部分も明らかになった。それと同時にチャンドラーの英文の持つリズムにも眼が開かれた。今回も新旧訳を手がかりに、チャンドラーの文章の持つ魅力に迫りたいと思っている。

さて、冒頭の文章だが、“ clearness ” の訳がいささか異なるようだ。

「十月の半ば、朝の十一時頃だった。日は射さず、強い雨が来るらしく丘がくっきりと見えた」(双葉)
「十月の半ば、午前十一時頃のことだ。太陽は姿を消し、開けた山裾のあたりは激しい雨に濡れているように見えた」(村上)

雨は山麓のあたりに、今降っているのか、これから来るところなのか。そこが微妙に異なる。双葉氏は、“ clearness ” を「くっきりと(見えた)」と訳しているが、村上氏は「開けた」と訳し、山裾のあたりを修飾する語と採っている。ところで、洋の東西に関わらず、雨もよいの折にその場所がくっきりと見えたりするものだろうか。ここは、スターンウッド邸の前に立つマーロウが、背後に広がる開けた山のふもとあたりを眺め、やがてやってくるだろう雨が、もうそこまで来ている、と見たと解したい。

" I was wearing my powder-blue suit, with dark blue shirt, tie and display handkerchief, black brogues, black wool socks with dark blue clocks on them. I was neat, clean, shaved and sober, and I didn’t care who knew it. I was everything the well-dressed private detective ought to be. I was calling four million dollars. ”

「私は、パウダー・ブルーの服に、濃紺のワイシャツ、ネクタイ、飾りハンカチ、黒いゴルフ靴、濃紺の刺繍いりの黒いウールの靴下をつけていた。ひげもそり、小ざっぱりして、くそまじめな顔つきだった。誰に知られようとかまうことはない。どこから見ても身だしなみのいい私立探偵のピカ一だ。なにしろ四百万ドルを訪問するのだ。」(双葉)

「私は淡いブルーのスーツに、ダークブルーのシャツ、ネクタイをしめ、ポケットにはハンカチをのぞかせ、穴飾りのついた黒い革靴に、ダークブルーの刺繍入りの黒いウールのソックスをはいていた。小ざっぱりと清潔で、髭もあたっているし、なにしろ素面(しらふ)だった。さあ、とくとご覧あれ。身だしなみの良い私立探偵のお手本だ。なにしろ資産四百万ドルの富豪宅を訪問するのだから。」(村上)

簡潔なリズムで意気のいい双葉訳はさすがに堂に入ったものだが、服装についての記述には時代が反映する。ブローグを「ゴルフ靴」としているところが痛い。しかし、村上訳も「穴飾りのついた黒い革靴」と説明調なのはいただけない。ここは「ブローグ」でいいのではないか。石津謙介氏によるトラッド・ファッションが紹介されて以来、紳士靴の名称として「ブローグ」は市民権を得ている。

それより、" sober “ をきちんと訳している村上訳に対して、「くそまじめな顔つき」と意訳している双葉訳が気になる。マーロウは、何かといえば酒を飲む。オフィスの机の抽斗にもスコッチが一瓶入っているはずだ。午前十一時だって、仕事のない日なら飲んでいたって不思議ではない。ここは、人と会う約束があるのでわざわざ素面でいたのだ、と強調している。これを訳さない手はない。ただ、最後の文は、双葉訳が原文の意を呈していて締まっている。文学的な評価はともかく、チャンドラーはハードボイルド作家なのだ。分かりやすければいい、というものでもない。

ここから延々と建築物の説明が続く。マーロウが相手をするのは、権力者や資産家であることが多い。しがない私立探偵が力のあるものと対峙するという構図が分かりやすいからだろう。いかにもアメリカの資産家らしい金のかかった邸宅の様子を戯画化して語らせたらチャンドラーの右に出る者はいない。

" The main hallway of the Sternwood place was two stories high. Over the entrance doors, which would have let in a troop of Indian elephants, there was a broad stained-glass panel showing a knight in dark armor rescuing a lady who was tied to a tree and didn’t have any clothes on but some very long and convenient hair. “

「スターンウッド邸の玄関は二階建ての高さだった。インド象の一隊をごっそりいれられるくらいの入口の扉の向こうには、ステンド・グラスがあった。何も着ていないがうまいぐあいに長い髪の毛を持った貴婦人が、木にしばりつけられ、それを黒っぽい鎧を着た騎士が助けようとしている絵だ」(双葉)

「スターンウッド邸の玄関ホールは二階ぶんの高さがあった。インド象の大群だってくぐり抜けられそうな入り口の扉の上には、大きなステンドグラスのパネルがはまっていた。暗い色合いの鎧をつけた騎士が、木に縛りつけられたご婦人を救おうとしている図柄だ。女は一糸まとわぬ裸だったが、ひどく長い髪が具合よくその身体を覆っていた」(村上)

ステンド・グラスがあるのは、入口扉の「向こう」なのか、それとも「上」なのか。インド象の一隊が通れるくらい、というのだから通常より大きな両開きのドアだろう。果たしてそれは開いていたのか、しまっていたのか。しまっていたなら、その向こうは見えないはずである。しまっていたとすれば、吹き抜けになった玄関ホールの入口扉の上が大きなステンド・グラスになっていたのだろうか。

" The knight had pushed the vizor of his helmet back to be sociable, and he was fiddling with the knots on the ropes that tied the lady to the tree and not getting anywhere. I stood there and thought that if I lived in the house, I would sooner or later have to climb up there and help him. He didn’t seem to be really trying. ”

マーロウは、扉の前に立って、ジョン・エヴァレット・ミレイ描くところの「遍歴の騎士」をもとにしたと想像されるステンド・グラスを眺めている。騎士は兜の面貌を上げ、縄の結び目を解こうとするがうまくいかないらしい。ちっとも本気でやっているように見えないのだ。もし、この家に住んでいたら、遅かれ早かれ登っていって騎士を助けることになるだろう、などとマーロウは考えている。

ヨーロッパ風の美意識で装飾されたステンド・グラスを、アメリカのハード・ボイルド探偵らしい実務的な見方で批評するやり方はマーク・トウェインに範をとったものだろうが、同時に事件と見れば放っておけず、手を出してしまうマーロウという男の性格を暗示した部分でもある。本格派探偵小説の雄で、セザンヌの水彩画を集めることを趣味にしていたヴァン・ダインの探偵ファイロ・ヴァンスへの皮肉な挨拶のようにも読める。それにしても、兜はヘルメット、面貌はバイザー。原書で読む騎士の出で立ちは、まるでバイク乗りの恰好のようだ。

" There were French doors at the back of the hall, beyond them a wide sweep of emerald grass to a white garage, in front of which a slim dark young chauffeur in shiny black leggings was dusting a maroon Packard convertible. Beyond the garage were some decorative trees trimmed as carefully as poodle dogs. Beyond them a large greenhouse with a domed roof. Then more trees and beyond everything the solid, uneven, comfortable line of the foothills. ”

「広間のうしろのほうはフレンチ・ドアで、その向こうにはエメラルド色の芝生と白い自動車車庫が見えた。車庫の前で、黒いぴかぴかの長靴をはいた浅黒いやせた若い運転手が、茶色のパッカードのコンヴァーティブルを掃除していた。車庫の向こうはむく犬みたいに手入れをした立ち木だった。そのまた向こうには、丸屋根のついた大きな温室があった。それからまた立ち木があり、そのすべての向こうに、どっしりと気持ちよさそうに腰をすえた丘が見えた。」(双葉)

村上訳では、フレンチ・ドアは、玄関ホールの「奥」。パッカードの色は「えび茶」。運転手は黒髪で、長靴ではなく「ゲートル」を巻いていることになっている。小さな差異はともかく、近頃では女性のファッション・アイテムとして知られる「レギンス」が登場する。村上氏は、「真新しい黒いゲートルを巻いた」と訳しているが、資産家のお抱え運転手の服装と考えたとき、ここは、長靴の代わりに使用する「革脚絆」ではないだろうか。だとすると、むしろ「黒いぴかぴかの長靴」と訳した双葉氏のほうがイメージに近い。ゲートルという言葉から布製の「巻脚絆」を連想し、「巻く」と訳したのだろうが、バックル止めの「革脚絆」だったら「巻く」ことはない。

最後の文を村上氏は「それから更に樹木があり、それらすべての先に、揺らぐことのない、不揃いにして心安まる山の稜線が見えた」と訳しているが、「揺らぐことのない、不揃いにして心安まる」は、いくらなんでも直訳過ぎるだろう。「どっしりと気持ちよさそうに腰をすえた」という擬人化された山の姿に" the solid, uneven, comfortable line of the foothills ” を見ることができるのではないか。

" On the east side of the hall a free staircase, tile-paved, rose to a gallery with a wrought-iron railing and another piece of stained-glass romance. Large hard chairs with round red plush seats were backed into the vacant spaces of the wall round about. They didn’t look as if anybody had ever sat in them. ”

<ホールの東側には、タイル張りの階段が鍛鉄製の手摺のついたギャラリーへ通じていた。そこにはもう一枚の騎士道物語を主題にしたステンドグラスが嵌っていた。誰も座る者がないままに、赤いフラシ天製の丸いシートがついた椅子が壁を背にして空きスペースを埋めるように並んでいた。>

" In the middle of the west wall there was a big empty fireplace with a brass screen in four hinged panels, and over the fireplace a marble mantel with cupids at the corners. Above the mantel there was a large portrait two bullet-torn or moth-eaten cavalry pennants crossed in a glass frame. ”

<西側の壁の中央に、四つ折の真鍮の火除け衝立を前に置いた大きな空っぽの暖炉があった。暖炉の上には両端にキューピッドがついた大理石のマントルピース。その上には大きな肖像画が、弾丸で開いたか虫に食われたか穴だらけの、二枚のぶっちがいにされた騎兵隊のペナントに飾られて、ガラス額のなかに収まっていた。>

新旧訳とも「ちょうつがいを四個つけた真鍮の火よけ」(双葉)、「四枚のパネルを蝶番で繋げた真鍮の衝立」(村上)と、蝶番にこだわっているが、要は暖炉の前に置く、屏風仕立ての「火よけ衝立」のことである。村上氏はマントルピースを原語に忠実に「マントル」としているが、それでは邦訳になっていない。「マントルピース」なら、外来語として通じる。どうして「マントル」にこだわるのかが理解できない。

" The portrait was stiffly posed job of an officer in full regimentals of about the time of the Mexican war. The officer had a neat black imperial, black mustachios, hot hard coal-black eyes, and the general look of a man it would pay to get along with. I thought this might be General Sternwood’s grandfather. It could hardly be the General himself, even though I had heard he was pretty far gone in years to have a couple of daughters still in the dangerous twenties. ”

<肖像画はメキシコ戦争の頃の軍服の正装をしてかしこまった士官だった。士官は手入れの行き届いた黒い皇帝髭と口髭を生やし、熱く硬い石炭のような黒い目をしていた。つき合いにくそうな顔つきだった。スターンウッド将軍の祖父かもしれない。将軍自身だとは思えなかった。たとえ彼がここ何年か、まだ危なっかしい二十代の娘二人を養っていくには少し惚け過ぎた、と聞いていたにしても。>

肖像画の人物の髭について、村上氏は「綺麗に刈り込んだ威風堂々たる黒い口髭をたくわえ」と訳す。" imperial ” は、それだけで先を尖らせた顎鬚を指す。ナポレオン三世を真似たことから「皇帝髭」という呼称が生まれた。口髭は" mustachios “ と、別にきちんと書いてある。どうしてこんな改変をしたのか、よく分からない。顎鬚のあるなしは軍人の風格を現すときにかなり差が生じるはずだが。ちなみに双葉氏は「黒いこぎれいなあごひげと口ひげをつけ」と、原文に忠実に訳している。

” I was still staring at the hot black eyes when a door opened far back under the stairs. It wasn’t the butler coming back. It was a girl. ”

<階段の下のずっと先にあるドアが開いたときも、私はまだ熱く黒い目を見つめていた。執事が戻ってきたのではなかった。娘だった。>

” She was twenty or so, small and delicately put together, but she looked durable. She wore pale blue slacks and they looked well on her. She walked as if she were floating. Her hair was a fine tawny wave cut much shorter than the current fashion of pageboy tresses curled in at the bottom. Her eyes were slate-gray, and had almost no expression when they looked at me. ”

<彼女は二十歳かそこいらだった。小柄できゃしゃだが丈夫そうだ。淡青色のスラックスをはき、まるで浮いているように歩いた。きれいなウェイブのかかった黄褐色の髪は、流行の肩までかかる内巻きにはできないくらい短くカットされていた。灰色の瞳には、私を見る時も表情というものがほとんどなかった。>

村上氏は「瞳は粘板岩のようなグレーで」と訳しているが、「スレート・グレー」は一般的に使われる色の名前。「葡萄(えび)茶」を「葡萄」のような茶色と言われてもイメージがわきにくいのと同じで、わざわざ逐語訳をするほどの意味があるのだろうか。まだ3ページほど読んだだけだが、今回の村上氏の翻訳には頸をひねりたくなる訳が目につくように思う。双葉訳は「濃い灰色」。

” She came over near me and smiled with her mouth and she had sharp predatory teeth, as white as fresh orange pith and as shiny as porcelain. They glistened between her thin too taut lips. Her face lacked color and didn’t look too healthy.”

<近寄ってきて口もとで微笑むと、捕食動物特有の鋭い歯が見えた。新鮮なオレンジのわたのように白く、陶器のようにぴかぴかした歯が、ぴんと張った薄い唇の間から輝いた。顔は血の気が失せ、あまり健康そうには見えなかった。>

“ Tall, aren’t you? ” she said.
” I didn’t mean to be.”
Her eyes rounded. She was puzzled. She was thinking. I could see, even on that short acquaintance, that thinking was always going to be a bother to her.

<「背が高いのね」と彼女は言った。>
<「なろうとしてなったわけじゃない」>
<娘の眼が丸くなった。困っているようだ。考えている。会ってまだ間もないが、私には分かった。彼女にとって、考えるということは、いつも厄介なことなのだ。>

” Handsome too, ” she said. ” And I bet you know it. “ I grunted.
” What’s your name? “
" Reilly,” I said. ” Doghouse Reilly.”
” That’s funny name.” She bit her lip and turned her head a little and looked at me along her eyes. Then she lowered her lashes until they almost cuddled her cheeks and slowly raised them again, like a theater curtain. I was to get to know that trick. That was supposed to make me roll over on my back with all four paws in the air.
<「それにハンサム」彼女は言った。「自分でもそう思ってるんでしょ」私は口の中でうなった。>
<「何て名前?」>
<「ライリー」私は言った。「ダグハウス・ライリー」>
<「変な名前」彼女は唇をかみ、眼は私のほうを見たまま少し首をかしげてみせた。それから睫毛をほとんど頬に触れそうなくらいにまで下げると、今度はそれをゆっくり上げた。まるで劇場の幕のように。その手は知ってる。私を仰向けにさせ、いやいやをする赤ん坊のように両の手足で宙を掻かせようというのだ。>スラングに” in the doghouse “ という言い回しがあり、「厄介なことになっている」という意味がある。ハード・ボイルド探偵小説の世界に登場したばかりのマーロウは、いささか衒気が勝っているようだ。

” Are you a prizefighter? “ she asked, when I didn’t.
” Not exactly. I’m a sleuth. “
 ” A―a―” She tossed her head angrily, and the rich color of it glistened in the rather dim light of the big hall. ” You’re making fun of me. “
” Uh-uh.”
" What?”
 " Get on with you,” I said. ”You heard me.”
" You didn’t say anything. you’re just a big tease.” She put a thumb up and bit it. It was a curiously shaped thumb, thin and narrow like an extra finger, with no curve in the first joint. She bit it and sucked it slowly, turning it around in her mouth like a baby with a comforter.

<「プロのボクサーなの?」私がそうしないので、彼女は訊いた。>
<「惜しいな。探偵だ」>
<「えっ…、あ…」彼女が怒ったように頭を振ると、豊かな色がホールの薄明かりの中で輝いた。「からかってるの?」>
<「ふうむ」>
<「なんて言った?」>
<「消えちまいな」私は言った。「聞こえただろう?」>
<「なんにも言ってないくせに。からかってばかり」彼女は親指を噛んだ、変わった形の親指だ。扁平で細くて、第一関節も曲がらない、まるで交換用の指みたいだ。おしゃぶりをくわえた赤ん坊のように、口の中で回しながら、彼女はそれをゆっくり噛んでは、しゃぶった。>

” You’re awfully tall,” she said. Then she giggled with secret merriment. Then she turned her body slowly and lithely, without lifting her feet. Her hands dropped limp at her sides. She tilted herself towards me on her toes. She felt straight back into my arms. I had to catch her or let her crack her head on the tessellated floor. I caught her under her arms and she went rubber-legged on me instantly. I had to hold her close to hold her up. When her head was against my chest she screwed it around and giggled at me.

<「とっても背が高いのね」彼女はそう言って、隠し事を見つけたようにくすっと笑った。それから、足を上げることもなく、ゆっくりとしなやかにからだをひねった。だらんとした両腕は脇に垂れ、爪先立ちで私のほうにからだを傾けた。背中からまっすぐに私の腕のなかに落ちてきたのだ。抱きとめなければ、モザイクの床の上で彼女の頭は砕かれていただろう。脇の下に腕を差し入れ、つかまえたとたん彼女の足はゴム細工のようにぐにゃりとなった。立たせるためには抱き寄せるしかなかった。頭が胸につくと、彼女はそれをねじり、私を見てくすくす笑った。>

 " You’re cute,” she giggled. " I’m cute too.”
I didn’t say anything. So the butler choose that convenient moment to come back through the French doors and see me holding her.
It didn’t seem to bother him. He was a tall, thin, silver man, sixty or close to it or a little past it. He had blue eyes as remote as eyes could be. His skin was smooth and bright and he moved like a man with very sound muscles. He walked slowly across the floor towards us and the girl jerked away flom me. She flashed across the room to the foot of the stairs and went up them like a deer. She was gone before I could draw a long breath and let it out.

<「あなたって可愛い」彼女はくすくす笑った。「私も可愛いでしょ」>
<私は何も言わなかった。この瞬間を待ってたかのように、執事がフレンチ・ドアを通って戻ってきて、彼女を抱いている私を見た。>
<執事はすこしも困っているように見えなかった。背が高く、やせた銀髪の男だ。六十歳近くか、すこし過ぎたあたりだろう。それ以上素っ気なくできないほど青い眼をしていた。肌は滑らかで艶があり、鍛え上げた筋肉を持った人間のように動いた。彼がゆっくり床を横切って私たちのほうに歩み寄ると、娘は私からからだを引き剥がし、さっと部屋を駆け抜け、鹿のように階段を上っていった。私が長い息を吸い込み、吐き出す前に彼女は消えていた。>

The butler said tonelessly: ” The General will see you now, Mr. Marlowe.”
I pushed my lower jaw up off my chest and nodded at him. ” Who was that?”
” Miss Carmen Sternwood, sir.”
 " You ought to wean her. She looks old enough.”
  He looked at me with grave politeness and repeated what he had said.

<執事が単調な声で告げた。「マーロウ様。将軍がお会いになります」>
<私は外れかけた下顎を胸から持ち上げ、うなづいた。「誰なんだ。あれは?」>
<「カーメン・スターンウッド嬢です」>
<「いいかげん乳離れさせたほうがいいね。もうそれができそうな年頃じゃないか」>
<彼は重々しく丁重な面持ちで私を見ると、再び同じ言葉を繰り返した。>